3 『矛先』
2010・06・25改稿しました。
レイシュヴィーゼとミラは、一人の少年と対峙していた。…正しくは、ミラと少年がお互い一歩も引かずに睨みあっているだけであるのだが。
二人が発する無言の剣幕に、レイシュヴィーゼは仲裁よりも状況の把握を優先した。
これは、相手の周囲、または特定の領域を意のままに操る魔法。分類するならば、空間操作魔法といったところだろうか。
探ってみたところ、大聖堂全体が有効範囲に指定されている。
魔力の根源はすぐに特定できた。ただ、そこにたどり着いたとしても、根源を撤去するための作業は、ある程度の技術を持った武人でないと厳しい。
レイシュヴィーゼはふと前を見て、ある物を凝視した。
先ほどから飽きもせずにミラと睨みあう少年。彼の腰元には、二振りの剣が下げられていた。
「私はレイシュヴィーゼ・メルトです。剣は、どれくらい使えますか。」
「…ベル・グラス。俺の剣を侮辱するとは!!貴様の体で思い知るがいい………!」
…どうやら虫の居所が悪かったらしい。
ベルは苛ついた様子でレイシュヴィーゼに向き直ると、すぐに足を踏み出し、切っ先を彼女に向けて走りだした。
睨みあっていたミラの横を何も無いかのように通り過ぎ、真っ直ぐに一人の少女に突進する。
レイシュヴィーゼは迫り来る斬撃に備えて、自身の体に幾重もの身体強化魔法を施し、ミラの前には魔法壁を出現させた。
本来ならば魔力を具象化させた楯である魔法壁のほうが安全性が高いのだが、今の彼女の実力では、この数秒間では一枚を生成するので精一杯だった。
その間にも剣は風を切る音を響かせながら、鋒は迷いなくレイシュヴィーゼへと距離を詰める。
剣と剣がぶつかる悲鳴が三度響いた。
レイシュヴィーゼの前に音も無く躍り出た影は、流麗な動きで剛剣を受け流す。
「やめろ。何を苛立っているかは知らんが、魔女相手に剣を向けるな。」
舌打ちするベルをよそに、少年はレイシュヴィーゼに向き直る。
「魔法壁を出せるなら、核の場所も特定できるな?」
彼の言う核とは、空間操作魔法において、要として存在する物体のことを指す。
物体を魔力の依り代とすることで、それを基点にあらゆる空間を展開するのだ。
したがって、核が破壊されれば、支えを失った空間は維持することが困難になる。
そしてラクトには、それを破壊し得るだけの剣術が備わっていた。
「はい。もうできています。私たちも、武器を扱える人を探していました。」
「おい、一体なんの話だ。」
ふて腐れた表情を浮かべるベルに、待ってましたとばかりにミラが青筋を浮かべて吠える。
「あんたねぇ!レイシュヴィーゼにいきなり斬りかかっておいて、なに呑気に会話に混ざってんのよー!!」
「うるせー女だな。」
「なんですって!?」
「この暗闇は、空間操作魔法によるものです。
核を見つけるには魔法使いの力が必要で、それを破壊するには、魔法ではなく魔力を帯びた武器を使わなければなりません。」
丁寧に説明したレイシュヴィーゼの横でラクトは頷く。
二人の話の全貌をやっとやっと理解したベルは、急に偉そうに腕組みした。
「ふん!俺様の力が必要なようだな!!」
「だからこの人…、えっと………。」
「ラクト・アデルディだ。」
「そう。ラクトに任せるから、あんたの出番はないのよっ!」
ミラはそう言い放つと、レイシュヴィーゼとラクトの腕を引っ張ってずんずんと進みだした。
暫くされるがままだった二人も、程なくして自分の意思で歩きだす。先頭を行くのは、拳に炎を宿すラクトだ。
「さっきはありがとうございました。」
後ろから控えめにかけられた声に、ラクトはちらりと視線を向けて、歩調を緩めた。
レイシュヴィーゼの少し前に移動すると、彼女の髪に己が放つ炎の光が反射した。淡い温もりを感じさせる日だまりのような色だ。
続いて金色の目を直視する。長い睫毛で縁取られた愛らしい瞳に、ラクトは思いがけずぼうっと魅入った。
「ラクト?」
なんとなくばつが悪くなって、不思議そうに見つめ返してきたレイシュヴィーゼから目を逸らしてしまった。
はっとしたラクトは、すぐに思い出す。
わざわざ会話しやすいように歩く速度を落とした理由。尋ねようと思ったのだ。
あの時ら女に刃が届くまでの数秒のあいだに、いったいどれ程の魔法を使ったのかを。
「いや、礼を言われるようなことではない。それより、あの時お前は一体いくつの魔法をかけたんだ?」
「ミラの魔法壁と、皮膚の硬化と反射神経強化と…あとは手に倒錯魔法。当てることにならなくて本当に良かった。」
四本目の指を曲げたところで、レイシュヴィーゼは安堵の表情を浮かべた。その様子から、彼女にとって相手に害をなす魔法に抵抗があることがうかがえる。
まったく、大したものだ。
瞬時に何が必要なのかを判断し実行する力。
何より彼女の年齢を考慮しなくとも明らかに高度な魔法の数々を、目の前の少女は咄嗟に扱ってのけたのだ。
特に魔法壁なんてかなりの上級魔法だったはず。
ラクトは己の記憶が間違いと思いたくなる衝動に襲われた。
「忘れてた。あんたねー、自分の身が危ないのにあたしを庇ってどうすんのよー…。こっちの心臓が止まるかと思ったわ!」
仰る通り。ラクトは大きく頷いた。
「ごめんなさい…私も咄嗟だったから…。」
軽く目を伏せたレイシュヴィーゼに、ミラは大いに慌てる。
自分の立場といえば、彼女に守ってもらったほうだ。あの突然の出来事に対処しきれなくて突っ立っていては、もしラクトが現れなかった時に自分の身を守ることなどできなかっただろう。
「今度は、自分を守ること。あたしは、あなたに怪我されてされて守られたくないのよ。…でも、ありがとね、リーゼ。」
「リーゼ?」
「そう。あんたの本名が長いから、愛称つけてみたの。気に入った?」
愛称。そう聞いて連想されたのは、彼女の縹色の従者ウィグルであった。
あの事件が起きる前までは、彼もレイシュヴィーゼのことを愛称で呼んでいたのだ。
今の今までは、自分を指す愛称なんて彼以外に誰も使わない、特別なものだった。
いま新しい名をミラからもらったことで、少女は微笑んだ。ウィグルから贈られた時と同じくらいに、嬉しい。
「ありがとう。私のためにわざわざ考えてくれて…。とても良い名ね。」
ミラは目を細めたレイシュヴィーゼの頭をそっと撫でた。
「さっさとここから脱け出さないとね。まだまだ話したいこと、たくさんあるのよー?」
先を行く少女二人の背後で、口を挟める雰囲気ではないと践んだラクトは、先ほどからこっそり付いてきているベルに視線を送った。
視認はできないが、彼が闇のなかでぎくりと体を震わせた気がした。