人類最後のゲームセンター
世界の終わりに、あなたはどこへ行くだろう。
家族のもとへ帰る人もいるだろう。
好きな人に会いに行く人もいるだろう。
最後まで仕事をする人も、何もせず眠る人も、泣く人も、笑う人もいるかもしれない。
この物語の主人公が向かったのは、駅前の地下にある古びたゲームセンターだった。
そこは、特別な場所ではない。
最新の設備があるわけでも、立派な理由があるわけでもない。
ただ、昔誰かが百円玉を握りしめて通った場所であり、負けても、もう一度始められた場所だった。
終末を前にしても、そこにはまだ光る筐体があり、鳴り続ける電子音があり、遊び続ける人たちがいた。
これは、世界が終わるまでの短い時間に、
もう一度だけ『遊ぶ』ことを選んだ人たちの物語です。
世界が終わると知った日、俺は不思議と泣かなかった。
テレビの向こうで総理大臣が頭を下げていて、隣の画面では海外の大統領が何かを叫んでいて、さらにその下のテロップには、何度も同じ文字が流れていた。
『地球接近中の小惑星群、軌道変更失敗』
『衝突予測日時まで、残り七十二時間』
七十二時間。
三日。
人類は三日後に終わるらしい。
そんな現実感のない数字を見ても、俺の頭は妙に冷静だった。
バイト先のコンビニは昼過ぎには閉まった。店長はレジの金を数えるのもやめて、俺たちに言った。
「もう帰っていいぞ。給料は……まあ、振り込まれるか分からんけどな」
誰も笑わなかった。
同僚の佐伯は泣きながら彼氏に電話していた。大学生の後輩は、実家の母親と話しながら、何度も「ごめん」と言っていた。
俺はスマホを開いた。
母さんから着信が五件。
父さんからメッセージが一件。
『帰ってこい。最後くらい家族でいよう』
普通なら帰るべきだった。
いや、普通じゃなくても帰るべきだった。
だけど俺の指は、返信画面の上で止まった。
家族が嫌いなわけじゃない。むしろ普通に好きだ。親不孝をしたいわけでもない。
ただ、どうしても帰る気になれなかった。
最後の日に何をしたいか。
そう聞かれた時、俺の頭に最初に浮かんだのは、実家のリビングでも、母さんの手料理でも、父さんの酒臭い説教でもなかった。
古びたゲームセンターだった。
子どもの頃、毎週土曜に通っていた駅前のゲーセン。
母さんには「買い物してくる」と嘘をつき、握りしめた五百円玉をポケットの中で何度も触りながら、狭い階段を降りていった地下の店。
薄暗くて、うるさくて、タバコ臭くて、でも俺にとっては、世界で一番明るい場所だった。
名前はたしか、
ゲームセンター・ミライ。
皮肉な名前だと思った。
未来なんて、もう三日で終わるのに。
*
駅前は、思ったより静かだった。
もっと叫び声やクラクションで溢れていると思っていた。映画みたいに、暴動が起きたり、店のガラスが割られたり、知らない誰かが神に祈ったりしていると思っていた。
でも実際には、みんな疲れた顔で歩いていた。
ある者は大量の水を抱え、ある者は花束を持ち、ある者はスマホを耳に当てて、誰かに謝っていた。
駅ビルの大型スクリーンには、残り時間が表示されている。
七十一時間二十六分。
数字だけが、几帳面に世界の終わりへ進んでいた。
俺は駅前商店街の端へ向かった。
昔はそこに派手な看板があった。
赤と青のネオンで、チカチカ光る「GAME」の文字。入口には景品のぬいぐるみが山積みになっていて、クレーンゲームの音楽が道まで漏れていた。
けれど今は、商店街そのものが死んだようだった。
シャッター街。
錆びた看板。
貼りっぱなしの閉店セール。
そんな中に、その入口はまだあった。
『GAME CENTER MIRAI』
看板の半分は消えかけていた。
ミライ、の「ラ」だけが妙に明るく点滅している。
俺は階段の前で立ち止まった。
地下へ続く階段は、昔よりもずっと狭く見えた。
こんなところに本当に店があるのか。
そもそもまだ営業しているのか。
そう思った瞬間、地下から音がした。
軽快な電子音。
コインが落ちる音。
誰かの笑い声。
俺は息を呑んだ。
世界が終わる三日前に、ゲームセンターが開いている。
その事実が、なぜかニュース速報よりもずっと現実離れしていた。
階段を降りると、扉の前に古いポスターが貼ってあった。
『学生服で来店するとメダル十枚サービス!』
『音ゲー大会開催! 優勝者には一ヶ月フリープレイ券!』
『プリクラ機、新台入荷!』
全部、十年以上前のものだった。
俺は扉を押した。
瞬間、音の洪水が押し寄せてきた。
ピコピコ鳴る筐体。
太鼓の音。
リズムゲームの爆音。
クレーンゲームの陽気すぎるBGM。
メダルがジャラジャラ落ちる音。
懐かしい空気だった。
うるさいのに、安心する。
薄暗いのに、眩しい。
そこには、本当にゲームセンターがあった。
