16 『彼女の行方』
すっかり暗闇に包まれた足場の悪い道を、リーゼの右手を引いて歩く。
逆手にはこの身体を駆け巡る炎があって、微弱ながらも足元を照らす役割を果たしていた。
辺りはしんと静まりかえっている。
昼間も小動物の鳴き声が僅かに聞こえる程度だったが、夜になってからはそれすらない。それを少し不気味に思いながらも、数刻前に疾走した道をひたすら逆行していた。
リーゼを捕まえたあの時、あれだけ息を切らしたのだから、相当の距離があることは覚悟していた。
しかしいざ現実となると、夜が深くなるまでに戻れるのかという不安を捨てきれないのが本音だった。
時折吹き抜ける生ぬるい風が、俺たちを囲む木々の葉を小刻みに揺らす。音はない。それに、現状では四歩先の視界すら怪しい。
歩いても、先に見えるのは闇のみ。周囲に緑が鬱蒼と茂っており、何となく道のようなものがあることが記憶に無かったら、間違いなく二人揃って迷子になっていたはずだ。
時おり視界の隅でリーゼを捉えながら、俺ははぐれないようにと彼女の手を握り直す。微かな光に目を凝らすと、前方に淡い光が大小二つ見えた。
一つは見覚えのある焚き火で、もうひとつは、
「…ベルだ。」
リーゼは小さく頷き、心なしか歩調を速めた。繋がっていた手が容易に離れる。
あっと思った時には彼女の背中を追っていた。足元が見えない状態で駆け出すリーゼの斜め後方のポジションから広範囲を照らす。
炎は掌に収まらないほどの大きさにまで展開し、リーゼの前方までの地面を明るく浮かびあがらせる。
最初からこうすれば良かったと思われるかもしれないが、デリケートな野生の動物たちを刺激して、要らぬ戦いを強いられることを危惧してのことだった。
しかし今はそうも言ってられない。あのスピードで転びでもしたら、無傷というわけにはいかないだろうというくらいに走る、走る。
もともと足場の悪い地形だというのに、彼女はそれすら忘れているようだった。
後ろ姿がよろけるたびにひやひやする。
「ベル!」
「…遅かったじゃん、リーゼ…とラクト。」
「俺はオマケか。」
三人で顔を見合わせてから、笑った。と言うより笑われた。二人に。
俺だけ居心地の悪い思い噛み締めていると、リーゼが一度口を閉じてからベルに向き直った。
…この後、二人は滞りなく和解し、明日も続くであろう野営生活に備えて眠りに落ちた。
今日の見張りは、俺だった。
くたくたの身体に、寝ずの番は相当堪えたが、二人の安らかな寝顔が、嘘のように疲れを吹っ飛ばしてくれた。
長い睫、白い肌。何より蜂蜜と金の髪。
揺らめく焚き火に照らされる整った横顔は、天使と見間違うほどだ。…実際に見たことはないが。
似通った髪色のせいか、どことなく似ているリーゼとベルを思い出しては眺めながら、俺は長い一晩を過ごした。
いつのまにか逆転した前後の並びは、明らかに僕とアカツキの体力差を示していました。
気遣うようにたびたび振り向くアカツキに頷いて見せると、同じタイミングでマ…ヤも心配そうに見上げてきます。良い子です。
「ミ…ヤは優しい子ですね。まだ幼いというのに、他人を気遣えるなんて。」
「うゎにやあ!」
「こいつ、喜んでんのか?変な鳴き声で分かりゃしない。」
「尻尾、ぶんぶん振ってますよ。」
賢いな。そう呟いてから、アカツキは再び歩きだします。
大きな葉が生い茂る隙間から射し込む月明かりが、点々と地面を照らします。同じような景色ばかりが流れて行きますが、確実にリーゼとラクト、それにベルの居る方角に向かっているのは確かでした。
あちらはつい先ほどまで二手に別れていたので、どうなる事かと様子を伺っていましたが、無事、元のように纏まって待機しているようです。
僕が探査魔法を介して見た一部始終は、音声無しの映像だったために詳しい事情は分かりませんでした。
確かに見えたのは、今までに見たことがないリーゼの取り乱した様子、止まらない涙。立ち尽くすベル。そして掴まえたリーゼに何かを諭して、彼女と共にベルの元へ戻ったラクトの姿でした。
…状況を探る為とは言え、三人の行動を監視するような探査になってしまった。
やっと後悔したのは、焚き火の側でベルとリーゼが寝ついた直後のことでした。
「川も近いし、今日はここで寝よう。」
言い終わって腰を下ろした瞬間、アカツキに飛び込んだミ…ヤは、甘えた声を出しながら彼の首元に鼻を押し当てます。相変わらず、凄まじいなつきようです。
彼が二、三回軽く撫でてやると、ミ…ヤは嬉しそうにゴロンと横になりました。安心しきっているようです。
それを優しい目で見たアカツキは、一息ついてから僕に向き直ります。
「………それで、ミラはやっぱり探査でも見つかんねえのか。」
「………はい。僕の力不足です…。集中してもう一度やってみるので、少し時間をください。」
目を閉じて、身体に流れる魔力を感じ直します。地面についている足の裏から細い糸を長く伸ばしてゆくイメージ。これが、探査魔法の基本です。
しかし、想像の限界に達した糸の長さと細さでは更に広範囲まで探査を広げることができません。
目を強く閉じます。
…限界まで伸びた糸。それを更に枝分かれさせ、もう一度、もう一度…晴れ渡る無限の海面に揺れる、光の鎖のようになったそれはぐんぐんとその先端を増殖させていきます。
無駄に量だけはある僕の魔力が底を尽きる手前まで分裂を繰り返してから、地底に伸びたそれを一気に地上に浮上させます。
その瞬間、魔法の網が通過した空間の情報が大きな波となって僕の頭に流れ込み、水飛沫一つ一つに込められたそれらが徐々に浸透していきました。
間を入れず、複数の視点から集められた地形をひとつに繋ぎ合わせます。
恐ろしい速度で駆け巡る探査の視界に入った人影は、似たような格好をしてすやすやと眠るリーゼとベル。そして剣を傍らにして焚き火の前に座り込んでいるラクトの姿だけでした。
「だめ、だったか。」
僕の様子から結果を察したアカツキが、念のためというように責める様子もなく訊ねます。
「…すみません。」
俯くと、すぐに頭をかき乱されました。その硬くて大きな手のひらの主は、にっと笑います。不意に浮かんだビステル先生の笑顔とは全く違う、悪意無き頼れるお兄さんといった雰囲気です。
「いんや。…まあ、あいつら三人は最初からそう遠くにいるわけじゃないみたいだしな。
ビステルだってそんな鬼畜じゃねえだろうから、お前の探査に引っかかんないてこたぁ、元々ジャングル(ここ)に飛ばされてないってセンが濃いってことだろ?」
「…そう、ですよね。」
そうであってほしい。口から出かけた言葉を何とか押し留めます。
「今日は休もう。明日こそ、ラクト達と合流しないとな。」
頷いてから見上げた空には、既に数多の星が輝いていました。