サキミコンコン 其ノ弐
002
四月六日の始業式の日、高校一年から二年に上がった僕は、新しいクラスを確認するために、私立未佐瀬高校の東側、昇降口前の掲示板に向かっていた。
何故、本来登校して最初に生徒がいるべき場所であるはずの昇降口に僕がいないのかというと、答えは簡単である。
僕はいつも西側の裏門から登校しているからだ。
つまり、昇降口に行くには学校についてからも少し歩かなければならない。
ちなみに、内履きは、手続きをすれば裏門側の下駄箱を借りることができる。
そういう経緯で僕は、朝の学校の廊下を歩いていた。
学校の皆が東側に集中しているからなのか、それとも、登校時間までには、まだ余裕があるからなのか、西側の校舎は静まり返っていた。
こうも静かだと、始業式の日は実は明日で、僕は間違って一日前に登校してきてしまったのではないかいう不安感に駆られてくる。
まぁ。
そんなことはある筈がないのだけれども、ある筈のないことが起こることに恐怖を感じるのが人間というものであると僕は思う。
そもそも、ある筈がないという固定観念がいけないのだ。
ある筈がないと思い込んでいるから、驚き、恐怖する。
なら、逆に何事も起こりうるし、それは当然のことなのだと思い込めば、人間が驚いたり、恐怖したりするということはなくなるのではないか。
しかし、僕は、僕自身のこの主張に反論する。
起こるとわかっていようがいまいが、驚くものには驚くし、怖いものは怖い。
わかっていてもできないことのほうが人間多い。
けれども、それでこそ人間らしいのではないかと僕は思う。
などと、考えても仕方のないようなどうでもいいことを僕は真剣に、朝っぱらから考えながら、廊下を歩いていた。
「あっ、解さんじゃないですか」
後ろからの突然の声に振り返る。
その一瞬で、今まで考えていたどうでもいいようなことがすっぽりと頭から抜け落ちる。
そして、振り返った先には、長い黒髪を揺らしながら、可愛らしく、とても清楚な女の子――恩妙寺和がそこにはいた。
恩妙寺家四魂姉妹の三女、家事万能で正確も良く、かなり出来た子だ。しかし、極度の人見知りで、初めて会った頃なんかはまともに話もできなかったが、今となっては彼女の気軽に話せる人くらいにはなれたようだ。
それというのも、去年の夏の出来事が大きいのだけれど。
去年の夏。
和ちゃんが虫に寄生されたあの出来事をきっかけに彼女は少しずつだけれども、僕に心を開いてきてくれている。
「おはよう、和ちゃん、こんなところでどうしたの」
「いえいえ、偶然にも、解さんのお姿が見えましたので、僭越ながら話しかけさせていただきました。」
相変わらずの丁寧な話し方に少しだけれども距離を感じてしまう。
きっと、彼女自身が無意識に、僕、と言うか男性に対して距離を置いて話しているからなのであろう。
しかし、そんな無意識の言動が彼女の奥ゆかしさを表しているものなのかもしれない。
「そっかそっか、そういえば和ちゃんは今年からこの学校か、」
「はい、お姉ちゃん達と、解さんとも、同じ学校になります。」
『解さんとも』というセリフに一瞬ドッキリしてしまったのは内緒である。
「ということは、奇ちゃんも来年はこの学校に来ることになるのかなぁ」
そう、和ちゃんの妹に当たる奇ちゃんは現在中学三年生、去年までは完全な登校拒否のひきこもりだったが、三学期は頑張って通い始めていたらしい。
奇ちゃんともまた、冬にいろいろあったのだけれども、それをきっかけに少しでも奇ちゃんの中で変化が起こっているのなら嬉しい話である。
「うーん、どうでしょう、あの子は最近では良くなったものの、高校に行くかどうかは、まだ悩んでいるみたいです。」
「そっか、でも、大丈夫、奇ちゃんは少しずつだけど成長しているし、きっと、悪い方向には進まないよ、まぁ、僕としては奇ちゃんにも高校生活を楽しんで欲しいのだけどね。」