しかも、ちゃんと客がいた。
制服姿の女子高生が二人、プリクラ機の前で笑っている。
スーツ姿の男が、無表情でメダルゲームを回している。
白髪のおばあさんが、太鼓の達人を鬼のような連打で叩いている。
小学生くらいの男の子が、格闘ゲームのレバーを必死に握っている。
そしてカウンターの奥には、見覚えのある男がいた。
白髪混じりの短髪。
丸い眼鏡。
色褪せた赤いベスト。
昔とほとんど変わっていない。
「いらっしゃい」
店長は顔を上げた。
「お、珍しい顔だな」
俺は驚いた。
「覚えてるんですか」
「そりゃ覚えてるよ。昔、格ゲーで負けるたびに泣きそうな顔してた子だろ」
「泣いてはないです」
「泣いてたよ」
「泣いてないです」
店長は笑った。
その笑い方まで、記憶の中と同じだった。
「大きくなったなあ」
「もう二十六です」
「じゃあ、まだまだ子どもだ」
そう言って店長は、カウンターの上にプラスチックのカップを置いた。
中にはメダルが山ほど入っている。
「サービス」
「いや、いいですよ。金払います」
「世界が終わる日に金なんか取ってどうすんだ」
店長は当たり前みたいに言った。
「今日は全部無料。好きなだけ遊んでいけ」
俺はカップの中のメダルを見た。
銀色の小さな円盤。
昔の俺にとっては、これ一枚が宝物だった。
「……本当に、営業してるんですね」
「してるよ」
「なんでですか」
「ゲーセンだからな」
「答えになってないです」
「ゲーセンは、遊びたい奴がいる限り開けるんだよ」
店長はそう言って、奥のメダル貸出機を蹴った。
機械はガコン、と鈍い音を立てて、また光り始めた。
「まあ、半分くらい壊れてるけどな」
俺は店内を見回した。
確かに古かった。
画面の端が焼けたレースゲーム。
ボタンの反応が悪そうな音ゲー。
アームが弱すぎるクレーンゲーム。
景品のぬいぐるみは、少し色褪せている。
でも、全部生きていた。
世界よりも先に壊れていそうな場所が、世界の終わりにまだ動いている。
それがなんだか、たまらなく変だった。
*
最初にやったのは、格闘ゲームだった。
昔、俺が何百円も溶かした筐体。
画面には、筋肉質の男とチャイナ服の女と、謎の覆面キャラが並んでいる。
俺は迷わず、昔使っていたキャラを選んだ。
炎を出す主人公キャラ。
必殺技コマンドは、まだ指が覚えていた。
波動。
昇龍。
竜巻。
懐かしい動きに、思わず笑ってしまう。
すると、隣の筐体に誰かが座った。
小学生の男の子だった。
さっきレバーを握っていた子だ。
「対戦、いいですか」
声が震えていた。
俺は少し驚いた。
「いいよ」
対戦が始まった。
男の子は強かった。
レバー捌きが異様に速い。小さな手で、的確に技を出してくる。
一ラウンド目、俺は普通に負けた。
「強っ」
思わず声が出た。
男の子は少しだけ嬉しそうにした。
「お兄さん、弱いですね」
「そこまではっきり言う?」
「でも、昔やってた人っぽい」
「分かるの?」
「動きが古いです」
「傷つくなあ」
二ラウンド目も負けた。
俺は笑ってしまった。
世界が終わる三日前に、小学生に格ゲーでボコボコにされる。
普通なら意味不明な状況なのに、なぜかそれがたまらなく楽しかった。
「君、名前は?」
「蓮」
「一人で来たの?」
蓮は少しだけ黙った。
「お母さん、病院にいるんです」
「……そっか」
「もう外に出られないから。だから、ここに来ました」
「お母さんは知ってるの?」
「うん。行っておいでって言った」
蓮は画面を見たまま言った。
「お母さん、昔ここでバイトしてたんだって」
「へえ」
「だから、最後に行くならそこにしなって」
俺はカウンターの方を見た。
店長は、メダルを詰まらせた機械を叩いている。
この店には、俺が知らない記憶が山ほどあるのだと思った。
俺にとっては子どもの頃の遊び場。
誰かにとってはバイト先。
誰かにとってはデート場所。
誰かにとっては、逃げ場所。
ただの古いゲーセンなのに、たぶんこの場所には、人の人生が少しずつ積もっている。
「もう一回やる?」
俺が聞くと、蓮は頷いた。
「次も勝ちます」
「言うね」
結果、また負けた。
俺は三連敗した。
*
メダルゲームの島には、スーツ姿の男がいた。
年齢は四十代くらい。
ネクタイを緩め、革靴を脱いで、椅子に胡坐をかいている。
社会人として終わっている姿勢だった。
だが、その目は異様に真剣だった。
大型メダル機の中央で、金色のジャックポットボールがゆっくり回っている。
男は一枚ずつメダルを投入していた。
丁寧に、祈るように。
「それ、当たりそうですか」
俺が声をかけると、男は画面から目を離さずに言った。
「あと少しだ」
「ずっとやってるんですか」
「三時間」
「三時間?」
