#36:STEP BY STEP
うわーっ、急にペース上げ過ぎだよ、喜多村くん。もう全然、付いていけない。どんどん置いてかれてる。
そう、今、俺は喜多村くんの背中を全力で追いかけて走ってる。昨夜はいつもより早く寝て、今日のリハビリ練習のために体調を万全に整え、ジャージ姿で張り切って朝からこの公園に乗り込んだものの、体の方はまだ眠ってるままなのか? 足取りはひじょーに重く、自分の頭ん中でイメージしているように、軽やかなステップで走れない。喜多村くんの指示で、走る前にちゃんと、十分過ぎるほど柔軟体操したはずなのに…
「喜多村くん、ちょっとまってぇー」
喜多村くんは振り向くと、立ち止ってくれ、息を切らしながら追い着くと、
「あっ、ごめん、ごめん。つい、いつもの調子で走っちゃった。木下さんのペースに合わせなきゃいけないのにさ」
喜多村くんがそう言うと、俺はもう体力の限界を感じてたため、
「はぁ、はぁ、ごめん、もう限界っ。これ以上、走れない」
そう言ったとたん、急に目の前が真っ白になり、体がふらついた。
「木下さんっ!」
目の前の視界が開けてくると、喜多村くんの胸が眼前にあり、俺の体は喜多村くんの体にすっぽりと、抱きしめられているような格好になってた。
うあぁーっ、どうしょう? 恥ずかしくて喜多村くんの顔、とてもじゃないけど見れない。ただでさえ、心拍数上がってるのに、益々上がっているような気がした。
でも、こうやって喜多村くんに抱かれていると、不思議と心地いいっていうか、安心感があるっていうか、なんだかスッゴく癒されているような感じがするんだけど…
「木下さん、大丈夫?」
そう言いながら喜多村くんは、俺の両肩を掴んで自分の体から引き離してくれた。
俺は俯いたまま、
「ありがとう。もう、大丈夫だから」
と答えたものの、
「本当に大丈夫? 体の具合、悪くない?」
と、喜多村くんは凄く心配してる様子。
「心配しないで、急に立ち眩みしただけだから」
どうしてだろう? さっきから恥ずかし過ぎて、とても顔を上げられない。
「でも、顔、少し赤いみたいだよ? 本当に大丈夫?」
喜多村くんは腰をかがめ、俺の俯いたままの横顔をじーっと見てる。
だからぁー、そうやって顔を近づけて見られるの、めっちゃ恥ずかしいんだって。
もうぉー、そうゆうの、分かんないのかなぁー。
「ちょっと、休みたい」
俯いたまま、そう答えた。
「あぁ、そうだね。ベンチに座って休もう。水分補給もした方がいいだろうし」
「うん」
「木下さん、ひとりで、ベンチまで歩ける?」
「たぶん、大丈夫」
そう言って俯いたまま歩き出そうとすると、脚がよろけてしまい、思わずつまずきそうになった。
「おっと、危ないっ!」
真横にいた喜多村くんに肩を抱かれたため、なんとかコケずに済んだんだけど、さっきからどうしょうもなく、恥ずかしくてしょうがない。
「ごめんね、迷惑かけて」
すると、喜多村くんは突然しがみこみ、
「じゃあ、はい、どうぞっ」
と言って、おんぶをする格好を見せた。
どうやら、喜多村くん… 心配して自分の背中に乗れってことらしい。
今、だだでさえ恥ずかしいのに、更にそんな恥ずかし過ぎる事、とてもじゃないけど、できるわけない。
「ひとりで… 歩けるから」
無愛想にそう言って、喜多村くんの好意を無視するかのように、スタスタとひとりで歩きはじめた。
「あっ、まって、木下さん。もしかして、何か怒ってる?」
「怒ってなんか、ないよ?」
ただ、恥ずかしいだけ…
「でも、なんだか、不機嫌そうだし」
「ちょっと、疲れただけ…」
「そう、ならいいんだけど…」
ベンチに座り、ベンチの下に隠していたリュックサック取りだすと、なんだか濡れている。中身を確認すると、水筒に入れてきたスポーツドリンクが漏れていた。
あっちゃー。家出るとき、ちょっと慌ててたもんだから、きちんと水筒の栓、してなかったみたいだ。タオルも濡れているみたいだし。どうしよう?
「どうしたの? 木下さん」
スポーツドリンクを飲み、タオルで顔の汗を拭き、一息ついている喜多村くんを横目に、
「えっと、わたしのリュックサック、このありさまで…」
濡れたリュックサックを喜多村くんに見せると、
「あぁーあ、それじゃあ、どうしようもないね。じゃあ、これ飲む? それと、このタオル、使いなよ」
喜多村くんはそう言うと、水筒と、新しいタオルを渡してくれた。
タオルは新しいからいいとして、水筒に口をつけるのには抵抗があった。
だってさぁ、これって、間接キスになるわけじゃん。暫く、どうしようかと迷っていると、
「んっ? 飲まないの?」
「えっ? なんだか、悪いし」
「じゃあ、僕、自販機で飲み物買ってくるから、そこで待っててくれる?」
「うん」
喜多村くんに、変な気を使わせてしまったようだ。もしかして、間接キスを嫌がっていたの、バレちゃった?
