18 『浄化』
「…どうしよう…ウィグル………」
おぞましいと言っても差し支えないであろう目の前の光景に、リーゼは言葉を失った。
興奮状態にある魔獣たちは、雄叫びを上げて森の至るところで目を血走らせている。
前方では、剣を抜いたまま、どう動くこともできない三人は唇を噛み締めていた。
「リーゼ、リスティを担いで走れるか。」
ラクトが振り向きもせずに問いかける。
しかし、彼も私も分かっていた。たとえ退路を死守してくれたところで、その後、意識のない人を引き連れて逃げることなど不可能に近い。
ならば、答えは一つだ。
「ラクト達を残して行けないよ。…強化魔法をいっぱい使うし、リスティは私が守る。」
「ほんと、一扇(俺たち)の魔女は頼りになるな。」
「わふぉんっ。」
「ベルはお前も頼りにしてんぜ、ミヤ。」
「わふぅん!」
それぞれの言葉の裏には、決して拭いきれない不安があったが、諦めだけはそこにない。それが確信できるから、恐怖を抱いても今はまだ細い信頼という糸できつく繋がることができる。
決意を新たにしたところ、突如、ぱちっ、と眩い銀色の電光が走る。
導かれるようにして遥か上空に現れた影は、すぐに落ちてきた。地面についた膝を面倒くさそうに払って立ち上がったのは…。
「ビステル先生!?」
思わぬ登場に、全員の表情に希望が宿った。
「ったく何でこんなとこにあんな奴らがいンのかなァ。…てめーら伏せろよォ!」
無造作に下げた剣を抜くと、細身のそれは真昼の太陽を浴びてきらりと輝く。そして天高く掲げたかと思えば、そのまま切っ先を下に向けて地面に突き刺した。
その一連の動作は、まるで毎日の行いようなあまりにも自然な流れだった。
「滅する波紋」
ビステル先生の呟くような声と共に、剣を中心として円を描くように純白の衝撃波が広がる。先生が放つそれには、普通の魔法とは明らかに違う清らかな力を感じた。
まるで浄化されていくように抗う術も無く、壮絶な断末魔を上げながら消し飛んでゆく魔獣たちを呆然と見ていると、既に剣を鞘に収めた先生は私たちに振り向いた。
「よーう、久しぶり。」
片手を上げて挨拶されたものだから、反射的に会釈を返した。
彼は全員の顔を見渡して満足そうに頷くと、アカツキにリスティを持ってこいと指示してからふうっと息をつく。
「襲撃は何回あった?」
「一度です。歓迎会の時のと似たようなのが、二十三匹。」
「お前らで片付けた?」
「前のやつより全然弱かったんだ。なんつうか、猿っぽかった。」
うんうんと頷いたきり、ビステル先生は喋らなくなった。
私が、いや、他の皆もずっと気にしていることも口にしない。すぐにアカツキが帰ってきた。ぴったりと寄り添うようにしてミーヤも一緒だ。
「…ンだよ、その汚い犬は。」
不躾な視線を感じてか、ミーヤは毛を逆立てて怒りを露にする。…猫みたい。
「あー、ファウストって、ペット禁止すか?」
「知らね。」
ばっさりと切り捨てられたアカツキだったが、一応、禁止ではないということで連れ帰ることになる。
すると、落ち着いた今になって、なんでいきなりジャングルに放り込んだのかとか、どうしてあの事を口にしないのかとか聞きたいことが溢れてきた。
「リーゼ。」
問いかけようと口を開けた瞬間、ビステルの静かな声がそれを遮った。
「お前、攻撃魔法は使えねェの?」
「…はい。すみません…。」
「でも、リーゼはっ」
ベルが声を荒げる。ビステル先生は彼を制するように頷いてから、乱暴に私の頭を撫でた。
「責めたんじゃねェよ。確認だ。…基本なら、俺も教えてやれるかんな。帰ったら全員で特訓だ。覚悟しとけやァ?」
いつもの凶悪な笑みを見せたビステル先生は、心なしか楽しそうに見えた。
ジャングルからの帰還は呆気ないもので、私たちはビステル先生が指を鳴らすと同時に元いた場所に戻った。
ファウストだ。たった三日間離れていただけだと言うのに、こんなに安心できる場所だと言うのを改めて思い知った。
「お帰りなさい、お嬢様。と、皆さん。」
いくら見慣れても美しい笑顔を浮かべて出迎えてくれたのは、ウィグルだった。
幼い頃から見知った彼を見ると、自然と懐かしい気持ちになる。本当に三日しか離れていなかったのかと錯覚するほどに。
「ただいま、ウィグル。」
そう言うと、ウィグルはほんの一瞬動きを止めて、じっと私の目を覗きこむ。それから優しく微笑んでビステル先生に目配せした。
「てめーらも、気づいてるったァ思うが…ミラな。」
朗らかな空気が一変。視線は勢い良く声の主に集まる。
全員が気にかけながら、口にしなかったこと。ミラの行方だ。
一緒に飛ばされたから、最初はアカツキ達と居るとばかり考えていたのが、魔獣との交戦の最中に彼女の姿を見つけられなかった時点で間違いだったと知る。
あれからリスティが倒れるまで、彼の探索に彼女が引っ掛かったという話は聞かなかった。そしてビステル先生の登場。
なんだかんだ言って生徒を守ってくれる彼には、ミラを気にする素振りも見つけられなかった。
先生は彼女の行方を知っている。
その直感が悪い方向に逸れないことだけを祈りながら、私は先生の口が開かれるのをじっと待った。
「あいつなァ、退学した。」
「…………え?」
耳を疑った。ミラが自主退学して、ファウストを、フールヴィエル学院を去った?
極めて簡潔に語られる退学という事実に、誰もが驚きを隠せないでいた。
「そんなの、嘘でしょ!?だってミラ、私にまだまだ話したいことがあるって言ってた!先生は、退学を、許したんですか…?」
「さあな。」
あまりにも投げやりな言い方に怒鳴りそうになる。そんなの、あんまりだ。
「ただ、」
先生は続けた。
「一族に呼び戻されたっつう話らしいなァ。…そこにミラの意思があるかどうかってのは別にして。」
ならミラは!
「無理矢理、連れて行かれたってことすか?」
静かに問うアカツキの声は震えていた。
「まァ、あの様子じゃあ、自力では(・・・・)帰って来れないだろうなァー…。」
表情は見えないが、先生の台詞は『あいつを友達だと思うなら、自分たちで連れ戻してやれ。』としか聞こえなかった。
他の皆もそう受け取ったようで、確かめるように頷き合ってからビステル先生を見た。意地の悪い笑顔が張り付いている彼の目は、本当に面白いものを見たように歪んでいる。
「まーァ言っとくが、この学院から抜け出すのは骨が折れるぜェ。」
そう言ってから身を翻した先生を見送りながら、私たちは学院から脱出する術を模索し始めたのだった。
これにて学院編Ⅰは一区切りとなります。
稚拙な私の文にお付き合いくださった方々、どうもありがとうございました。
続く『ミラ奪還編』もよろしくおねがいします。