#46:ドッキドキ、初体験!
「ねぇ、井沢さん。いつ、会わせてくれるんですか? オカユナに」
「ごめん、麻那美ちゃん。彼女、忙しいのよ。事務所にも中々顔出してくれないから、合わせる機会がなくって」
「オカユナに会わせてくれるって言われたから、読者モデルのアルバイト、引き受けたんですよ?」
「それは、そうなんだけど、もう一回だけ、お願いできるかな? 今、他に頼める子がいないのよ。この通り、人助けと思って、お願い!」
「もぉー、しょうがないなぁー、今度オカユナに会わせてくれなかったら、このアルバイト、もう辞めますから」
「そう言わずに、もうちょっとだけ、続けてくれない? 社長もあなたのこと、気に入ったみたいだし」
「あれから、色々と考えでみたんですけど… わたし、やっぱりサッカーを続けたいんです。あの時は、もう少しで手に掴みかけてたU17代表の座、練習中のちょっとしたケガで落とされちゃったんです。だから、すっごく落ち込んでいたのは確かなんです。なんで、こんな大事な時にケガなんてしたんだろうって、自分を責めてた。それで、ヤケになってて… 他の道を色々考えてたり。そしたら、街中で井沢さんに声掛けてもらって、色々と相談に乗ってもらって。急にお姉さんができたみたいで、ちょっと嬉しかった。だから、井沢さんには感謝しています。読者モデルのアルバイトは、オカユナに会いたかったのも確かなんですけど、井沢さんへの恩返しのつもりだったんです」
今、ふと思い出したけど… そういえばあの時、そんなこと言ってたわね、麻那美ちゃんは。オカユナに会わせる、なーんてこの業界に引き込むための大ウソ。そのこと、薄々気づいてたみたいだったのよね。今思えば、悪い事しっちゃったかなぁー、なーんてね。結局、その後、連絡取れなくなっちゃったわけだし。
今の真結花ちゃんは、どうなんだろう? まだサッカー、続けてるのかな?
「井沢さん! 前! ブレーキ踏んで!」
「えっ!」
キキーッ!
「ふぅーっ。あぶなかったー。まさか、猫が飛び出してくるなんて。真結花ちゃん、大丈夫?」
「あっ、はい。大丈夫です。井沢さんこそ、大丈夫ですか? さっき、ボーっとしてましたけど? もしかして、昨日の酔い、まだ残ってるんじゃないですか?」
「ごめん、ごめん。ちょっと、考え事してたの。真結花ちゃんが声掛けてくれなかったら、今頃あの猫ちゃん、天国に行ってたかもしれないわね?」
「そうですよ、今頃、井沢さんは殺猫犯で御用になってましたよ?」
「ふふっ、ほんと、そうよね?」
「ふふっ、そうですよ」
プルルル… プルルル… プルルル…
「井沢さん、電話ですよ?」
ダッシュボードのフォルダーから携帯を取り出し、井沢さんに手渡すと、
「ありがとう。はい、もしもし、井沢です」
『あっ、井沢ちゃん? 山内だけど?』
「ごぶさたしてます、山内プロデューサー。どうしたんですか? こんな朝早くから、珍しいですね?」
『そがさぁー、聞いてよ、井沢ちゃん。今日の撮影、予定してた一般応募のモデルの子さぁー、体調不良でドタキャンしちゃったんだよ。替わりの子、押さえてなかったから朝から大騒ぎ。あっちこっち、電話掛けてんだけどさぁー、急な話だから、どこもモデルの子の都合がつかなくって困ってんだよ。それで、井沢ちゃんの所に電話掛けたってわけなんだけどさぁー、井沢ちゃんの所で今直ぐなんとかなるモデルの子、いないかなぁー』
「今直ぐって、どれくらい待てるんですか?」
『ほんと、今直ぐにでも連れて来て欲しいんだけど?』
「そんなに、急なんですか?」
『そうなんだよ。スタジオGAM、午前中しか押さえてないんだよねぇー』
「山内プロデューサー、そのモデルって、どんなタイプの子が必要なんです?」
『素人のような、女子高生の子なんだけど?』
「それなら、なんとかなるかもしれませんよ?」
『えっ? それ、ほんと? 井沢ちゃん』
「ちょっとだけ、電話、待ってもらえますか?」
『わかった、いい返事、待ってるよ!』
モデルがどうのって、お仕事の話なのかな? 井沢さんは、携帯のマイク部分を手で押さえると、
「真結花ちゃん、悪いんだけど、午前中だけ、私に付き合ってもらえない?」
「別に、いいですよ? このまま家に帰っても、特に予定とか入ってないんで。もしかして、急なお仕事なんですか?」
「そうなの。この業界にいるとね、休みも無くなることがよくあるの」
「大変なんですね? それで、今から何処に行くんです?」
「撮影スタジオ。ここからなら、車で30分ってとこかな?」
井沢さんはそう言うと、再び電話に出て、
「もしもし、お待たせしました」
『それで、モデルの子、OK? 』
「ええ、OKです。今からそっちに向かいますので、30分程、待ってもらえますか?」
『ほんと、助かるよー、井沢ちゃん。打ち上げのランチ、おごるからさ』
「じゃあ、直ぐにそっちに向かいますので、ランチ、楽しみにしてますよ?」
『あぁ、わかったよ。じゃあ、後はよろしく!』
「はい、じゃあ、電話、切りますね」
「悪いわね? 真結花ちゃん。私の仕事に付き合わせちゃって」
「いいんです。家に帰っても、どうせ暇ですし」
「ところで真結花ちゃんは、今でもサッカー、続けてるの?」
井沢さん、サッカーやってたこと、知ってるんだ?
