クリス
セルリアーナ大陸は大きく分けて二つの大陸で構成され、東の大陸には大小併せて一三の国が存在し、そこに神聖エリンハイム王国もあった。
しばらく前に若き王を迎えたこの国は、海を挟んで南東にあるエルドリア王国と友好を深め、西の大陸への要所として重要視されはじめている。
その神聖エリンハイム王国の最南端にあるシャルルロア領、その領都シャルルロアの貴族街に近い一角に、ここ最近人気のレストランがあった。
「クリスお嬢様、今日の納品分は献品が終わりましたよ」
「エボンさん、お嬢様は辞めてください」
「そうはいきません。
ルイーゼ様より申し付かっておりますから。
クリスお嬢様も納得の上でルイーゼ様の御養子となられましたのですから、諦めてください」
クリスは小さく溜息をつき、テラスにあるテーブルの一つで頬杖をつく。
色々と緊迫したドタバタの中で意見を問われ、思わず頷いてしまったなどとは言い出せない雰囲気だった。
とある貴族家のメイドを母に持つクリスは、半分ほど貴族の血が混じっている。
もっとも、望まれて生まれた訳ではなく、相応の扱いをされることはなかったが。
それでも、生粋の平民ではないクリスにとって、傅かれること自体は初めではない。
ただ、心の底から自分の為に尽くしてもらうとなれば、初めてかも知れないが。
「わかってはいるのですが……」
クリスは訳あって一時的に領都を離れることになったアキトたちに変わり、ここカフェテリア『フィレンツェ』の後を任されることになった。
もちろん、いくら領都の治安がよいとはいっても、成人したばかりのクリスが一人で店をやっていくことは無理があった。
そこで声を上げたのが、メイド長を辞めたばかりのエボンだ。
エボンは、以前クリスが人買いにあったところをアキトに助けられ、一時預けられた時のメイド長だった。
人の縁は思わぬところで繋がるもので、エボンは元々ルイーゼの父方であるフォルジュ家に仕えていたことがあった。
その頃ルイーゼが生まれていた訳ではないが、エボンにとってルイーゼは孫のようなものであり、どこかでルイーゼの生い立ちを知ったエボンが詰めかけてきた。
恐らく、カイルなりトリスタンなりの計らいがあったとアキトは考えている。
一通りの業務を熟せるエボンはサポート役としてうってつけであり、また人を使うことも上手かった。
そんなエボンがクリスの助けに入ったことは僥倖といえよう。
アキトたちもエボンの人柄は良く知っており、二つ返事で願い出ている。
エボンは、クリスの指示で店が回るように、瞬く間に人を集めその指導までこなしていた為、密かに暇を持て余すクリスでもあった。
「はい、それではみなさん、本日もカフェテリア『フィレンツェ』の開店としますよ。
迎え入れの準備を」
「はい、畏まりました」
エボンの言葉に五人の女性が返事を返す。
女性たちは高級商家の娘であったり貴族家に嫁ぐことが難しい士爵家の末娘だったりと、身元のしっかりした子たちばかりだ。
歳の頃はクリスと同じ一五歳から一九歳ほどで、器量と気立てが良く、仮に身分が下の者が相手だとしても、分け隔てなく接することができる子が選ばれていた。
アキトがいれば、余りの女性率の高さに居心地の悪さを感じただろう。
だがエボンからすれば、預かった大切なクリスのそばに若い男性を置きたくなかっただけである。
エボンが通りに面する扉を開け、『クローズ』と書かれた札を『オープン』の札へと入れ替える。
まだ昼までは二時間ほどあるというのに、既に待っていましたとばかりに客が押し寄せ、そう広くもない店内は直ぐに満員になり、ついで、テラス席まで埋まるのに三〇分と掛からない。
「いらっしゃいませ。
申し訳ございません。
本日は既に満席となっておりまして――」
残念そうな表情を浮かべる者もいるが、不平不満を口にする者はいなかった。
この店がそうしたことをタブーとする空気で満たされた場所であることを感じ取っていたからだ。