「正確には三時間四十二分」
怖い。
俺は隣に座った。
男のカップには、まだ大量のメダルが入っている。
「世界終わるのに、メダルゲームですか」
俺が言うと、男は鼻で笑った。
「世界が終わるからだよ」
「どういうことですか」
「俺はな、人生で一度も大当たりを引いたことがない」
男は淡々と言った。
「宝くじも外れた。営業成績も二位止まり。好きだった女には親友を紹介され、その親友と結婚した。マンションを買ったら翌年に欠陥が見つかり、転職した会社は半年で潰れた」
「なかなかですね」
「なかなかだろ」
男はメダルを入れ続ける。
「だから最後くらい、大当たりを引きたい」
画面の中でボールが揺れる。
落ちそうで落ちない。
あと一押し。
そういう状態が、ずっと続いている。
「でも、当たってもメダルですよ」
「分かってる」
「もう使い道ないですよ」
「それも分かってる」
「じゃあなんで」
男は少しだけ笑った。
「意味がないからいいんだよ」
俺は言葉に詰まった。
「仕事も、出世も、貯金も、保険も、住宅ローンも。全部意味があると思ってやってきた。意味があるから我慢した。意味があるから頭を下げた。意味があるから嫌いな奴とも飲みに行った」
男はメダルを入れる。
「でも結局、世界が終わるなら全部同じだ」
ジャラ、とメダルが滑る。
「だったら最後くらい、意味のないことを真剣にやりたい」
その瞬間、ボールが落ちた。
機械が派手な音を立てる。
画面が光る。
『JACKPOT CHANCE!!』
男の目が見開かれた。
店内の客が何人か振り向いた。
女子高生たちが「え、すご」と声を上げる。
蓮も格ゲー筐体から走ってきた。
ルーレットが回る。
赤。
青。
金。
赤。
青。
金。
男は息を止めていた。
俺も、なぜか手に汗をかいていた。
やがてルーレットはゆっくり止まり——
『JACKPOT 5000 WIN』
店内に爆音のファンファーレが鳴り響いた。
メダルが滝のように落ちてくる。
男はしばらく呆然としていた。
そして、小さく拳を握った。
「……勝った」
その声は震えていた。
「俺、勝ったぞ」
誰からともなく拍手が起きた。
女子高生たちが笑いながら手を叩く。
蓮が「すげー!」と叫ぶ。
店長がカウンターの奥から「おめでとー」と間の抜けた声を出す。
スーツの男は、滝のように落ちるメダルを見つめながら、泣いていた。
大人の男が、たかがメダルゲームで泣いていた。
でも誰も笑わなかった。
俺も笑えなかった。
その大当たりは、たぶん彼の人生で一番意味のない勝利だった。
だからこそ、誰よりも本物だった。
*
店内の奥には、古いプリクラ機があった。
ピンク色の外装は日に焼けて、ところどころシールが剥がれている。
中からは女子高生二人の笑い声が聞こえた。
「やば、盛れなさすぎ」
「逆にレアじゃない?」
「最後のプリがこれって終わってるんだけど」
「世界も終わるし」
二人は笑っていた。
あまりにも普通に笑っていた。
俺はその横を通り過ぎようとした。
すると、カーテンが開いた。
「あ、すみません。お兄さん」
髪を茶色に染めた女子高生が俺を呼び止めた。
「撮りません?」
「え、俺?」
「そう。最後だし」
「いや、知らないおじさんと撮るの嫌じゃない?」
「二十六くらいでおじさん名乗るの早くない?」
「なんで年齢分かるの」
「顔」
もう一人の黒髪の子が、少しだけ笑った。
「人が多い方が楽しそうだから」
断る理由もなかった。
俺はなぜか女子高生二人とプリクラを撮ることになった。
中は狭く、甘い匂いがした。
画面の指示に合わせて、ピースをする。
『もっと近づいてね!』
「機械が言ってるんで」
茶髪の子が俺の腕を引っ張る。
「いやいやいや、近い近い」
「最後の人類なんだから距離感とかどうでもよくない?」
「確かに」
シャッター音が鳴る。
画面には、妙に目が大きく加工された俺たちが映っていた。
知らない三人。
なのに、昔から友達だったみたいに見えた。
落書き画面に移る。
茶髪の子がペンを持った。
「何書く?」
黒髪の子が少し考えて、
「生きてた記念」
と言った。
その言葉に、茶髪の子は一瞬黙った。
それから、笑って書いた。
『生きてた記念!』
ハートと星を雑に散らす。
俺はその文字を見て、胸の奥が少しだけ痛くなった。
生きてた記念。
過去形なのが、やけに刺さった。
外に出ると、プリントされたシールが出てきた。
三枚。
茶髪の子が一枚を俺に渡した。
「はい」
「いいの?」
「うん。最後に知らない人とプリ撮ったって、なんかバカっぽくていいじゃん」
俺はシールを受け取った。
小さな写真の中で、俺たちは笑っていた。
世界の終わりまで七十時間を切っている顔には、あまり見えなかった。
「君たち、家族のところ行かなくていいの?」