「今は、お休み中なんです」
「お休み中?」
「ええ、暫く体を動かしてなかったんですよ。だから、今は、サッカーのリハビリ練習中なんです」
「そう。やっぱり、プロを目指しているの?」
プロかぁー。今のままじゃあ正直、ハードルはすっごく高そうだけどね。
「んーっ、どうかな? 今はまだ、よくわかんないです」
「ふぅーん、そうなんだ? じゃあ、出発するわね?」
「はい」
車は住宅街へと入って行く。こんな所に、スタジオなんてあるんだろうか? そう思っていたら、
「真結花ちゃん、着いたわよ?」
えっ? ここがスタジオ? って、どう見ても、普通の一軒家みたいだけど?
「ここ、普通の家みたいですけど?」
「そう、ここは、民家を撮影専用のスタジオに改装したものなの」
「へぇー、こんなスタジオもあるんですね?」
玄関に入ると同時に、沢山の靴が並べてあるのが目に入った。撮影スタッフさん達の靴? そう思って視線を上げると、目の前には、黒ぶち眼鏡をかけた、人の良さそうな髭面の、小太りな中年おじさんが立ってて、
「いやぁー、ほんと助かったよー、井沢ちゃん。この子が、例のモデルの子?」
「ええ、そうです、山内プロデューサー」
「いい子、見つけてきたねぇー、井沢ちゃん。清楚な感じで、イメージにぴったりだよ。どこで見つけてきたの?」
「はぁ、まぁ色々と混み入った事情がありまして、詳しくはまたってことで」
「まっ、この際、この子がどこの子でもいいさ。こっちは仕事に穴あけなくて、ほんと助かったよ。おぉーい、谷村くーん、メイクと衣装、直ぐに準備して! さぁー、忙しくなるぞ~」
山内プロデューサーっていう人は、そう言うと、慌ただしそうに、数人のスタッフに指示を飛ばしていた。
それにしても… 例のモデルの子って、俺のこと、だよね? それって、どうゆうこと? 井沢さん?
