第17話
サフィール族っておもしろいよね。普段はしかつめらしい顔をして分厚い法律書をにらんでいるっていうのに、コスプレが大好きだなんて。ストレスが多すぎて、ぷっつんきちゃうのかな。」
この目で見るまで信じられなかったが、イヴの手を借りて馬車を降りたベルは、目の前に広がる色とりどりの衣装たちに息をのんだ。
実は、馬車が車止めに止まってから、雰囲気に気圧されたベルが「やっぱり帰る。」と散々ごねたのだが「こんなところで止まっていたら後のお客さんに迷惑だよ。」とイヴに言われて、しぶしぶ馬車から出てきたのだった。
車寄せから正面入口に向かう人々は、皆思い思いの格好をしている。今回の夜会はサフィール族が主催のもので、なんでも仮装をして出席するのが決まりだそうだ。そういう隣のイヴも、お仕着せの女装のままで、美少女に変身している。それに対してベルに用意されていたのは、すっきりとしながらレースがふんだんに使われた黒のドレスと、頭をすっぽりと覆い、顔を隠すヴェールの付いた帽子だった。これらはすべて、なぜかイヴに用意されていた。
イヴいわく「テーマは戯曲の中の一場面。若い恋人のもとへ忍んでいく貴婦人とそれを手引きする使用人。」だそうだ。
たしかその話はこうだ。年老いた貴人のもとへ親の命令で嫁いだ少女が、別の若い男と恋に落ちる。使用人の手引きで何度も逢瀬を重ねるうちに、ついに夫に浮気が発覚。恋人とは引き離され別邸に幽閉されるという、なぜその戯曲を選んだのかと言いたくなるような微妙な話だ。
夜会の会場入り口で、会場に向けて到着が告げられたときは「アンフィデル夫人とその使用人」と仮装の名前で呼ばれた。
もしジェラールがいたとしても、口元しか出ていないので気付かれることはないだろう。
(心臓に悪いわ。ジェラール様の姿を一目見たら、すぐに帰ろう。)
侍女の目をごまかして出てきてしまったので、今ごろ屋敷では騒ぎになっているかもしれないとベルは気が気ではなかった。
そして、先ほどからイヴが「イヴ王子」と声を掛けられているのはどういうことだろうか。
イヴは声を掛けられるたびに、しっ、と唇に人差し指を当て「いま奥さまはお忍びなので、黙っていてくださいね。」と役になりきってウインクしている。
ベルの衣装は全身が黒色で、口元だけが見えている。白い肌の中の赤い唇が、ぱっと咲いた花のようで扇情的だ。周囲の人たちが「隣にいる女性は一体誰だ。」と興味津々でのぞきこんでくる。
ベルは前を向いて歩くのが精一杯で、イヴに質問したくてもできなかった。
どこか人目に付かないところでいったん休みたいと、まっすぐ歩いていると、スツールが並べてある場所があった。スツールに腰を掛けている人たちがいる中で、ちょうど二人分の席が空いている。良かった、とベルの足が速くなった。
「あ、ちょっと待って。」
イヴが引き止める声は聞こえていなかった。
ほっと息をついてスツールに座ると、隣をぽんぽんと叩いてイヴに座るように示した。
イヴは額に手を当てて「あちゃあ。」と天を仰いだ。
くすくす、と声が聞こえて左右を見て初めて、注目を浴びていることに気が付いた。周囲の目は好意的なものではなく、さげすむようなものだった。腰を掛けている人ばかりではなく、立って談笑していた人たちさえ、一斉にベルを見ていた。嘲笑を浴びて、ベルの全身がこわばる。
「おやおや、この夜会の質も下がったものだ。許可もなく腰かけるような不作法者が紛れ込んでしまうとは。これ、どこの娘かね。」
隣に座っていた口ひげをたくわえた壮年の男性が、ベルをのぞきこんだ。
「もう、そんなことはいいですわ。ほら、さっさと行きなさい。ここはあなたが来ていい場所ではないわ。さぁ、みなさん、なんの話をしていたかしら。」
しっしと手を振って、奥に座っていた女性がベルを追い払った。ベルは勢いよく立ち上がると、うまく動かない身体を叱咤してその場を離れようとした。
涙でにじんだ視界にイヴの姿が見えたが、このまま泣いてしまっては連れてきてくれた彼にも申し訳ない。
涙がこぼれそうになるのを我慢していたところに、背後から「嫌だわ、誰が連れてきたのかしら。」とぼやくような声が聞こえてきて、ついに決壊してしまうと思った瞬間。
「僕の連れが失礼したようで。」
と、イヴがスツールに座った人たちの前に進み出て礼をした。
「イヴ王子でしたか!」
周囲の空気がふっと緩み、温かい笑いが起こった。
「エムロードのいたずらっ子に、またやられましたなぁ。」
「連れの女性に同情しますわ。イヴ王子のいたずらに付き合わされて、おかわいそうに。」
ほほ、と笑いながら先ほどベルを手で払った貴婦人も笑う。
「今日のあなたの姿ときたら、パメラ姫そのものですね。彼女の服も、あなたが?」
「えぇ、そうですよ。」
とベルの背に手をそっと添え「背筋を伸ばして。」と耳元でささやいた。
「こうした夜会は僕の見せ場ですからね。彼女の服のデザインも、僕が手掛けたものです。こうして皆さまに見ていただくことができて、うれしく思います。」
ベルの装いを眺めて「大胆であり繊細。絶妙のバランスだ。」「素敵。さすがはイヴ王子ですわ。」と口々に賞賛する。「わたしは最初から、センスのいいドレスを着た娘だと思っていましたよ。」と言うものさえいた。
会話に加わるように席をすすめられたが「まだこのドレスを見せて回らなければならないので。」とイヴがいたずらっぽく断り、その場を後にした。