俺が聞くと、二人は顔を見合わせた。
茶髪の子が先に言った。
「親、海外」
黒髪の子が続ける。
「私は、家にいても気まずいだけだから」
それ以上は聞かなかった。
最後の日にここへ来る人間には、それぞれ理由がある。
それを全部言葉にする必要はない。
「お兄さんは?」
「俺も……まあ、似たようなもん」
「家族いる?」
「いる」
「じゃあ帰りなよ」
茶髪の子は軽く言った。
責める感じではなかった。
だから余計に胸に刺さった。
「帰れるなら、帰った方がいいよ」
黒髪の子も言った。
「帰れない人もいるから」
俺は何も言えなかった。
ポケットの中で、スマホが震えた。
母さんからの着信だった。
俺は出なかった。
*
夜になると、ゲーセンにはさらに人が増えた。
終末の噂を聞いたのか、昔の常連らしき人たちがぽつぽつとやってくる。
金髪の元ヤンっぽい男。
赤ちゃんを抱えた若い夫婦。
杖をついた老人。
中年の女性三人組。
彼らは入口で店長を見るなり、驚いた顔をして、それから決まって同じようなことを言った。
「まだあったんだ」
「懐かしい」
「ここ、潰れてなかったの?」
店長はそのたびに笑って、
「しぶとくやってます」
と答えた。
店内はいつの間にか、小さな同窓会みたいになっていた。
誰かが昔の大会の話をする。
誰かが初デートの話をする。
誰かがこの店で財布を落とした話をする。
老人は、若い頃に奥さんとここでスペースインベーダーをしたと語った。
若い夫婦は、ここで出会ったらしい。
赤ちゃんはクレーンゲームの光を見て笑っていた。
世界が終わるというのに、ここだけ時間が巻き戻っているみたいだった。
俺はカウンターに座り、店長から缶コーヒーをもらった。
「酒じゃないんですね」
「ゲーセンだからな」
「世界終わるんですよ」
「だからって酒出したら風営法に怒られる」
「もう怒る人いないでしょ」
「俺が怒る」
店長は真面目な顔で言った。
俺は笑った。
「店長って、ずっとここにいるんですか」
「いるよ」
「何年くらい?」
「四十二年」
「よんじゅうに?」
「最初はバイトだった」
店長は古い灰皿を磨きながら言った。
「大学サボってここに入り浸ってたら、当時の店長に『そんなにいるなら働け』って言われてな」
「すごい始まりですね」
「で、気づいたら店長になってた」
「後悔してないんですか」
「してるよ」
あっさり言われて、俺は驚いた。
店長は笑った。
「ゲーセンなんて儲からん。時代にも置いていかれる。家庭用ゲームが出て、スマホゲームが出て、ショッピングモールの大型店に客を取られて、若い子は来なくなって、電気代は上がるし、筐体は壊れるし、景品は高くなるし」
店長は指折り数える。
「何回も閉めようと思った」
「閉めなかったんですね」
「閉められなかった」
「どうして?」
店長は店内を見た。
太鼓を叩くおばあさん。
メダルを山ほど抱えたスーツの男。
蓮と対戦する元常連。
プリクラ機で笑う女子高生たち。
「たまに来るんだよ」
「何がですか」
「居場所をなくした奴が」
店長の声は静かだった。
「学校が嫌な子。仕事で潰れそうな大人。家に帰りたくない奴。誰とも話せない奴。そういう奴が、何も言わずに百円玉握って来る」
店長はカウンターの下から、古いメダルを一枚取り出した。
「ゲームセンターってのはな、勝っても負けてもいい場所なんだよ」
メダルが蛍光灯の光を反射する。
「現実はさ、負けたら終わりみたいな顔してくるだろ。成績、仕事、恋愛、金、人間関係。負けたら傷になる。でもここは違う。負けても、百円入れたらまた始められる」
俺は黙って聞いていた。
「それに救われる奴が、たまにいる」
店長はメダルを俺に差し出した。
「だから閉められなかった」
俺はそのメダルを受け取った。
軽い。
だけど妙に重かった。
「お兄ちゃんも、そうだったろ」
店長が言った。
「昔、よく一人で来てたな」
「……覚えてるんですか」
「覚えてるよ。土曜の昼。いつも五百円だけ持ってきて、格ゲーやって、負けて、悔しそうに帰ってた」
「そんな昔のことまで」
「そのうち友達ができて、一緒に来るようになった」
「……」
「でも、ある時から来なくなった」
俺は缶コーヒーを握った。
そうだ。
ある時から、俺はここへ来なくなった。
中学二年の夏。
一緒に通っていた友達、悠真が事故で死んだ。
横断歩道で車にはねられた。
その日、俺たちはこのゲーセンに来る約束をしていた。
だけど俺は、部活が長引いて遅れた。
悠真は一人で先に向かい、その途中で事故に遭った。
俺のせいではない。
みんなそう言った。
母さんも、先生も、悠真の親も。
だけど俺は、そう思えなかった。
俺が遅れなければ。
俺が先に行っていれば。
