最終話:女神アルテア
本当に申し訳ありません
最終話、本当に投稿していませんでした
この失態はいつか必ず……
そこにはベルディナードの顔を鷲掴みし、佇む悪魔レトリラの姿があった。
額に刺さった剣を鬱陶しそうに抜き去り、まるでダメージを感じさせない様子に、改めて神の存在を感じる。
「人の体とは脆いの。
穴が空くだけで魔力が溢れ出るとは不便なことこのうえない」
「……」
「しかし、この体を突き通し痛みを感じさせる者がおるとはな。
一二〇〇年の時の流れが人に知恵を与えたのか。
その代償は余りにも大きいように見えるが、まだ戦えるであろう」
「……」
無理だとはいえない。
いえば興味を失い、その大剣を振うだろう。
今の俺にはそれを躱せない。
「さて、ベルディナード。
穴を開けた代償だ、その力を返してもらうぞ」
「ぐっ、ぐぐぐっ……」
あまりの痛みに筋肉が強ばり声も出ないその様子は、俺も良く知っているものだ。
ベルディナードの体に黒い血管が浮かび上がり、それが吸い上げられるようにして悪魔レトリラの腕に流れていく。
シルヴィアにあったそれと同じ物だ。
闇の血が元の主に戻るように、今度は悪魔レトリラの異常なほど白い肌に、黒い血管が浮かび上がっていく。
闇の血を使うのは上位魔人族だと思っていたが、悪魔も使えるのか。
それともベルディナードのようにその力を与えられているのが上位魔人族なのか……。
悪魔レトリラがベルディナードを投げ捨てる。
その子供のような肢体の何処にそれだけの力のあるのか。
「名前はアキトだったか。
もう遊んでいられる時間は少ないようだ」
光りの柱が先程に増して強く輝き、遠目にもいよいよ何かが起こると思わせる。
その光りは『神聖魔法』に見られるものに近いが、より濃密な魔力に満たされたその柱は青き輝きを伴い、天空にある神々が住まうという浮遊大陸エルフィリアへと通じていた。
あれを待っていたのか!?
激しい戦闘に混乱へと変わっていた周りの人々反応も、その光りの柱の登場を前に静まり、ルイーゼがそうするのと同じように膝を突き頭を垂れて祈りを捧げ始める。
誰もが女神降臨の予兆を感じ、不安な心を祈りへと変えていく。
「さぁ、生きる為に今一度その全身全霊を持って魂を昇華させよ」
本当に全力の一撃だった。
余すところは何もない。
あれで倒せないなら俺に倒すことは出来ないだろう。
そもそもどうしたら倒せる。
心臓も頭も、おおよそ人の急所と思える場所を狙った攻撃が効かないのだ。
それでも、わずかな時間を稼ぐ為に戦うふりだけでもしなければ、その為に立たなければ。
俺は震える膝を手で支え――なんだ?
目の前を白銀の鱗のようなものがこぼれ落ちていく。
たまに朝起きたらベッドに散らばっていたやつだ。
モモのお気に入りの何かかと思っていたが。
肌に違和感があり首元に手をやると、何とも言い難い感触にぞっとする。
「おまえ!!」
先程まで圧倒的な余裕を見せていた悪魔レトリラが、突然焦りを見せ、大剣を振り上げる。
驚きに見開かれる悪魔レトリラの目を通して自分の姿が確認できた。
そりゃあベルディナードも化け物という訳だ。
俺の皮膚は所々が、かつて見た白銀に輝く竜のごとく鱗に覆われていた。
竜脈に染まり、やがてその身は砕け竜の子となる。
不死竜エヴァ・ルータの言葉を思い出す。
竜の子……良いじゃないか命まで奪われる訳じゃない。
この一撃が避けられるなら――持って行け、俺の体!!
意識がそれを受け入れた瞬間、痛みで動くこともままならなかった体が、超高濃度の魔力によって満たされていく。
悪魔レトリラの大剣は俺の体を薄く覆った魔闘気に弾かれ、刃先が欠けて赤い輝きを失っていた。
不死と呼ばれる竜の再生能力が瞬く間に肉体を癒やし、それだけに留まらず効率よく作り替えていく。
「何年待ったと思っているんだ!!
