第3話 保健室
保健室のベッドには、脱ぎ捨てられた服が散乱していた。子供服も、大人の服も。まるで、急いで脱いだような。いや、もう必要なくなったから脱いだような。
カルテが散乱している。養護教諭の記録。
『9月15日 爪の成長速度が異常。週に3-4回の爪切りが必要。 原因不明。』
『10月20日 聴覚、嗅覚の異常な発達。 高音域への感受性は人間の限界を超えている。』
『11月30日 もう にんげん の からだ じゃない でも けんこう とても けんこう ただ べつの いきもの に なってる だけ』
最後のページには、手形が押されていた。しかし、それは五本指ではなく、肉球の跡だった。
図書室
図書室の本は、ほとんどが床に散らばっていた。ただし、動物図鑑と月の写真集だけは、きれいに開かれて並べられている。
猫のページ、月齢カレンダーのページ。そこには無数の手形が付いていた。最初は人間の手形、そして徐々に...
一冊の古い本が、特別な場所に置かれていた。『音無神社縁起』
開くと、古い文字で書かれている。
『この地に月の民降り立ちて千年。人の姿を借りて世に紛れしが、百年ごとに真の姿に還ると云う。猫の姿は仮の姿。真の姿は月の光その物なり。』
給食室
そして、給食室。
悠真は息を呑んだ。
床一面に、魚の骨が散らばっていた。きれいに身だけが食べられた、無数の魚の骨。サバ、アジ、イワシ...骨の量から推測すると、数百匹分はあるだろう。
しかし、異様なのは、骨の並べ方だった。すべての骨が、放射状に並べられている。中心から外へ、まるで太陽のように。いや、月のように。
冷凍庫は開けっ放しで、中は空。彼らは、ここで最後の「給食」を食べたのか。
壁には、栄養士のメモが貼られていた。
『12月24日 最後の給食 全員で魚を食べる 人間としての最後の食事 明日からは、月の光だけで十分』
体育館への道
体育館への渡り廊下を進むと、異様な光景が目に入った。
廊下の窓ガラスに、無数の手形。最初は人間の手形だが、次第に形が変わっていく。指が短くなり、手のひらが厚くなり、最後は...肉球の跡。
床には、服が点々と落ちていた。まるで、歩きながら脱いでいったかのように。シャツ、ズボン、下着、そして最後に靴下。
その先には、毛が落ちていた。最初は少しずつ、そして次第に量が増えていく。銀色、黒、三毛、トラ...様々な色の毛が、道しるべのように体育館へと続いていた。
体育館
体育館の扉を開ける。
そこには、巨大な穴が開いていた。
直径30メートルはあろうかという大穴が、体育館の床を突き破って地下へと続いている。縁は溶けたようになめらかで、まるで内側から何か巨大なものが突き破ったような...
いや、違う。よく見ると、縁は有機的な曲線を描いている。まるで、巨大な花が開いたような形状。
穴の底は見えない。ただ、かすかに金色の光が揺らめいているのが見える。そして、温かい風が吹き上げてくる。
獣臭い、しかし心地よい風が。
その風に乗って、かすかに声が聞こえてくる。いや、声というより、振動。体の奥底に響く、原初的な呼びかけ。
『おいで』『かえろう』『みんないっしょ』
穴の周囲には、また足跡。数百、いや千を超える足跡が、穴に向かって収束している。そして、その足跡は穴の縁で消えている。
彼らは、ここから「帰った」のか。
穴の縁に、一台のスマートフォンが落ちていた。画面は割れているが、まだ電源は入っている。
@ruins_seekerのアカウント。最後の投稿は下書きのままだった。
『もう人間じゃないけど、後悔してない。むしろ、今までが間違っていた。名前も要らない、言葉も要らない、ただ在るだけで幸せ。もし君もここに来たら、きっとわかる。こっちが本当の世界だって。』
動画ファイルもあった。再生すると、穴の底から這い上がってくる何かが映っていた。
金色に光る、巨大な繭のようなもの。その表面は脈動し、まるで生きているかのよう。そして、カメラは床に落ち、最後に映ったのは...
変わりかけの顔。人間と猫の中間の、しかし恐怖ではなく恍惚の表情を浮かべた顔。
校長室
校長室で、一冊のファイルを見つけた。
『令和5年度 学校要覧』
ページをめくると、集合写真。9月1日撮影とある。
笑顔の子供たち、教職員、そして...
悠真は写真を見つめた。確かに、何かがおかしい。全員の瞳が、微妙に光を反射している。そして、姿勢が妙に似ている。個性があるようで、ない。
次のページには10月の写真。もう明らかに異常だ。全員の目が丸くなり始めている。
11月の写真では、耳の形が変わり始めている者もいる。
そして12月の写真...もはや人間には見えない。銀色の毛に覆われた、美しい生き物たちが整列している。しかし、どこか嬉しそうだ。
最後のページに、手書きのメモが挟まっていた。
『音無神社の倉庫に、すべての真実がある。でも、読んだら戻れない。それでも知りたいなら、月の階段を登れ。』
月の階段?
ふと窓の外を見ると、猫たちがまだ待っていた。その向こうに、山の中腹に続く古い石段が見える。