俺がちゃんと断っていれば。
くだらない「もしも」が、何年も胸に残った。
それから俺は、ゲームセンターに行けなくなった。
ゲームの音を聞くだけで、悠真の笑い声を思い出した。
あいつは俺より格ゲーが強かった。
クレーンゲームは下手だった。
メダルゲームは飽きっぽかった。
でも音ゲーだけは異常に上手かった。
俺はずっと、この場所を避けて生きてきた。
忘れたふりをして。
平気なふりをして。
でも世界が終わると知った時、最初に浮かんだのはこの場所だった。
たぶん俺は、最後にここへ謝りに来たかったのだ。
悠真に。
昔の自分に。
置いていった時間に。
「……店長」
「ん?」
「あいつのことも、覚えてますか」
名前を出さなくても、店長は分かったようだった。
「覚えてるよ」
短く答えた。
「あの子、音ゲー上手かったな」
その一言で、俺は駄目だった。
胸の奥で何かが崩れた。
俺は缶コーヒーを見つめたまま、声を出さないように息を吸った。
泣くつもりなんかなかった。
世界が終わるニュースでも泣かなかったのに。
古いゲーセンのカウンターで、俺は泣きそうになっていた。
店長は何も言わなかった。
ただ、カウンターの上に一枚のカードを置いた。
古びたスコアカードだった。
手書きで名前と点数が書いてある。
『YUMA 999,870』
俺は目を見開いた。
「これ……」
「音ゲー大会の記録」
「まだ持ってたんですか」
「捨てられなかったんだよ」
店長は少し照れたように言った。
「この店の歴史だからな」
俺はスコアカードを手に取った。
悠真の名前。
あいつの字ではない。
たぶん店長が書いたものだ。
でも確かに、悠真がここにいた証拠だった。
生きていた記念。
女子高生の言葉が頭をよぎった。
「まだ、その筐体ありますか」
俺は聞いた。
店長は奥を指さした。
「あるよ」
*
音ゲー筐体は、店の一番奥にあった。
昔より画面が暗い。
スピーカーも片方だけ音が割れている。
ボタンの端は欠けていて、表面は何千回も叩かれたせいで少しへこんでいた。
それでも、電源は入っていた。
タイトル画面が淡く光っている。
俺は筐体の前に立った。
悠真がいつも立っていた場所。
俺は横で見ているだけだった。
あいつの指は、本当に速かった。
難しい譜面を軽々と叩きながら、こっちを見て笑う余裕まであった。
「お前もやれよ」
「無理」
「できるって」
「できねえよ」
「じゃあ俺が教える」
そう言って、結局一度もちゃんと教えてもらえなかった。
俺は逃げていた。
負けるのが嫌だった。
下手な自分を見られるのが恥ずかしかった。
そして、気づけば教えてもらう相手はいなくなっていた。
俺は百円玉を入れようとして、今日が無料だったことを思い出した。
でもポケットから百円玉を取り出した。
最後くらい、ちゃんと払いたかった。
投入口に入れる。
チャリン。
音がした。
ゲームが始まる。
曲選択画面。
指が震えた。
その中に、見覚えのある曲があった。
悠真が大会で選んだ曲。
難易度は最高。
昔の俺には、見るだけで意味不明だった譜面。
俺はそれを選んだ。
無理に決まっていた。
指は追いつかない。
目も追いつかない。
反射神経も落ちている。
そもそも当時ですら下手だった。
音楽が始まる。
最初のノーツが流れてくる。
俺はボタンを叩いた。
ミス。
ミス。
ミス。
笑えるくらいミス。
画面に赤い文字が出る。
『BAD』
『MISS』
『MISS』
それでも叩いた。
手が痛くなる。
リズムがずれる。
譜面が滝のように落ちてくる。
全然見えない。
でも叩いた。
途中から、涙で画面がぼやけた。
ふざけんなよ、と思った。
何で今さら泣いてんだ。
何で今さらこんなゲームやってんだ。
何であの日、俺は遅れたんだ。
何で悠真は死んだんだ。
何で世界は終わるんだ。
何で。
何で。
何で。
曲が終わった。
結果は散々だった。
スコアは、悠真の半分にも届かない。
ランクは最低。
ゲームオーバー。
俺は筐体の前で、肩で息をしていた。
後ろから拍手が聞こえた。
振り向くと、蓮がいた。
女子高生たちもいた。
スーツの男も、おばあさんも、店長も。
みんなが見ていた。
「下手ですね」
蓮が言った。
「うるさい」
俺は涙を拭った。
「でも、よかったです」
蓮は真面目な顔で言った。
「何が」
「楽しそうでした」
俺は何も言えなかった。
楽しかったのか。
分からない。
苦しかった。
悔しかった。
悲しかった。
でも確かに、少しだけ楽しかった。
負けても、また始められる。
店長の言葉を思い出した。
俺はもう一度、百円玉を取り出した。
「もう一回」
店長が笑った。
「今日は無料だって」
「これは、俺の分です」
俺は百円玉を入れた。
チャリン。
また音楽が始まった。
