第19話
扉が倒れたと思った次の瞬間には、ベルの前にひざまずいていたはずのイヴが足元にうつぶせに倒れていた。その背中にはジェラールの片膝が乗っていて、イヴが起き上がれないようにしている。
うぅ、とイヴのうめき声が聞こえるが、大丈夫だろうか。
ジェラールはベルを上から下まで視線を走らせた。そして、ベルの頬に手を滑らせると、その手を上に移動させ、帽子をはぎとった。ベルの乳白色の髪がぱさりとこぼれ落ちる。
「ベル、無事か。」
頭をなでられながら、ジェラールはベルの目をのぞき込んだ。
その瞳を見た瞬間、直前までベルの頭の中にあった考えがすべて吹き飛んでいった。リュビ族とエムロード族の二人の王子をいがみ合わせてはいけない。自分がきちんと説明しなければと思っていたはずなのに。
もしかして、自分の身を心配して来てくれたのだろうか。
(うれしい……。)
しかし、同時に先ほど見たばかりのお似合いの二人が寄り添う光景が脳裏によぎる。この瞳が自分だけのものだけではないということに涙がこぼれそうだ。
ベルは顔を伏せて、目を閉じて何度も頷いた。
自分は無事です。
喉の奥につかえた重いかたまりを飲み下すことができれば、きっとこのままジェラールの側にいられる。それならそれでいいのかもしれないと思い始めていた。
「ベル、なにかされたか?」
思ったより近くから聞こえてくる低い声に目を開くと、ジェラールの鎖骨が見えた。伏せたベルの頭の近くに、ジェラールが顔を寄せている。
かぁ、と顔が熱くなる。いっそう顔を上げることができなくなってしまった。
「ベル?」
「あ、え、大丈夫、です。」
なんの質問をされていたのかさえ忘れて慌てて答えたが、ジェラールは納得しなかったようだ。ベルのあごに親指をかけ、かぎ状にした人差し指で、くい、と顔を上げられる。
「口紅が赤いな。」
親指でぐい、と拭われた。
仮装にあたって、口紅だけ塗られていたのだ。
「まだ残っている。」
ジェラールの顔を近づいてきた。
唇で口紅を拭う気だ、と思ったとき、無意識にジェラールの肩を押していた。
自分でもどうしてそんなことをしてしまったのか分からずに混乱したが、探るような目で見られていることが分かり、口から飛び出すままに言葉を発していた。
「こういうことは、誰にでもしていいわけではなくて……ジェラール様には、お似合いのかたがいますし、恋人と一緒にいるときに、他の女性にこういうことをするのは、リュビ族はどうか分かりませんけど、わたしにとっては……んぅっ。」
言葉を遮られ、唇を塞がれた。ちゅっと音を立てて唇が離れると「っ……ですから」と続けようとしたが、再び口づけられた。今度は長く、唇を吸われる。ジェラールの肩をばんばんと叩き、口が自由になったところで叫んだ。
「ごまかさないでくださいっ!」
涙目で駄々をこねる子どものような自分が嫌になる。




