支配の王杯・後
本日は連投しております。
ご迷惑をお掛けいたしますが「第92話 シャルルロアの戦い・前」からお読みください。
「そのまま耐え続けるなど無駄な足掻きだ。
いずれ力尽き、その時には抗う術もない。
もらっておけばいいその力。
命が尽きるまでの僅かな間とはいえ、振えば国の一つくらい動かせる」
そんな力はいらない。
『支配の王杯』の所有者なんか、勝手に譲られても困る!!
さっさと何とかしたいところだが、事あるごとに得意の魔力制御と魔力量で脅威を退けてきた俺でも、精神に作用する攻撃ばかりは自力で跳ね返すしかなかった。
まるで心臓が凍てつくような痛みと精神を書き換える痛み、相変わらずこの世界は痛みばかりだ。
魔封印の呪い、魔力回路の生成、魂の乖離、闇の血、そして魂の書き換え。
それぞれは肉体であったり精神であったりと違う痛みだが、どれもが気を失うような痛みに変わりなく、気を失えばそれで終わりという無慈悲なことばかりだ。
だが、今回だって乗り越えてみせる!
「一つだけ忠告をしておこう。
その契約を退けることがあれば『支配の王杯』は効力を失い、取り込んだ天恵と共に力が失われる」
天恵が失われる?
どれだけの天恵が失われるのかはわからないが、授かった者の命まで取られるという訳じゃないのなら、全てを終わらせる代償として許してもらえる――のか?
俺が受け入れなければ『支配の王杯』は効力を失うとベルディナードはいう。
それがどこまで本当のことかわからないが、嘘だと切り捨てるわけにはいかない。
人知を越えるような魔道具だ、無力化できるならそれにこしたことはなかった。
ただ、『支配の王杯』が効力を失うとき、取り込んだ天恵も失われるという。
教皇ゼギウスとルイーゼは天恵のあり方について異なる考えを持つが、共通しているのは天恵が神々の力を地上に届ける役割をしているということだ。
どれだけの天恵が失われ、それによって弱まった神々の力を退けて、本当に魔が降りるのかはわからない。
俺の判断でそんなことを決めてもいいのか?
もし本当だとして、俺にその責任が取れるとはとても思えない。
全てを丸く収めるには俺が所有権を受け入れ、『支配の王杯』を行使する欲求に耐えられなくなったら、元の世界に戻ればいいんじゃないか?
魔封印の呪いが存在しないように、元の世界では理が違う。
『支配の王杯』だってその影響が出ることはないと思えた。
『我が支配されることを許すとでも思うのか』
不死竜エヴァ・ルータ!
心が傾いた時、内なるもう一つの魂が語り掛けてきた。
(だが『支配の王杯』を退けて、もし本当に悪魔とかが復活でもしたら大惨事だ。
その引き金を俺が引く訳にはいかない)
『そんな者、殺せば良いであろう』
(いやいや。悪魔って神々に敵対する元神々らしいから、それは神様を殺すということに近いんだが)
『それがどうしだ。何が問題だ』
……駄目だ、常識の世界が違う。
そもそも、この世界は始祖と呼ばれる三種族である竜族、巨人族、精霊族が作り出した世界であり、神々はその下に位置する。
竜族の中でも名前付きとなるほどの強さを持つ不死竜エヴァ・ルータが、たかが人間の支配を許す訳がないし、それが悪魔だろうと考えは変わらないのかもしれない。
元々長命なエルフ族の中でも、希に生まれ出る特異種のハイエルフ。
そして、そのハイエルフの中でも一握りの者が契約の元に精霊の住むというアストラル界に魂を昇位させ、神々になった。
その際に物理的な肉体は失われ、直接地上への干渉が出来なくなったというのが定説だ。
いわば精霊と人との子という位置付けになる。
だからカースト的には竜族の方が上位に位置し、不死竜エヴァ・ルータの考えは自然ともいえたが――
(もしもの時は、戦ってくれるのか?)
『貴様に借りはないはずだ』
そうでした。
不死竜エヴァ・ルータと魂の器を共有しているのは、俺という存在が死んだ時、この肉体を媒体として転生することを許しているからだ。
対価として俺がもらったのは竜の卵。
それのおかげでルイーゼだけでなく、俺も闇の血を受けてなお生き延びることができた。
逆にいうと、俺が死ぬまでは活かされているということになる。
幸いにして時間の感覚が違う為、時が来るまでは好きにしていいといわれているが、さすがに魂を支配されるのは不満があるようだ。
まぁ、それは俺も一緒だが。
(借りを作るというのは?)
