17 『魔獣、再び』
白い白い世界。
ただ平面的に広がる終わりの見えない場所に私は立っていた。
あまりの異質さに目眩がしたところ、突然、人影が現れた。
忘れるはずがない。いつだって会いたくて会いたくて仕方がない二人。お父様とお母様が、そう遠くないところから懸命に何かを伝えようとしている。
「なっんで、動けないの…!…お父様っ、お母様ぁあ!!」
走ればすぐに届く距離なのに、私の足は地面に縫いつけられてしまったかのように言うことを聞いてくれない。必死で動かそうとしていると、地面に巨大な影が落ちて、それは真っ直ぐにお父様とお母様を目指して突進する。
背中に生えた強靭な翼。垣間見える鋭い歯と灼熱を秘めたぎょろりとした瞳。知能があるとは思えないそれは、雄叫びを上げながら勢いを殺すことなく二人を弾き飛ばした。
「やめてよ!!お父様とお母様を傷つけないで!!!」
得意の魔法剣も魔法も使わない無抵抗な二人は、それでもまだ、私に何かを叫んでいる。けれど、聞き取れない。動けない。助けられない。
「お父さまぁあ!お母さまーッ!!」
伸ばした手が届かないままフェードアウトしていく白い世界。
ぽたり。誰のものとも知れない涙が零れ落ちた。
「リーゼっ!」
強く揺さぶられる感覚に瞼を上げると、心配そうに私をのぞきこむ青い瞳と視線が交わった。
眠りから覚醒しきれていないぼんやりとした頭で、今自分が置かれている状況を思い出す。
「ごめん、寝すぎちゃった?」
尋ねてみると、彼は少し安心したように肩の力を抜いた。
「いや、うなされてたから、起こしたほうが良いと思ってさ。」
「えっ?…私、何の夢、見てたんだっけ…。」
思い出せそうでできない内容に首を傾げる。
「リーゼ!ベル!!」
鋭く飛んできたラクトの切迫した声に、二人して慌てて外に飛び出す。
剣を構えるラクトの背中が一番に見えたが、その彼を囲むようにして並ぶモノに目を奪われた。
猿のようでそうでなく、ギラギラした視線を一心にラクトへと向ける姿には見覚えがある。
歓迎会で私たちに襲いかかってきた…、
「魔獣!?」
「んでまた出てくんだよ!?」
「突然現れた!歓迎会の奴とは、少し様子が違うようだ。」
しかし、数が多い。ざっと見渡しただけでも二十匹はいる。
ただ、ラクトのいう通り、前回のような異質な雰囲気は無かった。姿形は間違いなくただの野性動物ではないが、幾分か魔に属するというよりかは猿に近い感じがするのだ。
「こいつら、群れで生活してんのか?」
「そう考えるのが妥当だろうな。…それにしても、多い。」
私たちが巨木を背に対峙している間、魔獣たちの方もこちらの出方を窺っているようで、ぴりぴりとした空気が漂う。
どう出るべきか。
「ベル、合図で突っ込むぞ。」
「はぁ?」
「リーゼは魔法壁を出してから、強化呪文を全員に(・・・)頼む。」
この数を相手にベルとラクトだけで挑むなんて、無茶すぎる。しかし、異を唱えようとした瞬間、ラクトは既に地を蹴っていた。
「ったく!何が悲しくて特攻しなきゃいけねえんだよ!」
文句を言いながらも、ベルも後に続く。
とりあえず無防備な自分の前に魔法壁を呼び出すと、ありったけの強化呪文を放つために、目標を指定する。
と、ベルのがら空きな背後に鋭い爪を光らせた三匹の魔獣が飛びかかろうとした。
「ベル!後ろーっ!!!」
ザシュ…!と肉の裂ける音が鼓膜に直接響く。
爪が降り下ろされる直前、反射的に目を瞑ったリーゼは、ゆっくりと瞼を上げた。
「おう、リーゼ。俺たち(・・・)にも強化呪文、頼むぜ。」
「わふぅんっ!」
「アカツキ!!」
颯爽と魔物のなかに飛び込んでゆくアカツキと、灰色の犬の背中を見送る。
いつの間に合流できたのは定かではないが、彼がいることは心強い。
ベルも驚いていたようだったが、貴重な戦力に士気を高めたようだった。
「やっと合流できました。…探索で魔力を使いすぎてしまって…お役に立てなくて申し訳ないです。」
隣に歩み寄ってきたリスティは、額に汗を浮かべていた。最後に発動した探索魔法で、魔力はおろか体力まで持っていかれたのだという。
「私たちを見つけてくれて、ありがとう。」
三人と一匹の善戦に、リスティと二人で安息をもらす。そうしてあれよあれよと言う間に魔獣は全て片付いた。
「ラクトの耳が良くて助かったわ。よく俺たちが茂みに隠れてるって気づいたな、お前。」
肩を鳴らしながらにっと笑うアカツキに、ラクトも珍しく笑い返した。
「なーんだ、お前、そうならそうって言えよなあ。俺、お前の気が狂って突っ込んだのかと思ったじゃんか。」
「わふぅんっ」
全員の視線が少し下がる。注目を浴びた灰色の犬は、抗議するようにベルを見上げていた。
元々、汚れた毛並みだったのが、今は返り血も相まって凄惨な毛色となってしまっている。けれどただ一つ、濃紺の瞳だけが美しく輝いていた。
「ああ、こいつ、ミヤ。昨日拾ったんだけどな、なかなか強かっただろ。」
「わふぉん!」
「連れて帰るつもりなのか?」
「あ、お前って動物だめなの?」
「好きだ。」
「わふぉんっ」
嬉しそうに擦り寄る相手は、好意を見せたラクトではなく主人のほうだった。相当なついているらしい。
「アカツキが大好きなんだね、ミャ…っ!」
かんだ。独特の発音だとは思っていたが、実際に声に出すと本当に言えない。
アカツキを除く全員が声を押し殺して笑う。
「発音が難しいの!」
「はっ、ははは!そっか、いや、リスティも言えねえみたいだったからさ。そっか、言いずらいのか。
ミーヤにしよう。こっちならまだ大丈夫だろ。」
一頻り爆笑した後、アカツキはミーヤの頭をガシガシ撫でながらにっと笑った。
「ミーヤ。」
確かめるように呟いたリスティは、ほっとしたようにしゃがんで…倒れた。
慌てて呼吸音を確かめると、すーすーと静かな寝息が聞こえる。
「相当、探索で無理させちまったからな。すまん、リーゼ。寝かせてやって。」
「うん。」
とは言ったものの、気絶した人間を担ぐのは、たとえ小柄なリスティを対象にしたとしても重労働だ。
彼の腕を肩に回しながら、私自身に強化魔法をかけて巨木の空洞まで運ぶ。
横にならせて、労いの意味を込めて緑色の髪をといてやっていると、不意に外から耳を貫くような甲高い鳴き声が降り注いだ。
空洞になっているこの場所は、反響によって耳を塞がずにはいられないほどひどい状態だ。
そんななかでも穏やかな寝顔を崩さないリスティの両耳に、少しでも防音になればとハンカチを引き裂いて被せる。
そうして外に出た私を待ち受けていたのは…。
「なに、これ………。」
先ほどとは比べ物にならないほどの、魔獣の大軍だった。