そして自らもその空気が好きで通っている以上、静かに待つこともまた楽しみと思えるようになっていた。
折角の居心地が良い場所を壊されるのは不本意ということで、客の気持ちは一致していた為でもある。
ここカフェテリア『フィレンツェ』は、もともとオーナーであるアキトの趣味で始められた店であり、本来の目的は『コーヒー』と呼ばれる独特な香ばしい味のする飲み物をたしなむことがメインのお店だ。
よって食事のメニューは少なく、値段もかなり高めになっている。
だから毎日来るようなお店ではないはずだが、少し変わった料理はこの辺りでは見掛けないもので、それを目当てに来るお客が半分、もう半分はクリスを初めとして見目麗しい少女が、一風変わった衣装を着て接客する姿を見に来るのが半分となっている。
そこにオーナーの目的だった『コーヒー』専門店という姿は少しもない。
落ち着ける雰囲気が魅力的ではあったが、それだけではさすがに毎日のように満員とはならなかっただろう。
クリスも『コーヒー』を飲んではみたが、美味しいとは思えず、誰が好んで飲むのだろうかと思っていた。
でも、僅かながらマニアはいるようで、その人たちはほぼ毎日のように朝『コーヒー』を飲みに来る。
なんでも、それを飲まなければ一日が始まらないらしい。
クリスはそんな言葉を聞き、危ない薬なのでは? と思ったが、健康や思考に害があるようにも見えなかったので、経過観察をすることにした。
もしそれが危ない物であれば、クリスはアキトを止めなければならないと感じていた。
なにせ未来の父親だ。それくらいの義務はあるだろう。
そう納得し、クリスは『回復魔法薬』の製作に入る。
カフェテリアのレシピは難しい物ではない。
いずれ内容は広まり、領都に同じような食事を出すお店は増える。
現にエボンが見付けてきてくれた女性たちは、全員が同じ料理を作れるようになっていた。
よってクリスは手持ち無沙汰でもある。
その時間を使い、いずれ来るだろうライバル店の出現に備え、店を畳んだ時に食べていけるだけの技能を身に付ける必要があった。
少なくともクリスはそう考え、今出来ることの中から『回復魔法薬』の作成をすることにした。
幸いにしてホームステイ中、リーゼロットによるスパルタ教育を受けてきたクリスには、弱いながらも二つだけ魔法が使える。
一つは『魔力付与』で、もう一つは『魔力吸収』。
この二つが使えれば『回復魔法薬』の製法を大きく短縮できる。
日課のように『回復魔法薬』の作成を続けていたクリスは、魔力量こそ拙いものの、精度においては高いレベルに達しつつあり、出来上がった物も一般的な物に比べて性能は高めとなっている。
カフェテリアの事務所兼クリスの待機場には、既に『回復魔法薬』の入ったガラス瓶がすらりと並び、調合室さながらの様子を見せていた。
赤く光り輝くガラスの様子はなかなかに美しく、クリスは気に入っている。
ただ、メニューの最終項目にこっそりと載せた『回復魔法薬』が、まだ売れたことがない為、貯まる一方なのは困るところだ。
落ち着いた接客の声が聞こえてくる中、クリスは次の手も必要かと考えながら『カフェ・ラテ』を手に取り、一口味わう。
苦いのならばミルクを足してみれば? と単純に考えただけだが、意外に飲みやすく、香ばしさも残るその味は『カフェ・ラテ』と名付ける程度には気に入っていた。
「……売れるかも?」
後日、カフェテリア『フィレンツェ』にまた一つメニューが増える。
それは女性に人気の商品となり、たまにしか売れない『回復魔法薬』を抜いて、お店の売り上げに貢献してくれたので、クリスは良しとするのだった。
前々からお知らせしていましたレティの短編を投稿しました。
<a href="http://ncode.syosetu.com/n1425ea/">男爵令嬢は振り向かない</a>
あと、今後の予定について活動報告に書きますので、良かったら目を通してください。