暫くして喜多村くんが帰ってくると、
「じゃあ、ハイ、これ飲んで」
「あっ、お財布、忘れてきちゃった」
「いいよ、僕のおごりで」
「ありがとう」
そう言って喜多村くんからスポーツドリンクを受け取ると、よほど喉が渇いてたのか、がぶ飲みしてしまい、思わずむせてしまった。
喜多村くんに思わぬ醜態を晒してしまい、恥ずかし過ぎて、顔から火が出そうな勢いだ。
「大丈夫? 木下さん。慌てて飲むからだよ。なんか、また顔が赤いよ? 本当に体調、悪くない?」
どうやら、また変な誤解をされてしまったようだ。
「たぶん、暫く休んでたら、落ち着くと思うから」
「今日の練習、もうやめよっか? 木下さんの体力に合わせたペース配分、ちゃんと考えてなかった僕も悪いし」
「えっ? でもまだ、サッカーボールも蹴ってないよ?」
「でも… 木下さんの体のことが心配だし… 無理させて、ケガでもさせたら、僕… 困るよ」
やっぱ、優しいね、喜多村くんは。
でも、せっかくヤル気になってるのに、ここで止めちゃうと、サッカークラブ復帰への道がまた一歩、遠のいちゃいそうで、どうしても練習を続けてみたかった。だから、
「どうしても、練習続けたいの。ケガしたら、わたしの責任だし、喜多村くんに責任はないよ。だから、お願い!」
「うぅーん…」
喜多村くん、腕組みして悩んでる。ヨシっ! ここで、もうひと押し。
「やっぱぁー、ダメかなぁー?」
出来る限り、甘えたような声で、上目使いで言ってみたつもり。でも、自分で言ってて、正直キモイ。
「分かったよ。じゃあ、木下さんはベンチで30分休憩してから練習再開。その間、僕は自主練習してくるから。それでいい?」
「うん。ありがとう、喜多村くん」
「じゃあ、練習してくるね」
喜多村くんはそう言うと、かなり使い込まれた様子のサッカーボールを蹴り出し、ドリブルやフェイントの練習を始めていた。
ちょっと走っただけでスタミナ切れだもんなぁ。もっと、基礎体力つけなきゃ、話にもなんないよ。今まで体動かしてなかったツケって、やっぱ、結構大きい。学校で放課後、グラウンドで毎日少しずつ、走り込みでもしようかな?
そうだ! 喜多村くんに頼んで、サッカー部の練習に参加させてもらえないかな? 女子はダメって言われるかもしれないけど、ダメ元で頼んじゃおっか? 確か、サッカー部の監督って、担任の吉澤先生だったよね? 話も通り易いかも。
喜多村くんから、ベンチで30分休憩の命令を受けたものの、特にやることもなく、暫く彼の練習している様子を、両手で頬杖をつきながら、ボーっと見つめていた。
普段の喜多村くんの表情とは違い、すっごく真剣な表情で練習してる。そんな彼をずっと見ていると、次第に胸がドキドキし始め、何とも言えない息苦しさ、そして、胸を締め付けられるような、切ない感情に支配されている今の自分を、改めて知ることになった。
こんなの、ウソに決まってる! と頭で否定すればするほど、加速していく胸の鼓動。これまで男と女、どちらとも言えない心情に散々振り回されたあげく、勇気ある一歩がなかなか踏み出せず、ずっと中途半端なまま、曖昧なままにしてきたこの感情…
体からは、あなたは“恋”しているんだよ! っていうサインが出ているのにも関わらず、頭ん中ではそれを全力で否定しようとしている別の自分がいる。
そう、これ以上、先に進んではダメっ! ていう何かが、心に急ブレーキを掛けているんだ。その正体がいったいなんなのか? それは、今の自分にもわからない。でも、ただひつだけ言えることがある。
それは、喜多村くんに好意を持っていること。
それだけは、確かなこと。そして、その感情は… 単なる男友達としてではなくて… それ以上のもの… つまり、その… あぁ、もうぉー、今、こんなこと考えてる自分が超恥ずかしい!
そういえば、確か… 喜多村くんの方も好意持ってくれてるって、麻弥は言ってたっけ。
どうしよう? もし、今日、喜多村くんから告られたりなんかしたら、何て答えたらいいんだろっ?
そんな喜多村くんのこと、色々考えててたら、段々と、顔がかぁーっと熱くなってきたような気がした。
結局、今ここで、グダグダ考えてみたところで、何の答えも出でこない。
「はぁーっ」
今は、深い溜息ぐらいしか出てこない。
とっ、とくにかく、今は練習に集中しなきゃ。喜多村くんのこと、ヘンに意識しちゃうと、練習どころじゃなくなちゃいそうで、怖いし。
そんなこと考えながら、視線を再び喜多村くんに戻すと、いつの間にか喜多村くんは遠くの方に居て、彼の周りには、小学生低学年ぐらいの子供達が数人群がって、一緒になってサッカーボールを追いかけていた。
さっきまでの真剣な表情とは違い、今度は無邪気な笑顔が絶えない喜多村くん。そのキラキラした彼の笑顔を見てると、なんだかすっごく眩しくて、一瞬にして心を奪われてしまった。
ようやく収まりかけようとした心拍数が、またグッと上がると同時に、切ない感情が、更にヒートアップしたような気がした。
どうやら、しばらく収まってたと思ってた“恋患い”ってヤツが再発し、何の抵抗する時間も与えてもらえず、無防備なまでに、その猛威に晒されてしまったようだ。この病、あっという間に俺の全身を駆け巡り、そして、心を、体を支配しようとする。
まさか、こんなことになるなんて… 思ってもみなかった。こんな浮ついたキモチのままじゃあ、とてもじゃないけど、この後、練習どころじゃない。
とにかく、今はヒートアップしているこのキモチを、なんとか鎮めなくっちゃ。
再び、喜多村くんを強く意識するようになってしまった真結花。
平常心を保てなくなってしまったようですが、大丈夫なんでしょうか?
次回につづく。