第2話
「もう少ししたら、おじいさまのところにごあいさつに行きましょう。あなたを紹介するから、一緒に来てね」
ベルは緊張の面持ちでうなずいた。そして、話しかけるタイミングを遠くからうかがっていた、その時だった。
突然、会場がざわつき出した。
何事かと周囲を見渡すと、アニーの祖父や、王族たちが慌てて会場入り口に向かうのが見えた。
その先に目を向けたアニーが、小さな悲鳴をあげた。
「うそ」
彼女の唇から漏れた言葉に、ベルも人だかりの中心にいる人物を見た。
該当の人物はすぐに分かった。明らかに異彩を放っている。
鮮やかな、赤い髪。
リュビ族だ。
シトロン族やパルレ族のような半貴族ではない、正真正銘の貴族。それだけではない。リュビ族は五大貴族の一つで、サフィール族と並び立つ皇帝ディヤモン族の左右なのだ。
彼がそのリュビ族の中でも特別な存在であることは、周囲を囲む他の王族たちの様子から分かる。
「王子だわ」
ベルはその意味が分からずに、アニーに聞き返した。
「あのかた、リュビ族の王子だわ」
「まさか!本当なの?」
「一度、遠くから見たことがあるの」
どうしてこんなところに、と呟くアニー。
ベルはもう一度視線を赤い髪の青年に戻した。
物語に出てきそうな、女性ならば誰でも憧れる完璧な王子様がそこにはいた。
見たところ、誰も同伴していないようだ。それとも、すでに会場にいる誰かと会うために来たのだろうか。
今や、会場全体の意識が一人の人物に集中していた。しかし本人は、それに気負うことなく、ぞろぞろと後ろに人々を従えて、堂々と会場の中央へ向かう。長身に見合った長い脚で一歩踏み進める姿は、武のリュビ族と言われるだけあってとても力強い。一瞬にして会場全体を支配下に置いてしまった。
ほう、とアニーがため息をついた。上下する胸に手をあてて、どうにか興奮を抑えようとしている。
「こんなに近くで見るのは初めてだわ。同じ会場にいられることすら、滅多にないの。あぁ、どうしましょう」
意味もなくベルの腕にすがった。
すがりたいのはベルのほうだ。恋物語に出てくるヒーローは、いつもリュビ族と相場が決まっている。リュビ族は情熱的な恋人として知られていて、女性の憧れの的なのだ。ベルも例に漏れず、まさにあの王子のような、洗練されたたくましい赤い髪の男性を心の中の恋人役として思い描いていた。
アニーはじっとリュビ族の王子を見つめながら、何やら思いを巡らせていた。
「ねぇ、わたしたち、まだおじいさまにごあいさつしてなかったわよね」
ごくりとのどを鳴らせて、アニーがベルを振り返った。
「それを理由に、近くに行けるんじゃないかしら」
ベルの瞳が揺れた。
恐ろしい考えだ。しかし、魅力的でもある。
とてもではないが、何もなしにあの集団に近づくことはできなさそうだった。アニーが言う名目があれば、多少無理があるとはいえ、言い訳にはなる。
なにがベルにそうさせたかは分からない。しかし、常にはない大胆さで、広間の中央にいる集団に近づいた。
会場の緊張は飽和状態で、誰かが針を落としただけでも爆発しかねない危うさがあった。