「そうですね、案外、解さんから言えば、来てくれるかもしれませんよ。」
和ちゃんは少しはにかみながら僕に答えた。
「それなら良いのだけどね。」
「ですね、」
和ちゃんはそう言って僕に笑いかけてくる。
僕から見たら年下の女の子なのだけれども、やっぱり和ちゃんもお姉ちゃんとして、奇ちゃんのことを気にかけているらしい。
本当にどこまでも出来た子である。
「そういえば、解さん」
「ん?」
和ちゃんは唐突に別の話をしようとする。
僕的にも奇ちゃんの話が一段落して、何を話そうか考えていたところなのだけれども、僕よりも先に和ちゃんの方から話題を振ってくれるようだ。
「少し前から女子の間で流行っている噂をご存知ですか」
「噂?」
「はい、なんでもお呪いをすれば、自分の望みが叶うとか、叶わないとか、そんな噂です。」
お呪い。
確かに、和ちゃんが出す話題としては、最適なものである。
お呪い、呪い、呪術、それらを得意とする陰陽師こそ、彼女、恩妙寺和なのだから。
だが、僕はこのお呪いに関する噂を聞いたことがなかった。
そもそも、和ちゃんは女子の間でという前置きを言ったのだから男子である僕が知っていないというのも、道理としたら、道理であり、その通りなのだ。
「お呪いの噂か、今初めて聞いたよ。」
「そうですか、私の調べた限りこのお呪いは降霊術の一種みたいですね。」
「降霊術って、コックリさんとか、四角とか佰物語なんかもそうだよね。」
「はい、よくご存知ですね、やった事がおありですか。」
「いや、やったことはないよ。」
そう、やったことがない、昔から、周りのやつから誘いを受けることはあったが、小さい頃から妖怪的な、人ならざるものが日常的に見えてしまっていた僕は、参加することをしなかった。
参加せずとも見えているし、いるのがわかるからこそ危険性も感じていた。
「それと関係あるかはわかりませんが、この学校の生徒が何名か、春休み中に行方不明になっているようです。」
「それは、穏やかじゃないな、もしもそのお呪いが原因で生徒が行方不明になっているのなら、なんとかしないといけないけど、本当にお呪いが原因なのかなぁ」
「それが、お呪いによる被害という可能性が高いのですよ」
「どうしてだい」
「行方不明の生徒が全員、女生徒だからです」
なるほど、納得がいった。
女子の間でしか流行っていないとすれば、お呪いをしてみようとするのもまた、女子となる。
確かに、筋が通っている。
それなら、被害に遭うのは女子だけだし、時期を考えてもお呪いによるものだと考えるのが妥当だ。
「一人もまだ見つかっていないのかい」
「いえ、発見された子もいたそうですが、皆、生気を抜き取られたように衰弱しきっていたそうです。」
「和ちゃんならなんとかできおないのかい、専門だろ」
すると、和ちゃんは少し困ったような顔をする。
「それは、無理です、私は術者ではありますが、今回のように呼び出されてしまった妖怪の類の専門ではないので、」
「それなら、荒さんならどうだろう、あの人なら退治専門だし」
「そうですね、私も昨日お姉ちゃん達にその話をしました。」
「そっか、なら、あとは任せても大丈夫かな」
「それが、一概にそうとも言い切れないのですよ」
「ん、それはどうして」
「何が呼び出されているかわからないからです」
何が呼び出されているかわからない。
わからないからこそ何とも言えない。
何が起こるかわからない。
故に対策が立てられない。
「なるほど、それで結局、昨日はどうなったんだい」
「はい、お姉ちゃん達からも調べてみるとだけ」
「そっか、状況はつかめたし、僕からサポートできることがあったらするよ。」
「よろしくお願いします。」
こんな具合に、僕はこの厄災の最初の情報を和ちゃんより得たのだった。