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きみに、  作者: むんく
学院編.Ⅰ
16/25

15 『抱えるもの3』

 リーゼは息を切らしながら振り向いた。

 やっとのことで彼女の腕をとった俺も、結構な距離を追走したおかげで、肩で息をする有り様だった。

 抵抗されながらも、掴んだ腕を決して放さずにいると、みるみるうちにアーモンド色の瞳が潤む。

「う…っ。リっ、リーゼ?悪い、痛かったか?」

 力を入れすぎてしまったのかと焦っていると、リーゼは力なく頭を左右に振った。その拍子に小さな水滴がふっくらとした頬を滑り落ちる。

 しかしこれ以上、涙を流さぬようにと唇を噛みしめて堪える姿に、胸が半分もぎ取られたような、不可思議な感覚に陥った。

 なんだ?と考え込んでしまう前に、その思考を振り払うように拳を握る。

 今大事なのは俺のことじゃない。

 気持ちの整理ができていない様子のリーゼをそっと切り株に座らせると、自分も隣に座りこんだ。

 遠慮がちに鼻を啜る音だけが聞こえる。俯く彼女の表情は見えないが、泣いているに違いなかった。

 いったい何がリーゼをこんなに悲しませているのか。なぜベルに対してあんなことを言うような事態に陥ってしまったのか。

 理由を聞いてみたいけど、彼女から話してくれるのを待つことにした。

 沈黙は苦痛じゃない。…待つことには慣れている。

「…私の、」

ぽつり、とリーゼは呟いた。


「私の、両親も…、好き、だったの。…アピルの実…。」


 <メルト公爵夫妻襲撃事件>。

 彼女の両親という存在を考えて、ぱっと浮かんだのは有名な事件の名だった。

 王太子の専従第一騎士を務めていたメルト公爵と、国で三指に入る優秀な魔女であった夫人の失踪。

 四年前、事件を解明すべく宰相自ら指揮を執ったというが、未だに解決の糸口すら掴めないでいる。

 現在、時が経つにつれて事件の存在も国民の記憶から薄れていっていることは…残念ながら否めない。

 しかし、人望の厚い夫妻の傘下であった多くの貴族は、今も水面下で捜索を続けているのではと噂が流れているのも確かだった。

 夫妻失踪直後は六歳だったリーゼは、いったいどんな心境で日々を過ごしていたのだろう。

 国内の東方一帯を治める任を担うメルト公爵メルト家で唯一の直系として、たった六歳の少女はどのように生きなければならなかったんだろう。

 貴族とは縁の無い俺でも、幼い彼女に課せられた役割と果たすべき責任を想像するのは難しくなかった。

「色々、思い出して…分からなくなって…っ!私、最低だよ…ベルは、ベルは何も悪くないのに…。」

 またポロポロと涙を流し始めたリーゼを横に、こんどは狼狽することなく、できるだけ優しく背中をさする。

 出会ってからどこか他人行儀だったリーゼの口調がくだけていた。これが彼女の本来の姿なんだろう。

 一人きりで取り残され、現・メルト公爵の数少ない直系であるという立場が、取り巻く環境が、彼女から子供らしさを奪い続けていたのだ。

 今までずっと、リーゼはいくつの本心を押し殺してきたのだろう。流しても許される涙を、何度堪えてきたのだろう。

 それを思うと、―俺自身のことではないというのに―、ひどく苦しく、もどかしい。


「そういうのはあるだろ、誰でも。…八つ当たりが良いことじゃないのは確かだけど、俺もリーゼも完璧じゃない。

だから、どこかに足りないところがあったって、悪いわけがないんだ。戻ろう、リーゼ。ベルに謝らないと。」


 リーゼが小さく頷いたのを見てから立ち上がる。

 いつの間にか、真っ赤な夕日が辺りを照らしていた。ここから日が落ちるのはあっという間だ。

 俺とリーゼは急ぎ足で、もときた道を戻って行った。





 アカツキは、そっと背後を振り返った。

 ぽてぽてぽてぽて。

 …向き直る。

 もう五回も繰り返されているその行動に、アカツキ自身もうんざりしていた。

「もしかして、アカツキの生き別れの兄弟かもしれ…」


「俺は犬に兄弟持った覚えは無いね。」


 先刻、リスティーユ目掛けて襲いかかってきた大型犬は、アカツキの甘い峰打ちを食らわされてから、二人の後をずっと付きまとってくるのであった。

 アカツキは、その身丈に似合わず思いっきりつぶらな瞳にやられたのか、存在を忘れようとしても気になってしまうようだ。


「…ファウストってペット大丈夫でしたっけ?」

 小型犬とか大型犬で扱いが違うってことはないですよねえ。


 悩むようなジェスチャー付きでうーんと唸り声を上げるリスティーユだが、目が完全に笑っている。

 厳ついアカツキと愛想のある犬という組み合わせが面白くて堪らないらしい。

「規定はなかったと思う。………。」

 アカツキは突然立ち止まった。

 その足で九十度回転すると、待ってましたとばかりにすぐさま薄汚れた大型犬が彼の胸元へ飛び込む。咄嗟のことで受け止めきれなかったアカツキは思いきり背中を打ってしまった。

 痛い。

「きゅるぅぅう!」

 しかし甘えるように擦り寄り、のし掛かる大型犬に、アカツキも思わず頬が緩む。

 押し倒されたまま、しばらくは熱烈な顔舐めを受け入れていたが、不意に目の前に美しい澄んだ夜空が広がっているのに気づく。

「お前さん、俺と反対だな。」

 

 暁―アカツキ―


 その名は彼の故郷で〈夜明け〉を指す言葉。

 この犬に名を付けてやるとしたら、どんなのがいいだろう。

 暗闇に星を散りばめたような不思議な瞳をじっとのぞきこむ。星空…夜…夜中…っつうより、深夜?…シンヤ…いや、


「ミヤ!俺はアカツキ。よろしくな。」


 鼻の上辺りを少し乱暴に撫でてやると、大型犬は元気になきながら、尻尾を千切れそうなほどの勢いで振った。

 アカツキはニッと笑うと、再び小さな体を胸に抱いた。

「ミ…ヤとはどういう意味なんですか?」

 東方独特の発音に舌をもつれさせながらも、名前の由来に興味津々なリスティーユは、無邪気にじゃれつく大型犬を見ながら尋ねた。

「俺の国の言葉で、真夜中を意味する文字の本来の読み方を弄ったんだ。

ほら、こいつの目。」

 納得したように微笑むと、彼はそっとミヤの喉元を撫でた。目を細めて気持ち良さそうに喉を鳴らす様子は、さながら猫のようであった。

 あまりの人懐っこさに苦笑しながら、二人と一匹は止まっていた足をまた動かし始める。

「行くぞ、ミヤ。」

 辺りは夕焼けで赤く染まり始めていた。ここから日が暮れるのは早い。

 切りの良い所で野営の準備をしなければいけないな、と思いながら、アカツキはリスティーユの後に続いたのであった。

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