こんな所で再び封印されて堪るか!!」
悪魔レトリラの唱える『空間転移』の魔法陣を、竜脈を通じて直接干渉し破壊する。
「その力、本物か!」
全ての魔法は力の源である魔力を通じて竜脈に至る。
逆に言えば竜脈を通じて魔法を実現する魔法陣に辿り着くことが出来た。
世界中でありとあらゆる魔法が使われる中、悪魔レトリラの魔法を狙い撃ちできたのは竜眼によるものだろう。
徐々に人間離れしていく。
受け入れたとはいえ、後悔も残る。
「は、離せ!!」
逃げようと飛び上がった悪魔レトリラの足を掴み、引きずり下ろし地面に叩き付ける。
尚も逃げようとするその背中を踏みつけた。
俺は多少成長したにしても大柄じゃない。
力は魔力でどうにかなっても体重は軽いはずだ。
だが実際には飛び去ろうとする悪魔レトリラを易々と押さえ込んでいる。
魔力も決して重さがないという訳ではないのだろう。
超高濃度の魔力で満たされた体は見た目以上の重さを誇るらしい。
本心から怯えを見せるその様子に嗜虐的な気持ちが沸き起こり、『翡翠剣』をその背中に突き立て、まるで標本のように地面に縫い付ける。
そして、魔力のアンカーを打ち込んで逃げられないようにした。
竜脈に打ち込まれたこの杭を、不完全体の悪魔レトリラに抜くことは出来ない。
痛みはあっても魂が肉体に存在しない悪魔レトリラは、苦痛に顔を歪めながらも死ぬことはない。
そう、神がそうであるように悪魔であるレトリラの魂も霊脈にある。
いくら肉体を失おうとその存在までは消えなかった。
さすがに霊脈に直接干渉することは出来ないが、悪魔レトリラの受肉した肉体があれば永遠に苦しめることは出来た。
≪そこまでです、アキト。
それ以上、本能のままに力を振ってはなりません≫
「ルイーゼ?」
振り向いた俺の目の前には、中空に浮かび青き輝きを放つルイーゼがいた。
その表情は悲しみに包まれ、今にも泣き出しそうだ。
何がそんなに悲しいのか。
今の俺は悪魔レトリラをこれからどう弄ぶか楽しみでしかない。
だから悲しむ必要はなかった。
ん?
ルイーゼを通してその中に銀髪銀翼の女神が姿が見えた。
それは俺を何度も助けてくれた女神アルテア、その人だ。
銀に光り輝く髪が揺蕩い、開かれた五対の翼が振られる度に優しい音が鳴り響く。
心地よい音色に全てを委ねてしまいたくなるが、今は悪魔レトリラを喰らうのが先決だ。
≪アキト、許してください巻き込んだことを。
後は任せて頂けませんか≫
巻き込んだ?
悪魔レトリラのことか、別に構わない。
美味しくはないが霊脈の一端を刻めるのなら喰らう価値はある。
≪竜の魂に刻まれた始原の記憶が流れ込んでいるのですね。
優しいアキト、貴方の力は貴方の大切な人を守る為に使う為のものでしょう。
竜の記憶に惑わされないでください≫
竜の記憶? 惑わされる?
俺は竜の記憶によって何か惑わされているのか?
そもそも俺は何をしていた?
確か悪魔レトリラが受肉して、人の魂と天恵を狩るというから戦って……負けた。
あれ、負けたよな……なのに、さっきから足下で怯えて藻掻く悪魔レトリラはなんだ。
竜化……そうだ、俺は負けを覚悟して、竜の子になることを受け入れた。
その力で悪魔レトリラを押さえ込んでいる。
女神アルテアには多くの借りがあったな。
悪魔レトリラを引き渡すことで借りの一つでも返せるならそうすべきか。
≪ありがとうアキト。
レトリラは私が責任を持って浄化しましょう≫
「やめろ!!」
ルイーゼが悪魔レトリラに手をかざすと、そこから発せられた青白い光りの粒子が悪魔レトリラの体に吸い込まれていく。
「ふざけるな!! 消えて堪るか!!」
悪魔レトリラから発せられていた赤黒いオーラのような力が弱まり、逆に青白い光りに包まれ、最後には魔力の残滓が霧散し、瞬きながら大気に溶け込むようにして消えていった。
少しは借りが返せたかな。
≪貸しなど、もとからありません。
ですからこれは、私の借りとしましょう≫
神様に貸しを作ってしまった。
どう考えても罰当たりなんじゃないだろうか。
罰といえば、ベルディナードの姿がないな。
『転移魔法』は自分で使うには便利だが、人に使われると厄介だ。
禁忌魔法とされるだけはある。
まぁいい、大事になって悪いが後始末はカイルの仕事だ。
「アキト!!」
「アキト、その姿はいったい……」
マリオンとリゼット、無事だったんだな。
酷い格好だろ、あまり見られたくないな。
「アキト、僕がわかるかい?」
「アキトさん……ですよね?」
リデル、何を言っているんだ、わからない訳ないじゃないか。
レティはもう少し自信を持ってくれてもいいと思うぞ。
忘れられたみたいで悲しくなるじゃないか……悲しく?
なんで悲しいんだ。
≪アキト。どんな力を得ようと、貴方は貴方です。
竜脈を彷徨う中でも貴方は自身を見失いませんでした。
竜の記憶に引き摺られないでください。
大切なものを忘れないでください。
アキトの大切なものをお返しいたしますね≫
忘れる、大切なもの?
あれ、そもそもここにいるみんなは誰だ……なんで心配しそうな顔をしていたり、泣いているんだ。
「アキト様!!」
先程まで女神アルテアだと思っていた少女が俺に抱きついてきた。
なんだこれは、食べてくれということか?
