第6話
アニーは無理やり乗せられた馬車に揺られ、王子の屋敷を目指していた。
最近の祖父はおかしい。
卒業式の日はとても機嫌がよかったというのに、今日呼び出されたときは目が血走っていた。とにかく王子の屋敷に向かい、そこにいる囲われている女が何者なのか見て来いというのだ。「そんなこと出来るわけがない」と答えたアニーに、老人は秘策を授けた。今アニーが手に持っているブローチだ。裏面にはリュビ族王家の紋章が刻まれている。
「これを、前のパーティーの忘れものとして持っていくんじゃ。王子は不在のはず。待たせてもらうふりをして、屋敷内を探ればよい」
「でも……」
「シトロン族の未来に関わること。これまでわしがしてきてやったことを思えば、出来ぬとは言えんはずじゃ」
アニーは顔を真っ赤にして、その恥ずべき役割を受け入れた。アニーの家族の生活は、すべてこの老人が握っている。
「王子さまに、愛人かぁ」
どんな女なら、あの迫力の美貌の隣に立つことができるのか興味がある。パーティーでの王子の立ち姿を思い浮かべてみた。果たして釣り合う女が存在するのかどうか。自分だったら裸足で逃げ出す。美姫と名高いいとこの姫でさえ、手に余るだろう。
とうとう馬車は王子の屋敷までやってきた。屋敷の門の前で警備に止められ、シトロン族の大使のおつかいでと伝えると、内側に通された。そのまま来客用の棟に進む。
予定通り王子は不在だった。代わりに出てきたのは、屋敷の管理を任されているという青年。用件をうかがいますと言われ、慌てて「本人に直接お伝えします」と答えた。
王子に会えなくて残念という表情を作りつつ、窓の外の庭に目を留めた。
「素晴らしいお庭ですわ。実はわたくしの庭も、今度手を入れ直させようと考えておりますの。あら、あのバラのアーチなど、とても見事ですわ。見せていただいてもよろしいかしら」
手を入れ直させる庭などもちろん持っていないので、口から出まかせだ。とりあえず時間かせぎをしようと散歩をしていると、思いがけない人物と出会った。中央では珍しい、乳白色の髪。生垣の向こう、木々の隙間から後ろ姿が見えるだけだが、間違えるはずがない。
「ベル!」
アニーは思わず、ここにいるはずのない友人の名を呼んだ。
ベルが屋敷に来てから初めて、ジェラールが出廷した。
一人残され、あまりにもすることがなかったので、ぶらぶらと庭を散歩し、庭の端にあるベンチに腰をかけた。あいかわらず、使用人の仕事は手伝わせてもらえない。あしながおじさんへ手紙を書くことも考えたが、以前「必要ない」と書きかけの手紙をぐしゃりと握りつぶされた経験から、それでも書こうとするほどの勇気はなかった。
遠くから眺めるぶんには鑑賞しがいのある王子の美貌は、近くで見ると心臓に悪い。いまだにまっすぐに顔を見れないというのに、あの図書館の事件以来、王子はなにかとベルに近づこうとする。逃げ回るのにも疲れてしまった。今日は王子が不在なおかげで、とても穏やかだ。
ふと、名前を呼ばれた気がして、左右を見回した。
「ベル!」
思い違いではない。今度ははっきりと聞こえた。しかも、この声は。
「アニー?」
振り返った先に、生垣の向こうで手を振る金髪の少女がいた。