*
深夜二時。
ゲーセン・ミライの中は、まだ明るかった。
外の世界では、たぶん人々が最後の夜を過ごしている。
祈る人。
抱き合う人。
泣く人。
壊れる人。
眠る人。
でも地下のこの店では、まだゲームの音が鳴っていた。
スーツの男はメダルを配り始めた。
「俺の大当たりだ。みんな使え」
女子高生たちは、知らない客を巻き込んで何度もプリクラを撮った。
おばあさんは太鼓の達人で自己ベストを更新し、店内全員から拍手を浴びた。
蓮は格ゲーで次々と大人を倒し、小さな王様みたいな顔をしていた。
俺は音ゲーを続けた。
何度も失敗した。
それでも少しずつ、指が譜面を覚えていく。
ミスが減る。
コンボが繋がる。
昔の自分が、画面の奥で少しずつ息を吹き返すようだった。
何回目か分からない挑戦で、俺は初めて曲の最後まで落ちずに完走した。
スコアはまだ低い。
でも、ゲームオーバーにはならなかった。
俺は筐体に手を置いた。
「見たかよ」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
でも言わずにはいられなかった。
「俺でもできたぞ」
返事はなかった。
代わりに、スピーカーの割れた音が鳴っていた。
それで十分だった。
*
朝方、スマホを見ると、母さんからのメッセージが増えていた。
『どこにいるの?』
『怒ってないから連絡して』
『最後くらい声を聞かせて』
父さんからも来ていた。
『母さんが心配してる』
『無理に帰れとは言わない』
『でも、生きてるなら返事しろ』
俺は画面を見つめた。
返信しなければと思った。
でも何を書けばいいか分からなかった。
ごめん。
帰れない。
今さら。
どれも違う気がした。
その時、隣に店長が来た。
「電話しな」
「……聞こえてました?」
「顔見りゃ分かる」
「帰った方がいいですかね」
「帰りたいなら帰ればいい」
「帰りたくないわけじゃないです」
「じゃあ電話しな」
店長はそれだけ言って、壊れたクレーンゲームのアームを直しに行った。
俺は深呼吸した。
母さんに電話をかける。
コール音が一回鳴っただけで繋がった。
『もしもし!?』
母さんの声は泣いていた。
俺はそれを聞いた瞬間、喉が詰まった。
「……ごめん」
『どこにいるの』
「駅前」
『帰ってきなさい』
「うん」
『今すぐ』
「……うん」
そこで言葉が止まった。
母さんはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ声を落とした。
『あのゲームセンター?』
俺は驚いた。
「なんで分かるの」
『あんたが子どもの頃、よく行ってたところでしょ』
「知ってたの」
『知ってたわよ。買い物って言って、毎回服にタバコの匂いつけて帰ってきてたじゃない』
「怒らなかったじゃん」
『楽しそうだったから』
俺は目を閉じた。
『悠真くんのこと、まだ気にしてるの?』
母さんの声は優しかった。
「……分からない」
『そう』
「俺、ずっと逃げてた」
『うん』
「でも今日、久しぶりにゲームした」
『うん』
「下手だった」
『でしょうね』
「そこは慰めてよ」
母さんが少し笑った。
その笑い声で、俺はまた泣きそうになった。
『帰ってきなさい』
「うん」
『でも、その前に』
母さんは言った。
『ちゃんと遊んできなさい』
「……え?」
『あんた、昔から途中でやめるの嫌いだったでしょ』
電話の向こうで、父さんの声がした。
『帰ってくるならタクシー使え。金はもう気にするな』
「世界終わるのに?」
『だからだよ。最後くらい贅沢しろ』
俺は笑った。
涙が出た。
「分かった」
『待ってるから』
「うん」
『生きて帰ってきなさい』
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
生きて帰る。
あと二日で世界が終わるとしても、その言葉はまだ意味を持っていた。
「うん。生きて帰る」
電話を切った。
顔を上げると、店長がカウンターの向こうで親指を立てていた。
「聞いてたでしょ」
「聞こえた」
「最低だな」
「ゲーセンは音がでかいからな」
俺は笑った。
その時、店の照明が一瞬揺れた。
音ゲーの画面が乱れ、クレーンゲームのBGMが途切れる。
店内の客たちが一斉に天井を見上げた。
数秒後、照明は戻った。
だが、空気が変わった。
終わりは確実に近づいている。
みんな、それを感じていた。
店長は静かにカウンターの時計を見た。
「残り、四十八時間くらいか」
誰も何も言わなかった。
それでもすぐに、どこかの筐体からゲーム開始音が鳴った。
ピロリン。
間の抜けた音だった。
誰かが笑った。
そしてまた、店内に音が戻っていった。
世界が終わるまで、まだ遊べる時間があった。