少女は泣きながらも何処か嬉しそうで、胸元から俺の顔を覗き込む。
「覚えていますか、初めて出会った時のことを?
私がお救いいたしました。
その後も、何度も何度も、私がお救いいたしました。
だから、今度も私がお救いいたしますね」
そう言うと少女の体から青白い光りがこぼれ出し、それが俺の体を包み込んでいく。
悪魔レトリラを浄化したその魔法が俺に掛けられていた。
そんなことになんの意味がある?
俺は穢れてなどいない、無意味だ。
無意味? いや無意味な訳がない。
なんで無意味だと思った?
それはともかく、ルイーゼがなんで抱きついている?
いや、嬉しいけど、でもみんなの前だとさすがに恥ずかしいんだが。
って、リデルにレティもいるじゃないか!
いや、いるのは正しいのか、助けに来てくれたんだから。
というかなんだ、記憶が勝手に増えていくような、どんどん色々思い出してくる。
そうか……
「ルイーゼ……思い出したよ、酷いな俺。
絶対に忘れることはないと思っていたのに、忘れていたよ。
ルイーゼだけじゃなくマリオンやリゼットのことも、それにリデルやレティ、みんなのことを忘れていた」
「いいんです、思い出してくれました」
胸元で頭を振るルイーゼの、その頭をそっと撫でる。
記憶を失いかけていた時にルイーゼが掛けてくれた言葉。
その傲慢とも思える物言いと普段のギャップに戸惑いもするが、そのどちらもただひたすら俺の為という一点だけは変わらないな。
依存性が高いかと思っていたが、それがルイーゼであり、変える必要ないんだ。
ルイーゼの思いに、俺も十分に応えよう。
「アキト!」
飛び込んできたマリオンを迎え、同じく頭を撫で、好きなだけ泣いてもらった。
マリオンの性格からすれば、今回の戦いで役に立てる場面が少なかったことを悔やんでいるだろう。
仲間が、好きな人がピンチの時に何も出来ないことほど辛いことはない。
その気持ちは俺にも良くわかる。
悔しくて、自分が許せなくて、ただがむしゃらに強くなろうとした。
一緒に強くなろうな。
「アキト、無事でよかった。
ルイーゼの使った浄化魔法は魂の改変を戻すもののようですね。
ただ、言いにくいのですが容姿までは……」
悪魔レトリラにその魔法が使われたということは、悪魔とは魂の改変を受けた存在ということなのか。
それに、魂が竜脈に染まった結果として竜の子になりかけている訳だが、それは魂の改変じゃないのか。
既に変わってしまった容姿までは治らないだけなのかも知れないが。
魂の改変については謎が残るだけか。
「リゼットにも心配を掛けたな。
まぁ、見た目はともかく体は人と同じようだし生活に困ることがないと思えば、命があっただけ良かったと思うべきか」
ただ、まぁ、これだと元の世界に戻れないよな。
家族に会えなくなるのは辛いな。
「わ、わたしは、今のアキトさんも格好いいと思いますよ!」
「レティ。両手に拳を作ってレディがいうことではないと思うよ」
「お兄様!?」
俺は笑顔で二人を迎える。
「レティ、しばらく見ない間に綺麗になったな。
約束は覚えているか」
「はい、もちろんです!」
再び胸の前で拳を作るレティを見て、リデルが額に手を当てた。
淑女教育はもう少し掛かりそうだな。
レティとの約束。それは俺たちの生活に迎え入れることだ。
本当は俺たちと冒険者活動をするのが目的だったが、今は商人ギルドに属しているからな。
それに、レティの場合魔物を狩ることが目的という訳でもない。
好きな仲間と一緒に他愛もない毎日を送る、それが望みだ。
「リデル、よく来てくれた。
そして、ルイーゼを守ってくれて感謝する」
「感謝が必要な仲だったかな」
「まぁ、親しき仲にも礼儀ありというやつだ」
「なら礼儀として受け取っておくよ。
ただ、遠慮はいらない。
自由な身とはいえないけど、可能な限り力になる気持ちは今も変わらないよ」
「それは俺も同じだ。
何かあればいってくれ、いつでも駆けつけるさ」
とはいっても、このまま力を使い続けると、遅かれ早かれ本当に竜の子になりそうだ。
(不死竜エヴァ・ルータ、もう一度知恵を貸してくれ。
さっきの借りを返すには人の姿をしていた方が良い。
それとも精霊族に出来ることでも竜族には難しいか?)
『我に出来ぬ訳がなかろう。それが答えだ』
竜族なら出来る……ということか。
なら、半分は竜族みたいな俺にも出来るかもしれないし、完全に竜族になってからよりは楽かも知れない。
どうせ世界は回ってみるつもりだったんだ。
なんだかんだで忙しかったからな。
今の生活が落ち着いたら、人化の方法を求めて旅をするのもいい。
むしろ望むところだ。
俺は新しい生活にむけて心を躍らせた。