「あのぉー、井沢さん? いったい、どうゆうことなんです?」
すると、井沢さんは、すぐさま顔の前で両手を合わせて、
「ごめん! 真結花ちゃん。騙すつもりじゃなかったんだけど、緊急事態だったから、説明する暇がなかったのよ。撮影に協力してくれない? この通り、お願い!」
頭を下げられてまで、お願いされてしまった。
「えっ? それって、わたしがモデルをやるってことなんですか?」
そんなの、ゼッタイ無理。俺に、できるわけないよ。
「真結花ちゃん、人助けだと思って、お願い。厚かましいのは承知の上なの。私があなたを助けた恩返しだと思って、やってくれないかしら?」
そう言われちゃうと、断り辛いよなぁー。ってゆうか、周りの大人達が、もうそのつもりで動いてて、とてもじゃないけど、今更、断れる状況じゃない。井沢さんにはお世話になったし、協力はしてあげたい、でも…
「わたしみたいな素人でも、大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。真結花ちゃんならきっと、上手くやれるはずだから。以前にも、アルバイトでモデルやってたわけだしね」
本当に、できるのかなぁ? モデルなんてさぁー、この俺に。
「でもー、それは、記憶喪失以前の話で、今のわたしに出来るかどうか… 全然、自信ないですし、逆に、みなさんに、迷惑を掛けちゃうんじゃないですか?」
「その点は、心配する必要は無いわよ? この撮影、素人っぽい子の方が、逆にいいの。プロデューサーから、そうゆう要望が出てたから」
そう言われてもねぇー、正直、全然、乗り気しないだよね。やっぱ、大人しく家に帰ればよかった、なーんて思ったところで、いまさら後戻り、なーんてできないんだよね? もう。
「はぁー、まっ、やれるだけのことは、やってみますけど、期待はしないで下さいよ?」
あぁ、なんだか、すっごく気が重い。ヘンなプレッシャー、感じるんだよね。上手く行かなかったどうしょう? っていう不安で、今、頭ん中いっぱいいっぱいって感じ。
「そう言わずに、撮影、楽しんじゃえばいいのよ。素人の子が、プロに撮影してもらうなんて機会、そう滅多にないと思うわよ? ちょっとした、お遊びだと思ってさぁ、気軽に、ねっ?」
そう言って、ニコっと笑顔を返してきた井沢さん。
「そうゆうものですか?」
「そっ、気楽にやればいいの。何も、そう難しく考えなくてもいいわよ?」
「モデルさーん、メイクルームまで、お願いしまーす!」
あっ、女性スタッフの人が呼んでいる。モデルだってさ、この俺がだよ? 正直、まだ信じられない。
「ほら、呼んでるわよ、真結花ちゃん。さぁさぁ」
そう言って、井沢さんに後ろから両肩を押され、メイクルームに向かった。
メイクルームといっても、三面鏡と椅子が置いてあるだけのただの寝室。っていうか、これは寝室セットなわけ?
女性スタッフに衣装を手渡され、それに着替えた。夏物の薄ピンクのワンピースで、胸元にリボンのアクセントがある。こんな少女趣味な服を、また着ることになるとは… とほほ…
三面鏡の前に座り、女性メイクさん(30前半くらい?)にポニーテールにしてた髪ゴムを解かれ、ブラッシングされていると、
「キレイな髪、してるわねぇー、あなた。髪の手入れ、良く行き届いているようね?」
そりゃ毎日、苦労して髪洗ってますから。
「そうですか? 普通にジャンプーして、リンスしてるだけですけど?」
「そう。でも、本当にキレイな髪。もしかして、今まで髪、染めたことないんじゃない?」
「ええ、まぁ」
と思いますけど? なにぶん、過去の記憶が無いもんで、不確かですが…
「今時、珍しいわねぇー」
ただ、興味無いだけってゆうか、髪染める気は、全然、ないんですけどねぇー。
「そうですか?」
「でも、あなたの黒髪、すっごく似合ってると思うわよ? 『からすの濡れ羽色』って、正に、あなたのような髪のことを言うんでしょうね? ブラシの髪通り、すっごくいいんだもの」
髪のこと褒められて、なんだか嬉しいような、恥ずかしいような?
「あのぅー、ひとつ、聞いていいですか?」
「なに?」
「この撮影って、いったい何の撮影なんです?」
「さぁー? 私は、何も聞いてないから…」
「えっ? でもメイクさんは、この撮影のスタッフさんじゃあ?」
「あっ、私? 私はアルバイト。美容室から出張で来てるだけだから」
「そうなんですか?」
すると、山内プロデューサーっていう人がメイクルームに現れ、
「おっ、いい感じだねぇー、メイクなんだけど、メイクしてるかどうか? って感じで、うすーく、ナチュラルな感じで頼むよ?」
メイク? いったい、どんな感じになるんだろう? なんだか面白そうな気が… ちょっと、ワクワクして来た。
「この子、お肌がすっごくキレイなんで、それを生かすメイクにしますので」
うぅ、そんなこと言われると、なんだか照れる。でも、そうゆう風に褒められると、なんだか気持ちいいような?