世界が終わるまで、残り四十八時間。
地下のゲームセンター『ミライ』は、まだ営業を続けていた。
朝になっても、店内の蛍光灯は変わらず白く光り、古い筐体たちは疲れた電子音を鳴らしている。
外では、世界中の都市で避難が始まっていた。
ニュースによれば、各国政府は地下シェルターへの移送を進めているらしい。
だが、その席は一部の人間にしか与えられない。
政治家。
研究者。
軍関係者。
莫大な資産を持つ者。
“未来を残す価値がある”と判断された人間たち。
そのニュースを、スーツ姿の男はメダルゲームを回しながら見ていた。
「結局、最後まで格差社会か」
吐き捨てるように言う。
だが彼はもう怒っていなかった。
諦めとも違う。
ただ、疲れ切った顔だった。
「でもまあ」
男はメダルを投入する。
「地下シェルターより、こっちの方が落ち着くな」
ジャラジャラ、とメダルが落ちる。
女子高生たちはプリクラの落書き機能で、互いの顔をぐちゃぐちゃに加工して笑っていた。
蓮は相変わらず格ゲーで大人を狩っている。
店長は壊れたクレーンゲームを蹴っていた。
世界の終わりとは思えない光景だった。
俺は音ゲー筐体の前に座りながら、ふと思った。
もしかすると、人間は最後まで“日常”をやめられないのかもしれない。
*
その日の夕方、店長が突然言った。
「大会やるか」
店内が静まり返った。
「大会?」
俺が聞き返す。
店長は、カウンターの奥から古びた紙を取り出した。
『終末記念 ゲームセンターミライ 最後の大会』
マジックで雑に書かれている。
「景品は?」
女子高生が聞く。
「名誉」
「いらなーい」
「あとメダル」
「いる」
店長は笑った。
「最後くらい、派手にやろうや」
誰からともなく拍手が起きた。
そして、その場の全員が大会に参加する流れになった。
競技は三つ。
格ゲー。
音ゲー。
クレーンゲーム。
「クレーンゲーム大会って何?」
俺が聞くと、店長は真顔で答えた。
「人生」
意味は分からなかった。
*
最初は格闘ゲーム。
参加者は、蓮、俺、元ヤンっぽい男、女子高生の片方、そしてなぜか店長。
「店長やるんですか」
「昔は結構強かったぞ」
「絶対盛ってる」
「失礼な」
結果から言うと、店長は異常に強かった。
「は?」
俺は声を失った。
コンボが古い。
立ち回りも雑。
なのに妙に強い。
読み合いだけで勝ってくる。
元ヤン男が叫ぶ。
「なんだこのジジイ!?」
「経験だよ経験」
最終的に決勝は、店長VS蓮になった。
小学生と六十代のおっさん。
世界の終わりに行われる戦いとして、あまりにも締まらなかった。
だが、試合は異様に熱かった。
蓮の反応速度。
店長の読み。
店内全員が画面に見入っていた。
そして最後。
蓮の超必殺技が決まる。
『K.O.!!』
派手な音が鳴った。
一瞬の静寂。
次の瞬間、店内が歓声に包まれた。
「っしゃあああ!!」
蓮が飛び跳ねる。
店長は笑いながら拍手した。
「強くなったなあ、最近の子は」
「俺が最強!」
「はいはい」
蓮は照れくさそうに笑った。
その顔を見て、俺は少し安心した。
この子は、まだちゃんと子どもだった。
*
次はクレーンゲーム大会。
結果から言うと、地獄だった。
まずアームが弱い。
景品が全然取れない。
店長が「昔より弱くしてる」と白状し、全員からブーイングを受けた。
女子高生が叫ぶ。
「詐欺!」
「経営努力です」
「終末の日くらい強くしろ!」
「設定変えるの面倒」
最低だった。
だが、一番盛り上がったのはスーツの男だった。
彼は三千円分くらい失敗したあと、ついにぬいぐるみを一つ取った。
小さな宇宙人みたいなキャラのぬいぐるみ。
男はしばらくそれを見つめ、
「……人生初だ」
と呟いた。
「ぬいぐるみ取ったことなかったんですか」
「ない」
「意外ですね」
「俺、不器用だから」
男は笑った。
その笑い方は、最初よりずっと柔らかかった。
*
最後は音ゲー。
参加者は少なかった。
そもそも難しい。
女子高生は開始十秒でゲームオーバー。
元ヤン男は「指つる!」と叫んだ。
スーツ男はリズム感が壊滅的だった。
結果、決勝は俺と——
店長だった。
「マジか」
「言ったろ、昔はやってたって」
店長はベストを脱いだ。
妙に本気だった。
曲が始まる。
高速で流れる譜面。
俺は必死で叩く。
横を見る余裕なんてない。
でも途中で気づいた。
店長の指が、思ったより遅い。
反応が追いついていない。
ミスも多い。
年齢には勝てないのだと思った。
だけど。
店長は楽しそうだった。
本当に、心の底から。
子どもみたいな顔で、笑いながら叩いていた。
俺はその横顔を見た瞬間、少しだけ力が抜けた。
勝ち負けなんて、どうでもよくなった。
曲が終わる。
結果は、俺の勝ちだった。
