1 『王の産声』
―――グランジール暦四〇八年。
冷戦の続く時世で、一人の男児が元気な産声を上げた。後に<金獅子王>と呼ばれる、アルベルト・フォルテノ・グランジールの誕生である。
歓喜に沸く寝室で、王が息子を抱き上げると同時に、今ほど出産たる大儀を終えた王妃は静かに息を引き取った。
彼女の口元に浮かべられた最後の微笑みは、愛しい我が子の行く末が、幸福で満ちたものであることを祈るようであった。
―――十年後。
レイシュヴィーゼ・メルトは、ユニコーンが牽く馬車に揺られながら一通の手紙を読み返していた。
『王立フールヴィエル学院』
完全招致入学制の全寮制学院。修学期間は六年。元老院所属の部署によって統括された唯一の教育機関である。
身分などに関係なく、魔法、剣術などにおいて優秀な能力を持つ者が王国の全土から集められ、招致された子供の家には、一定の懸賞が賜れる。神官の占術によって開院の是非が決定することもあり、通常の教育機関と比べて特殊な点が多いのが特徴だ。
卒業後は王城仕えが約束されていることもあり、招致されるということは大変な名誉なことであった。
レイシュヴィーゼにとってフールヴィエル学院は、両親の母校であり、憧れの場所であった。
しかし、偉大な剣士と魔女であった二人は、数年前に失踪した。その日のことを、彼女はよく憶えている。
凄まじい轟音が響く嵐の夜のことだった。
一家で避暑に訪れていた別荘に、父の部下であり、メルト家の従者であるウィグル・フリーが血相を変えて自室に飛び込んできたのである。
日頃から、従者でなく兄のように慕っていた彼のそんな姿を見たのは初めてであった。
外はひどい有様であるというのに、全力でユニコーンを駆ってきたのだろう。
縹色の髪からは、絶えず水滴が滴っている。
部屋に入るなり、ソファで魔法書を読んでいたレイシュヴィーゼを見つけると、絞め殺されるのではないかと思うくらい強く抱擁された。
あまりの苦しさに、背中をどんどん叩くと、ウィグルは我に返ったように彼女の両肩をつかんだ。
「今すぐここから出る。レイラ。『影魔法』は使えるな?」
焦燥に満ちた目が、レイシュヴィーゼに答えを急かし、彼女もそれに応えるように頷いた。
『影魔法』とは、魔力の塊を姿形を術者に似せて造形する魔法である。
まだ十歳にも満たない少女が扱う魔法としては難易度が高すぎたが、母親の影響と、少女自身の努力によって既に習得済みのものであった。
覚えたばかりの詠唱を終えると、もう一人のレイシュヴィーゼが主の姿をとっていた。
「どうしたの、ウィグル。何があったの…?」
やっと現状に追いつけたらしいレイシュヴィーゼが、不安げにウィグルを見上げていた。
「………旦那様と奥様が襲われた…!ここも危ない。急げっ。」
あれから、レイシュヴィーゼが両親に会うことはなかった。
『メルト公爵夫妻襲撃事件』とされたこの事件は、二人の遺体の発見と同時に多くの騎士と魔法使い達に衝撃を与えたという。
夫妻を慕っていた多くの者が犯人を捕まえようと決起したが、未だにその検挙には至っていない。
「お父様もお母様も、この学院で出会ったっておっしゃってたね、ウィグル。」
速度を落とさずに走り続ける馬車のなかで、レイシュヴィーゼはそっと呟く。カーテンの隙間から漏れた光が、少女の髪を明るく照らした。
ウィグルは、そんな主の様子を声もなく見守ってから頷いた。
夫妻襲撃後、彼は従者としてレイシュヴィーゼに接するようになった。
必要以上に口を開くことはしない。
以前は兄のように慕われ、妹のように接してきた日々がまるで嘘のように、言葉を交わすにしてもそっけないものであった。
しかし、それが従者と主という本来の形だということを二人とも理解していた。
夜が明けた。少女はゆっくりとカーテンを開け放つ。
眩しい光のなかに、彼女の蜂蜜色の髪は一層輝いて見える。
童子から少女へと変貌を遂げたレイシュヴィーゼの横顔を見つめて、ウィグルは静かに目を逸らした。
王立フールヴィエル学院は、すぐそこに迫っていた。