『何を対価として差し出す』
(正直なところ、満足するようなものは用意出来そうにない。
かわりに友達とか仲間とかそんなのはどうだ?)
『話にならん』
わかっていた。
友達になるとか美味しいごはんで釣られるのは、物語の中だけだろう。
正直、本当に悪魔とやらがいたとしても不死竜エヴァ・ルータなら何とかしてくれそうなんだが、興味があるのは俺の体だけか……体か。
(少しだけ、本当に少しだけ俺の体を自由にして良いというのは?)
『人とは下らぬことで争う生き物のようだが、その行動原理は興味深い。
よかろう、知恵を授ける』
(倒してくれるんじゃなく?)
『直ぐにでもその体をよこすならいいだろう』
(いや、知恵でお願いします。
というか、さっきから楽になっているんだが、既に助けてくれているのか?)
『虫が煩わしければ払うだけだ』
うへっ、すでに『支配の王杯』の呪いとも言える力を払いのけられているのか。
だが、別段悪魔が降りるといったことはないようだ。
これなら借りを作らなくてもいいか――なっ!
「叔父様!?」
「えっ、何がどうなっているの! アンデッド!?」
どう見ても生きているはずのない教皇ゼギウス。
その体がむくっと起き出した。
心の臓がくりぬかれたまま動き出すその様子をみて、護衛騎士が悲鳴を上げながら逃げ出す。
外で様子を窺っていた護衛騎士も一緒に逃げていくようだ。
これから起こることに対して最悪の予感しかしない。
俺たちもとっとと逃げた方がいいのかもしれないが、それは無責任か。
『神の起こしたことは神が始末を付けるのが筋というものだ。
女神アルテアの真名を教えよう。
その娘の力なら降ろすことが出来るはずだ』
(ルイーゼに女神降臨をさせるというのか!?
そんなことをしてルイーゼは無事でいられるのか!)
『知らぬ。汝の方が詳しくあろう』
大丈夫だとは思うが、確証が欲しい。
せめて前例だけでも……前例はあるな。
たしか大聖女が、女神をその体に降ろしたとかいわれていた気がする。
それで死んだとかそんな話じゃなかったはずだが、記憶が曖昧だ。
それより今は――
「ルイーゼ、マリオン、さがれ!!」
「アキト様!」
「アキト、平気なの!?」
「心配を掛けた、もう平気だ!」
駆け寄る二人を連れてリゼットの元に向かう。
ベルディナードは驚きの表情を浮かべていたが、特に邪魔をする様子は見せなかった。
「よもや本当に退けるとはな……あの女が来るぞ。
もはや避けられないか」
あの女?
「うっ。アキト……」
「リゼット、平気か? 怪我はないか?」
リゼットが体を起こし、手足を動かすようにして確認する。
ベルディナードがいっていたように、確かに命に別状はなさそうで一安心だ。
「ア、アキト!? あれは一体!」
別の問題が残っていた。
赤黒い魔力とも瘴気ともいえる力が教皇ゼギウスの体から溢れ出す。
その様子はまるで燃える炎のようでもあり、ひたすらやばいという予感しかしない。
「詳しく説明している暇はないが、どうやら悪魔が降りてくるらしい」
「……訳がわかりません」
「だろうな。実は俺も良くわかっていないんだ。
本当は逃げるべきなんだと思うが」
「アキト様、大叔父様が始めたことです。
私に出来るならばやってみます」
それは既に何をするべきなのかわかっている顔だった。
俺に依存性の高いルイーゼが、俺以外のことに執着するのは良い傾向だと思う。
まぁ、俺が無関係という訳じゃないし、どちらかといえば切っ掛けともいえる事態だが、それより――
「話を聞いていたのか?」
「何故かわかりませんが、聞こえていました」
「えっ、なに? 私は聞こえなかったわよ」
聞こえたのはルイーゼだけらしい。
だが、それを説明する時間は与えられなかった。
「不味い、直ぐに飛ぶぞ!
ベルディナード、死にたくなければ俺に触れていろ!」
教皇ゼギウスの体に集まっていた力が、臨界を迎えるのを感じ取った俺は、直ぐさま『空間転移』を唱える。
もちろん、ある意味感心するほど物事に動じていない三人の少女を抱えての転移だった。
こんな時でなければ両手に花どころではないのだが、今は大人しくしてくれるだけで良しとしよう。
「面白い」
ベルディナードがそう呟くのと転移するのはほぼ同時だった。
転移先は突入前に神聖エリンハイム大教会を見据えていた場所。
ここが安全なのかどうかもわからない。
とっさに思い浮かんだのがここだった。