店内から拍手が起きる。
「やるじゃん、お兄さん」
女子高生が言う。
蓮も「ちょっとかっこよかった」と認めてくれた。
俺は息を切らしながら店長を見た。
「悔しいですか」
すると店長は、少しだけ考えてから言った。
「いや」
そして笑った。
「楽しかった」
その一言が、この店の全部みたいな気がした。
*
大会が終わった頃には、外は真っ暗だった。
ニュースでは、各地で通信障害が始まったと報じている。
空港は閉鎖。
鉄道も一部停止。
避難所では暴動。
街の電力も不安定になっていた。
世界が、本当に終わり始めていた。
だが地下のゲーセンだけは、まだ明るかった。
俺は店長と二人で、店の裏口に出た。
非常階段の途中。
タバコ臭い風が吹いている。
「吸わないんですか」
俺が聞くと、店長は笑った。
「昔やめた」
「意外」
「昔、この店で倒れた客がいてな」
「え」
「吸いすぎ」
「軽っ」
「死ぬかと思ったぞ」
店長は階段に座った。
「なあ」
「はい」
「この店、なんで最後まで残ったと思う?」
俺は少し考えた。
「……偶然?」
「半分正解」
店長は空を見上げた。
ビルの隙間から、赤く光る空が見える。
小惑星群は、もう肉眼でも確認できるらしい。
「昔、この辺全部再開発する話があったんだよ」
「へえ」
「ショッピングモール建てるってな」
「じゃあなんで残ったんですか」
「地権者が頑固だった」
「それだけ?」
「それだけ」
俺は吹き出した。
「でもな」
店長は静かに続けた。
「たぶん、この店を残したかった奴が大勢いたんだと思う」
風が吹く。
「昔ここに通ってた奴らが、気づかないうちに守ってたんだよ」
店長は笑った。
「ゲーセンなんて、普通なら真っ先に消える場所だからな」
俺は店内の音を聞いた。
笑い声。
電子音。
メダルの音。
全部、地下から漏れてきている。
「……でも、もう終わりますね」
「ああ」
「怖くないんですか」
店長は少しだけ考えた。
「怖いよ」
あっさり言った。
「そりゃ怖い。死ぬのは嫌だ」
「……」
「でもまあ」
店長は肩をすくめた。
「最後まで好きなことやれたから、悪くない人生だった」
その言葉は、妙に羨ましかった。
*
世界が終わる日。
空は赤かった。
政府からの緊急放送は、途中で途切れた。
ネットも繋がらない。
街からは人の気配が減っている。
それでも、ゲームセンター・ミライは営業していた。
店長は入口に紙を貼った。
『本日も通常営業』
女子高生たちが爆笑していた。
「通常じゃないでしょ!」
「通常だよ」
「世界終わるんだけど!」
「ゲーセンだからな」
もう意味不明だった。
でも、その意味不明さが少し救いだった。
昼頃になると、店の電力が落ち始めた。
照明がちらつく。
筐体の画面が揺れる。
店長はブレーカーを叩きながら言った。
「そろそろ限界かもなあ」
誰も帰らなかった。
たぶんみんな分かっていた。
ここが最後の場所になるのだと。
夕方。
空が震えた。
遠くで爆発音が響く。
天井の埃が落ちる。
女子高生の一人が、小さく呟いた。
「……来た?」
誰も答えなかった。
でも、全員分かっていた。
終わりが来る。
確実に。
その時だった。
店長が、店内の中央で手を叩いた。
「ラストゲームやるぞ!」
全員が顔を上げる。
「最後くらい全員参加だ!」
「何やるんですか」
俺が聞く。
店長はニヤリと笑った。
「マリオカート」
「軽っ」
「人生そんなもんだ」
結局、全員で古いレースゲーム筐体に集まった。
四人対戦。
負けた奴はジュース奢り。
「意味ないじゃん!」
「ノリだよノリ!」
ゲームが始まる。
古い画面。
荒いポリゴン。
安っぽいBGM。
でも、みんな笑っていた。
蓮が叫ぶ。
「ずるい!」
女子高生がバナナを投げる。
スーツ男が逆走する。
店長がショートカットに失敗して落下する。
「ジジイ!」
「老眼なんだよ!」
俺は笑っていた。
心の底から。
世界が終わるのに。
全部終わるのに。
なのに今、俺はこんなにも楽しかった。
ゴール直前。
突然、店の電源が落ちた。
真っ暗になる。
電子音が止まる。
静寂。
誰かが息を呑む音。
地下の店に、完全な闇が降りた。
そして。
遠くから、轟音が聞こえた。
地球そのものが軋むような音。
誰かが泣き出した。
誰かが笑った。
俺は暗闇の中で、ゆっくり目を閉じた。
隣で、店長の声がした。
「楽しかったな」
俺は答えた。
「うん」
本当に、そう思った。
最後の瞬間まで。
俺たちは、ちゃんと遊んでいた。
⸻
後日。
人類最後の通信記録の一部に、こんな文章が残されていたという。
『地下ゲームセンター・ミライ、営業終了確認』
その後ろには、誰かの手書きでこう書かれていた。
『最後まで通常営業でした』