「じゃあ、後、ヨロシク! 終わったら、呼んでくれるかな?」
「はい」
あぁー、すっごく緊張してきた。単なる写真撮影といっても、こんなに人がいるんだ? なんか、レフ板持った男女が二人、照明の男性、男性カメラマンに山内プロデューサー、メイクさん、井沢さんも見てる。
「緊張、してるでしょ? 真結花ちゃん」
井沢さんが近付いてきて、声を掛けてくれた。
「こんな状況の中で緊張、しない方がおかしいですよ? こんなの、初めてなんですから」
「なんか、思い出すわぁー。私も初撮影の時は、ガッチガチに緊張してたから」
「えっ? 井沢さんが、緊張?」
「そうゆう風に、見えないってこと?」
「ええ。わたしの中で井沢さんって、結構図太いようなイメージがあったんで」
すると井沢さんは、振り上げた両手を顔の前で握り、頬を膨らまして、
「コラっ! 怒るぞっ! プンプン!」
と、太鼓でも叩くような仕草でそう言った。
「ぷっ、あははっ」
井沢さんが、余りにも似合わないキャラでブリっ子するもんだから、そのギャップ大きさに、思わず笑ってしまった。
「そう、その笑顔。笑った方が、数倍カワイイわよ?」
「井沢さん、ありがとうございます」
軽く礼をしながらそう言った。
「えっ? 何が?」
「緊張、ほぐしてくれて」
「気楽に、ねっ?」
「あっ、はい」
「真結花ちゃんといったかな? 心の準備、そろそろいいかな?」
山内プロデューサーに声を掛けられた。いよいよだ! えぇーい、こうなりゃ、開き直り。表情とか、ヘンに作ろうとするのはやめよう。気負いせず、あくまでも自然な感じで。撮影されているって意識、なくしちゃえばいいんだ。
「モデルさーん、中庭の方までお願いしまーす」
さっきの女性スタッフからまた声を掛けられると、もう覚悟を決めた。
中庭に出ると、色とりどりのプランターの花が、所狭しと沢山並べてある。お花のある庭っていいよなぁー、見てるだけで楽しいっていうか、すっごく癒されるっていうか。家の庭ってさぁ、なーんにもなくって、殺風景。でも… アルバムとか見ると、昔、庭で撮った家族写真にお花が写ってたけど… 家の庭にもお花、植えてみよっかな?
カシャ、カシャ、カシャ。
えっ? もう撮ってるわけ? カメラに振り向くと、
「ああ、そのまま、お花見ててくれるかな? カメラは特に意識しなくていいから。庭の中、自由に、好きなように動いてくれるかな?」
そうカメラマンに言われた。いったい、何なんだろう? この撮影。まっ、いっか。こっちとしても、撮影されているって意識しない方が、気分的にラクでいいし。
お花をちょっと触ってみたり、匂いを嗅いでみたり、ベンチに腰掛けてお花を眺めてみたり、好きなように動いてみた。俺が動く度に、カメラマン、照明係、レフ板係の人達も動き、勝手に、次々と撮影していく。
「井沢ちゃん。いいねぇー、花と戯れる美少女。イメージ通りの絵になってるよ。それにしても、あの子、いい表情するねぇー。いい子、見つけて来たよ、ほんと、掘り出し物だよ」
「山内プロデューサーも、そう思います? やっぱり私の目に、狂いは無かったわ。あの子、落ち込んでたと思ったったら、急に明るくなったり、喜怒哀楽がハッキリしてて、くるくる表情が変るんです。そう、まるで気まぐれなお天気のように。それが、彼女の魅力なんです」
「ほぉー、井沢ちゃん、よほど彼女に惚れこんでるようだね?」
「はぁ、まぁ。どことなくなんですけど、似てるような気がするんですよねぇー、昔の私に」
「この仕事、上手く行きそうだよ。それにしても、彼女、どこかで見たような気もするんだけど…」
「彼女、女子サッカーのU17代表候補まで行ったって話です。今は、サッカー休んでるみたいですけどね」
「そっか、どうりでね。彼女、初めて見る顔じゃなくってさぁ、どことなく、雑誌か何かで見たような気がしてたんだよね」
「ところで、山内プロデューサー。この撮影って何なんです? 当然、ファッション雑誌の撮影とかじゃないですよね?」
「それは、企業ヒミツってことで。そのうち分かるからさ、仕上がりを楽しみにしててよ、井沢ちゃん」
「雑誌掲載とかじゃないんですよね?」
「うぅーん、どうかな? これ言っちゃうと面白くなくなっちゃうから、ごめん、ここまでってことで」
「ずいぶんと、もったいぶるんですね? 山内プロデューサー」
「はははっ、まっ、それは後のお楽しみってことで、井沢ちゃん」
成り行きで、モデルのアルバイトを引き受けた真結花でしたが…
次回につづく