寄與美
〈新涼や輕き惡夢のある如く 涙次〉
【ⅰ】
安保さんと妻・勝子さんの間に子はない。世継ぎがゐない譯だ。こゝ、* 新中野・鍋屋横丁裏手の安保さんの邸宅が、だうにも廣過ぎて困るぐらゐだ。
甥つ子で安保卓馬つてのがゐる。まだ髙校三年生だ。持病の多發性嚢胞腎と云ふ病氣と闘つてゐて、週に三回、人工透析を受けてゐる。彼が、大學受験勉強の為、靜かな環境が慾しいと、安保さん邸に下宿したがつてゐると云ふ。安保さんの家なら、勝子さんは町會の會合でいつも出払つてゐるし、安保さん自身も、會社に出てゐる時以外は、カンテラ事務所付「開發センター」にゐる。家は靜かだ。
と云ふ譯で、掛かりつけ醫院が遠くなると云ふのに、わざわざ卓馬は安保さん宅に下宿を開始した。本当は、過保護の親から逃れたかつた、と云ふ事もある。
* 前シリーズ第42話參照。
【ⅱ】
とは云へ、夕食の時、朝食の時、は一家(?)揃つてゐる譯だから、自ず、安保さんには仕事へ向かふ張り合ひが出る。さう、安保さんは卓馬を溺愛してゐた。卓馬の云ふ願ひは、安保さん、何でも叶へてやつてゐる。過保護の兩親の事は、批判出來ない。
或る約束をした。卓馬「僕、彼女が慾しいんですよ。だけど、透析と勉強とで、戀活してる暇もない。伯父さん、アンドロイドの戀人を造つて下さい」‐卓馬は、安保さんがカンテラ一味と交はり、どんな事をしてゐるか、知つてゐた。
安保さんは、約束にはOKを出した。思はず、出してしまつた、と云ふべきか。確かに、腎臓に重い障碍を持ち、戀活は難しからう。同情心は「いけないな、彼の為にならない」としながらも、つひ湧いて來てしまふ。
【ⅲ】
卓馬の好みのタイプを訊くのは、安保さんにとつて心樂しい時間であつた。肉親の願ひを出來るだけ忠實に叶へてやる‐ なかなか出來ない事ではなからうか。それにしても、バストGカップ以上、と云ふ望みには參つた。昨今の若者たちは、中身より巨乳大事なんだなあ、と思はざるを得ない。
それでも、きちんと彼の要求通りの、アンドロイド娘を、約束の期日に「納品」した。「伯父さん、有難う! 將來僕が成り上がつたら、お禮たんまりとします!」
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈殘忍な作者となりてキャラ出し入れ「異星の客」の重み感じる 平手みき〉
【ⅳ】
ところで、アンドロイド娘には、ダッチワイフ的機能はない。それでも卓馬は樂しさうであつた。戀、彼はそれに憧れてゐたのである‐「寄與美」と名付けて(文字通り、彼の生活の充實に寄與してゐるから)デイトに連れて行つたり...「正直、戀人と行く遊園地が、こんなに樂しいものだとは知りませんでした!」‐安保さん思はず苦笑ひ。「デイトは結構だが、きみ、受驗の事忘れたらあかんぞ」‐「分かつてますつて」。それでも安保さん、一浪ぐらゐは覺悟して置いた方がいゝ、とは密かに思つてゐた。
【ⅴ】
話は變はる。今日は久々の「面談日」で、涙坐は魔界へ行つた。運轉手役はじろさんである。まだ肝戸では危ふい。二重人格の「もう一人」が出て來たら、と思ふと、カンテラ始め一味皆ぞつとするのだつた。ぴゆうちやんが護衛に付いてゐる。
だが、困つた事が出來した。面談相手が逃げたのである。彼は「アンドロイドJ」。何を考へたのか、この面談さへ無事に濟ませたら、晴れて人間界に行ける、と云ふのに‐ 逃亡は殘念だつた。涙坐のみならず、カンテラ一味全員にとつて。
彼は、その名の通り、アンドロイドなのである。人間界は、彼の氣に入つた。特に、可愛い女の子、アンドロイドの、がゐると云ふ點で。さう、彼は「寄與美」を見掛け、一目惚れしてしまつた。アンドロイドだと云ふ事は、「蛇の道は蛇」で、彼には一目で分かつた。
【ⅵ】
「J」は美靑年だつた。さう造られたのである。次第に、卓馬から「J」に心變はりして行く、「寄與美」。卓馬は、別段醜男、と云ふ譯ではなかつたが、安保一族の男衆らしく嚴ついルックス。「寄與美」は「J」に、完全に「落とされた」。それを尾行してゐたのが「シュー・シャイン」。早速、カンテラにご注進。
【ⅶ】
「安保さんの氣持ちを思ふと、正直だうかとは思ふが‐」、結局「J」成敗と云ふ事になつた。「テオ行つてくれる? テオなら、安保さんの怒り ‐余計な手出しをしやがつて、と云ふ‐ も鎮まるだらう」‐「えつ!? 僕スか? 憎まれ役だなあ。その卓馬くんとやらに」(だうせ「J」を斬つたところで、なんで自分に殺らせてくれなかつたんだ、と卓馬に云はれるのがオチだ)。結局ぶうつく云ながらも、テオ・ブレイドを装着したテオであつた。
「シュー・シャイン」に導かれて、「J」が身を隠してゐる公園に行つたテオ。
すぐに「J」は見付かつた。彼は、見掛けばつかりで、中身がそれに伴つてゐない。テオ「しええええええいつ!!」(笑)。
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〈朝寢坊秋が來たなと思ひけり 涙次〉
しかし、結果としては、案の定「寄與美」の心は帰つて來なかつた。卓馬はわあわあ泣いた。アンドロイドに失戀。されど彼は戀愛のフルコースを味はつた譯だから、その事、安保さんに感謝すべきだつたのだ。「尾崎のをつさんに知れたら、またお目玉、喰らつちまふな」そんなカンテラは、暢気に過ぎたのだらうか? 因みに「依頼料」は思ひがけず、卓馬の兩親から入つた。
お仕舞ひ。