第7話
生垣を挟んで、二人は再会を喜び合った。
「ベル、どうしてここにいるの?」
「それが、わたしも分からないの。おじさまのところへ行くって連れてこられたのがここで、でも、何も言われないし、することもなくて……」
アニーは色々と想像を働かせていた。
縁もゆかりもない少女を援助する目的は、いずれ自分自身が楽しむか、手持ちの駒として貢物にするか、そのどちらかだ。ベルのパトロンが後者だとして、使用人という名の愛人としてベルを送り込んだのだろうか。明らかにベルに適していない役割だし、王子があっさり受け取っているのが納得できない。王子に取り入ろうとする貴族は数えきれないほどいる。もし王子がそれらを一々受け取っていたら、今頃、妻や愛人をたくさん抱えているはずだ。
「そのおじさまって、何者なのよ」
ベルはただ困った顔で首を傾げるだけだった。
二人の間に割って入る声がした。
「お嬢さま」
アニーは一瞬、自分が呼ばれたのかと思った。いつの間にかベルの斜め後ろにいた侍女が「応接間にお茶を用意をしております」とベルに頭を下げている。
ベルは目をぱちくりさせた。
「え、いいんですか?」
「もちろんでございます。ご友人のかたは、別の者に案内させましょう」
アニーの背後でも別の侍女が頭を下げているのに気が付いた。
ベルとアニーは視線を合わせ、言葉に従うことにした。
アニーは来客用の棟とは違う棟へ案内されながら、ベルが「お嬢さま」と呼ばれていたことが気になっていた。ベルのために用意された侍女たち。ベルが侍女の手当てを払えるはずがないから、王子かパトロンが手配したのだろう。ベルが屋敷に連れてこられたと聞いたときは、使用人という身分だとばかり思っていたが、一体、どういうことなのだろう。
王子と愛人。
「まさかね」
一瞬浮かんだ考えを振り払った。
「アニーはどうして、今日ここへ来たの?」
「本当は来るの、嫌だったのよ。おじいさまが、うちのいとこと王子の縁談が進んでいるから、王子の女性関係を知りたいっておっしゃるの。それで……」
アニーはため息をついた。不本意だということがありありと伝わってくる。
「ベルに会えたのは幸運だったわ。こんなことを聞いて申し訳ないけど、王子に特別な女性はいるかしら?」
ベルは少し前に会った美女のことを話した。
「王子はまだ誰とも結婚していないわよ。恋人の一人かしらね。そうではなくて、この屋敷で暮らしている貴婦人がいないかどうか知りたいの」
「他の棟のことは分からないけど、少なくともこの棟にはいないと思うわ」
ベルは逆に聞き返した。
「アニーのいとこって、シトロン族のお姫さま?王子さまと結婚されるの?」
「そうなの。パーティーの時も、王子は彼女に会いに来ていたのよ」
「すごい、ロマンスね!」
ベルの瞳が輝いた。女学院にいたときも、この手の話が大好きだった。特に五大貴族の王子が、身分違いの半貴族の姫を愛する恋物語を、何度もなんども読み返していた。
素敵、と胸の前で両手を組んだベルを見たアニーは、自分が一瞬考えてしまったことが違うと分かって安心した。
お互いの近況を話し、いざ帰ろうとしたとき、不測の事態が起こった。アニーの馬車の車輪が壊れたのだ。これでは帰ることができない。
来客用の棟の車寄せまで見送りに来ていたベルは「どうしましょう」にあたふたしている。
アニーはすぐに祖父の仕業だとぴんときた。
祖父の策略に乗る気がないアニーは、王子が戻ってくる前に早々に屋敷を去りたかった。馬車を貸してもらおうと、様子を見に来た管理人の青年に話しかけようとしたとき、遠くの門から一台の馬車が近付いてきた。
王子が帰ってきてしまった。
馬車はまっすぐにアニーたちのところへやってきて、滑らかに止まった。
音も立てずに、凄烈な力強さを全身に湛えた赤い髪の男が優雅に地面に降り立った。
ぼうっと見とれていたアニーは、周囲の使用人たちが頭を下げたのをきっかけに、弾かれたようにスカートをつまみ腰をかがめた。
ベルがただ一人頭を上げているのを、アニーは視界の端に捉えた。注意しようにも、動けない。
「ベル、客か」
王子はベルの正面に立ち、風で乱れていた髪を大きな手ですいて直した。
「あ、はい……。わたしの、女学院の友達で、アニー」
アニーはようやく頭を上げた。
王子はベルの髪を弄っていた手をそのまま彼女の肩に移動させ、アニーの方を向いた。
「ベルが世話になったな」
アニーは淑女にあるまじきことに、開いた口がふさがらなかった。
平然とした王子の顔と、若干上体を横に傾け王子から距離を取ろうとしているベルの顔とを何度も見比べて、脱力した。
噂の正体が、そこにあった。




