第5話
面会を求めてから30分もしないうちに、皇帝の小姓がジェラールを呼びに来た。表の入り口は面会を求める人の列が出来ているので、別の入り口を案内された。
謁見の間はすでに人払いがされ、皇帝が一人、窓の側に立っていた。撫でつけられた銀色の髪が光を反射し、すべてを見透かすような澄んだ瞳がジェラールを見た。
「少し目にしないだけで、ずいぶん久しい気がするな。……見るに、しっかりと休養はとれたようだ」
「おかげさまで。しばらく席を空けましたこと、申し訳ありませんでした」
「よい。以前よりそなたから聞いておったことゆえ。して、いつになったらその娘を余の前に連れてくるのだ」
皇帝は手でジェラールに椅子をすすめ、自身もその前に座った。
「今はまだ……。彼女は何も知りません。しかし、かえって好都合だと考えております。気負わず、新しく始めたいのです」
ふ、と目元を和らげた皇帝は「若いのう」と、まるで小さな子どもを前にしたように、ひげをたくわえた口元をほころばせた。
「我に恋せよ、とな」
対するジェラールは、表情を変えずに、わずかに視線を下げた。
「立場ある人間が、他人の思惑を顧みずに一個人として行動しようとすれば、困難が付きまとう。あまり欲を張るでないぞ」
ジェラールの周囲で何が起きているのか、すべてを理解した上での言葉。
「はい」
琥珀色の瞳が赤みを増し、強い瞳で皇帝を見返した。
皇帝は王たちの王だ。だが、その関係は主従関係ではなく、命令はある特定の裁判を除いて、各王たちを従わせる強制力はない。様々な王たちがこの皇帝の助言を求め、従うのは人徳のなせるわざなのだった。
話は数週間前にさかのぼる。
ベルとアニーがシトロン族のパーティーに出かけた日の夜、シトロン族の翁の部屋から奇声がし、使用人がおびえていた。
「うぉおおおおおおおおおおぉぉ、ぉ、うひょ、うひょっ」
ついにこの日が、とぶつぶつ呟いていたかと思うと、突然叫び出し、そして笑い始める。
あまりに望外のチャンスが目の前に突然ぶら下げられたのだ。これが、興奮せずにいられるだろうか。
今夜、リュビ族の王子が自分の屋敷にやって来た。半貴族の開催する夜会に、貴族がやってくることさえ稀だと言うのに、それが王子ともなればなおさらだ。
これは何を暗示しているのだろう。
決まっている。
シトロン族とリュビ族のさらに深いつながりを、だ。
「孫の姫は、年齢的に王子と釣り合う。リュビ族は強い男が何人妻を娶ってもよいことになっているが、まだ王子には一人も妻がいない」
前から懸案事項だった、街道の通行許可の拡大や、他領からの不法侵入の問題が一気に解決するかもしれない。その代わり、姫には持参金をたくさん持たせよう。もう一人の適齢期の孫アニーもおまけで付けてやっても良い。もし彼が姫に飽きたときの保険だ。お手付きになり子でも生まれれば万々歳ではないか。
次の日から翁がしたことは、噂を広めることだった。
「あそこにいるのはジェラール王子か。おお、こうしてはおれん。この間、我が家の夜会に来てくださったお礼を申し上げねば」
わざと大声で言えば、思惑通り、宮廷人が食いついた。
「王子が、あなたの夜会にいらしたんですか」
「そうなんじゃ。姫もたいそう喜んでおりましたわ。リュビ族が情熱的だというのは真実なんですなぁ」
ほっほっほ、と笑えば、相手が自分を見る目が変わったのが分かった。姫と王子が特別な仲だと匂わせたのだ。嘘は言っていない。
待てよ、と翁は考えを巡らせた。
縁戚関係になるのならば、以前却下された、あの「特例区の設置」でさえ望めるのではないだろうか。
「これは内々の話なんじゃが……」
シトロン族の翁の野望が、動き始めた。
奇しくもリュビの王妃が言ったように、とち狂っているとしか言いようのない、興奮状態で。
助詞を修正しました。




