第3話
「おじいさま」
その集団に近づいて行く勇者二人を、会場中が息を飲んで見つめるなか、アニーは祖父に呼びかけた。会話がぴたりと止み、しんと静まりかえった。再び会話の音が戻ってきたが、誰もが注目していることは肌を刺すような視線で感じていた。
お呼びでないとでも言うように、老人はかすかに眉をひそめたが、すぐに孫を歓迎する態度をとった。アニーのいとこであるシトロン族の王女など、不快であることを隠そうともせずに睨んでいる。
「ごあいさつが遅れて申し訳ありません。本日は、お招きいただきありがとうございます。こちらは、わたしの友人で、サンテ家のベルですわ」
「はじめまして、どうぞよろしくお願いします」
ベルは声が震えないようにするのが精いっぱいで、それ以外何も言うことができなかった。
そして思い切ってちらりと斜め上を覗き見て、リュビ族の王子と目が合い、慌てて顔を伏せた。ベルはそれだけで胸が詰まり、何かをやり遂げたような気持ちになった。一度のまなざしをもらった、それだけで、きっとこの先何度も思い返してひたることができるだろう。
「あぁ、そうか。どうぞ、楽しんでいってくれ」
老人が早く会話を切りあげたがってるのが、ありありと伝わってきた。まるで追い払われるようにその場を後にしようとした時、斜め上からぼそりと呟かれた言葉がベルの耳に届いた。
「次は、ドレスをプレゼントするべきだな」
アニーの祖父が「は、」と思わず聞き返した。呆けたような顔をしていたベルは、その意味を理解した途端、真っ赤になった。ベルの流行遅れのドレスに対するあてこすりだ。
「このドレスは、母の、お下がりで……だって、これしか……」
気が動転して、自分が何を言っているのかも分からなかった。鼻の奥がつんと痛み、泣いてはいけないと思うはなから涙があふれそうになった。
恥をかかされたアニーの祖父がぶるぶると震えだした。アニーは、はっと我に返りベルを引っ張って素早くその場を辞した。そのおかげか、その後のパーティーは特に問題もなく流れて行ったようだった。
二人は庭につながる扉の陰に隠れた。側に人がいないため、ベルは涙が落ち着くまで、そこにうずくまっていた。
「ごめんなさいね、こんなことになってしまって」
「アニーのせいじゃないわ」
ベルはまだ鼻声だったが、小さな声で言うと、大きく深呼吸をして立ち上がった。
「これにこりて、田舎でおとなしくしてるわ。やっぱり、身の丈に合わないことをするものじゃないわね。遠くから眺めているのがちょうどいいみたい」
アニーにもまだ言ってなかったことだが、ベルは卒業したら中央を離れることが決まっていた。だから、中央のパーティーに参加するのは、これが最初で最後。さっきのことはとても恥ずかしくて、ここにいる誰とも二度と顔を合わせたくないとは思うが、そもそもその機会はもう巡ってこないだろう。もういいのだ。ひどいことを言われたが、都合の悪いことは忘れてしまおう。視線をもらえた。そして、言葉も。その思い出だけをもらって、ベルは消えるのだ。
「卒業したら、故郷に戻るの?」
ベルは言葉を飲み込み、少しためらった後、意を決したようにアニーをまっすぐに見た。
「実は、おじさまのところに来ないかって、言われてるの」
「おじさまって、例の名付け親?」
「そう、わたしの名付け親で、女学院の費用だけじゃなく、家のことすべて援助してくださっている、あしながおじさん。会ったことはないけど、月に一回手紙のやりとりをしているわ」
アニーは顔をこわばらせ、身を乗り出してベルを覗き込んだ。
「ねぇ、それって……」
「それ以上言わないで、お願い」
ベルは、両手で顔を覆った。
援助してくれる老人のところへ若い女性が行くということがどんなことを意味しているのか、わざわざ言われなくても分かっている。
すでに返せないほどの援助をしてもらっているのだ。ベル一人がなぐさみものになるだけで、家族や領民がどれほどの恩恵をあずかれるか。こんな話は、どこにでも転がっている。そうやってベルは自分を納得させようとしていた。
アニーは、何も言うことができなかった。