20 『正面突破』
晴れ渡るある日のこと。ファウスト内の雰囲気は、どんよりとしたもので満たされていた。その発信源は、リビングの中央に置かれたソファで脱力しきり、頑として姿勢を正さないままだった。
「あー、くっそ。やっぱ正面突破は無謀だったか。大穴だと思ったんだけどなあ。」
悔しさを滲ませながら天井を仰ぎ見るベルは、一人そうこぼした。
―――つい数時間前のこと。
ミラ救出を固く決意した一扇は、すぐに行動を起こすことを決める。良案がなかなか出ないなか、正攻法で大敗を喫したベルがリベンジとでも言うように門からのシンプルな脱出…言い換えれば正面突破を発案した。
それを選択すれば避けては通れない守衛との戦闘に、最初はみな難色を示したが、ベルの勢いに押されて行動に移してしまったのだった。
結果は、当然失敗。学院の子供たちを守るために配備された彼らは、歓迎会での警備面での失態を教訓に、人事を一新した強者揃いだった。当然、そんな精鋭達に十歳そこそこの少年少女が敵うはずもなかった。
「まぁ……、その、なんだ?そういう真っ直ぐな所は、おまえの長所でもあんだから、そう気にするこたぁねえよ。」
「………。」
「…なっ、リーゼ!」
「うん!一生懸命考えてだめだったんだもん、仕方がないよ。…この反省文書き上げて、次の作戦を考えよう?」
「そうだよな。くよくよ悩んでるとか、俺らしくねえし!リーゼ、ありがとなっ!」
「………分かりやすいやつめ。俺に礼はねえのかよ。」
「アカツキ、ベルに代わって礼を言う。」
「ラクト。俺、前から思ってたんだけどさ、おまえってやつはなんて良いやつなんだろな。」
「本人に同意を求めるなよ。…っ!」
「クールだなァ、ラクトォー?」
にんまりと頬杖をつくビステルは、ラクトの頬を引っ張って上下に揺らす。軽い力でされれば笑い事で済むようなお茶目な行動も、ジェラルド・ビステルにかかれば相手の生死すら危うくさせる威力を発揮するのである。
「せっ先生!人の皮膚はそこまで伸びない…伸ばしちゃだめですってば!ああっ、揺らさないであげてくださいっ。」
いつものように突然現れたビステルに驚く間もなく、リーゼはおろおろとラクトの頬を見つめる。尋常じゃない。このままいけば確実に裂ける。
しかしながら、この場で一番頼りになりそうなアカツキは呆気にとられていて正気に戻る様子はないし、ベルとリスティに至っては顔を青くしてそれぞれの頬を守るように掌で覆ったまま硬直。拷問のような仕打ちを受けている当の本人はさすがに眉間に皴を寄せているものの、積極的に自衛しようとはしない。
「はっはっはっはっはー。そう心配すんな、リーゼ。これでこいつの硬ァい顔面も少しはやらかくなンだろーォ。」
「千切れたら意味がないですってばーっ!もう、じゅうぶん柔らかくなりましたからっ。」
「おォ。リーゼからお許しがでたなァ。」
「っ痛ー…。急に何するんですか。」
「挨拶だァ。」
真っ赤になった頬を擦るラクトは、涙目でビステルを睨み付ける。相当痛かったらしい。刺さるような視線をにやにやと受け止めた男は、すぐに次の標的を定めた。
「ひゃっなにしゅるんれすかぁ…っ」
「おいっ!リーゼはやめろよ先生っ!こいつをやるなら……………ラクトをっ、」
「おまえ、今、ラクトと俺を見比べやがったな!ラクトはもう犠牲者だっつの!」
「ならお前!アカツキっ!」
「自分で身代わりになれよっ!」
リーゼの白い頬が赤みを帯びてきた頃、今まで押し黙っていたリスティが意を決して立ち上がった。
「ぼっ、僕を…!」
彼の大きな瞳にいっぱい涙を溜めながら唇を噛み締める様子は、問答無用で少年たちの庇護欲を煽る。
「おまえはだめだ、リスティ!」
ばっちり重なった三人の声にビステルは眉を潜め、リーゼの耳元でこっそり囁く。
「あいつら、てめェーら魔法組に過保護すぎやしねェかァ…?」
「ひょうれすか?(そうですか?)」
「………。」
思い当たる節が見当たらないように首を傾げてきょとんとする愛らしいリーゼを前に、ビステルは、ぷつんと左手から力を抜いた。その隙を見逃さまいとベルが素早く彼女の手をひいて、自らの後ろに引っ張り込む。
「正面突破、失敗したみてェだな。」
目と鼻の先でニヤニヤと問いかけるビステルに、ベルは一瞬口を開きかけたがすぐさまつぐんだ。
「認める、か。ヨシヨシ。素直で大いにヨロシイ。そんなてめェらに、この優っしいビステル先生からプレゼントだーァ。ほらよ。」
どこからともなく取り出した分厚い魔導書をずいとベルに押し付ける。
「魔導書…?リーゼ、これ見てみろよ。俺じゃわかんない。」
「これ!『ナタの福音』の原本だよ!リスティ!」
「え…えええ!?原本ですか!?」
「そうみたい!私が持ってる複製よりもずっと強い魔力を帯びてる!」
興奮する二人を前に、ベルとアカツキはいまいち話が分からないといった様子で成り行きを見守っていた。どうやら希少なもののようだが、自分達にはその価値がよくわからない。とりあえず、ビステルが軽い調子で手渡したところを見るとそこまでの代物でもなさそうにも見える。
「リーゼ!これ、ミラのところに行くのに絶対役に立ちますよ!すぐにでも詠唱を覚えてしまいましょう!」
珍しく興奮した様子のリスティに引っ張られて庭に連れ出されたリーゼ。剣士たちはそんな二人の後ろ姿を見送りながら、彼らは後ろから何とも言えぬ視線を感じた。
「てめェらも強くなんねェとなァア?」
三人の背中に、一筋の冷や汗が走った。