セーブルとブランシュ
セーブルは、目の前で優雅に紅茶を入れる狼王を見て、ほうと息を吐く。
見惚れてしまう程に美しい所作は、さすが元王という所だろうか。
どことなく溢れる気品は、トラやリルートには無い貫録も備えている。
これが『狼王』
全ての民の道標となり、纏め上げる孤高の王として冠されるのがこの国での『狼王』だ。
そんな人物の前に座っているのだから、ゆっくりと寛ぐ気分にはなれそうになかった。
「セーブル殿、そう硬くならなくて良い。私は、私的理由にて貴方を呼んだのだ。公的外交ではないのだから、私の入れたお茶を飲んで、語らってはくれないだろうか」
セーブルが緊張している事に気付いた狼王は、優しく語りかける。
その言葉に、セーブルはだんだんと緊張の糸が解れていく。
「それでは、いただきます狼王」
そう言ってセーブルは紅茶に口を付けようとしたが、それを狼王が次の言葉で防ぐ。
「狼王、それは昔の名だ。今はただのブランシュで良い」
「ブランシュ…様。それでは、私の事はセーブルとお呼び下さい」
「ああ、それでは改めて。ようこそ我が館へ、セーブル」
ブランシュは、セーブルへと微笑み、ゆるく小首を傾げる。
僅かに口角を上げ笑う様は、ここに世の女性が居たら十人中十人全てが恋に落ちるだろう破壊力がある。
セーブルは、この世界に来てからトラやリルートでイケメン耐性が付いて来たと思っていたのだが、大人の気品という物には耐性が無い。
うっかり無い胸をときめかせてしまいそうになったが、ぐっと堪え微笑み返した。
「くくっ、本当に噂と違わぬお人のようだ。私に笑いかける者等、最近では獅子王くらいだと思っていたのだが…セーブル殿は、異世界の住人だったと聞く。そんな貴方に聞きたいのだが、この世界は、いやこの国は、貴方にとって住みよいものだろうか」
ブランシュの瞳は、先程までの柔らかさを失くし、今は真剣そのものだ。
この問い掛けは、セーブルという別の世界の人間から見た、この国の意見を求めているのだろう。
王という立場で無くなった今も、この人は王なのだと、セーブルは思う。
それならば、セーブルが返す言葉は決まっている。
「私の居た世界は、此処よりも科学が発達し、文明としては高度な物でした。しかし…常に争いの絶えない世界でもあったのです。それに比べ、この世界はとてもバランスが取れ、上手く統治がされていると思います。自然が美しく、人々の笑顔が溢れるこの世界は、とても素晴らしいものです。私は、ここに来る事が出来て、本当に幸せなのです」
それに、もう元の世界にセーブルは帰れない。
あの世界で最後に見たのは、迫って来る大型のトラックと、綺麗な猫の姿。
あの時の猫がトラで、自分を別の世界とはいえ生かしてくれたのだから、もう元の世界に未練なんて無い。
目の前に居るブランシュも、その事は知っているのだろう。
本当は、帰れないからこそ、この質問をしたのではないだろうか。
そうだとしたら、この人もきっと優しい人だ。
「幸せならば、良かった。この世界は、多種多様な種族で成り立っている。皆、それぞれが己の種族を第一と信じ、時には戦争も起こるだろう。しかし、そんな中で貴方という存在は中立として世界を見極める事が出来る唯一の存在なのだ。今は、まだ自分の居る領地の事を第一に考えてもいいだろう。しかし、いつか時が来たなら、その考えを広めて欲しいのだ。貴方が幸せだと思う、この世界の在り方を。それまでは、色々な事を少しずつ学び、教えて欲しい。かたい話になってしまったが、今日はその一歩として、このジャムの楽しみ方を教えて頂けないだろうか」
小瓶を片手に微笑むブランシュは、まるでイタズラが成功した少年のようで、セーブルはくすりと笑ってしまう。
小瓶の中身は、以前獅子王へと献上したバラのジャムだろう。
「えぇ、もちろんですわ」
すっかり打ち解けてしまったセーブルとブランシュは、共に紅茶好きという事もあり、帰りには『定期的にお茶会をする』という約束をするほどだった。
この事実をトラやリルートが知れば、少し機嫌を悪くするだろうが、後学の為にもブランシュとは縁を繋いでおきたい。
それと、彼の淹れる紅茶は格別で、共に出されるお菓子も超が付くほどの一級品。女子として、こんなに魅力的なお茶会、参加しない筈が無い。
帰り際、ブランシュの見せた優しい笑みを思い出しながら、セーブルは今後について深く考えるのだった。