☆神々の裏話③
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フレイムの闘気がふっと凪いだ。炎の剣を退いて構えを解く。
『何だ、もうお終いか』
ラミルファは追撃せず、自らも神威を収める。残り火のような火の粉を上げて剣を消しながら、フレイムが溜め息を吐いた。
『今言ったこと、最初から俺に話してりゃ良かったじゃねえか。たっぷり陳謝して感涙しろ、くらい言っときゃ良かったんだ』
『礼など不要だ。同胞が幸せを手にできればそれで良い。逆の立場なら、君も同じことを言っていただろう』
軽薄な顔が、ごく自然な調子で言い切る。当たり前のことをしただけなのだと。その掌で、黒剣が大気に溶けるように失せた。
『フレイム。自画自賛になるが、事実だからはっきり言おう。僕の閃きは的中するのだよ。あの時、君が取りこぼしかかっていた何かは、僕にとってのセインに等しい存在だった。つまり愛し子だ。そのことまで察したから、余計に助けなければと思った』
肩を竦めた邪神は、荒野に一瞥すら向けぬまま、庭園を完璧に復元した。サラリとした白髪を風に遊ばせ、視線を空に向ける。
『お前、同胞に対しては火神一族並に面倒見が良いよな。リーリアへの気持ちに向き合い切れねえ泡神様のために一肌脱いだりよ』
フレイムがそう言った途端、眼前の相手はヘラヘラした笑みを消した。深い光を帯びた目に、哀しさと切なさが宿る。
『一度愛し子と認識した者を己が手に抱けない辛さを味わうのは、僕だけで十分だ。一時だけとはいえ、僕はその壮絶な苦しみの渦中にあった。だから、どれだけ堪え難いものか分かるのだよ。泡神様まであの中に落ちる必要はない。いや、落としはしない』
『お前はいつもそうだ。大切な奴を自分より優先する。……セインは狼神様に見初められて幸福になったが、仮にお前が愛し子にしていても、今と同じくらい幸せにしてやれてただろ。それでも狼神様に託した』
『あの子は悪神ではなく高潔な神の懐に抱かれるべきだ。それが僕にとって永久の地獄だとしても、あの子が幸せならそれで良い』
自分が見初めた者が、他の神の愛し子として愛でられている。神として永遠に続く時間、指をくわえてずっとその様を見続けなければならないことは、何よりの責め苦だ。しかし、それでも良かったのだ。フルードが幸福になってくれさえすれば、それだけで良い。自分はあの子の同胞の一柱になるだけで十分だと思っていた。
『だが、僕は底へ堕ちなかったよ。他ならぬセインが引き上げてくれたから』
血涙を絞る思いで身を引こうとしたラミルファを、当事者のフルードが頑として離さなかった。
『僕が包珠の契りを結んだのは、あの子が僕にしがみついて離れなかったからだ。肝心な時に手を振り払おうとした僕を、自分の意思でしっかりと掴み続けてくれた。そのおかげで、僕はあの子を宝玉にすることができた』
包珠の契りは愛し子の誓約や兄弟の契りに匹敵する。ラミルファは、フルードを宝玉として手に入れることができた。愛し子や弟に匹敵する存在として置けたのは、他ならぬフルードが頑張ったからだ。
『あの子のおかげだ。セインは自ら地獄に足を踏み出そうとしていた僕を引き戻し、天国に連れて来てくれた。あの子は僕の全てだ』
風に乗り、はらはらと木の葉が舞い落ちる。青みを帯びた水晶の葉。邪神の手が無造作にその一枚を掴み取った。
この小さな一欠片だけでも、地上で売却すればダイヤモンドの巨城よりも高い値が付く。何しろ天樹の葉だ。
それを惜しげも未練もなくポイと放り捨て、灰緑の眼差しが宙を仰いだ。
『この際だから聞くけどよ、星降の儀の後祭でユフィーに向けて黒炎を放ったのもわざとか?』
『僕の直感は優秀なのだよ。あの時はそうするべきだと閃いた。あの場面で、死なない程度の力でアマーリエを攻撃する。そうすれば全てが上手くいき、君は愛し子を得ると』
その読みは正しかった。アマーリエを黒炎から庇い、ラモスとディモスが傷付いた。特にディモスは致命傷を負い、それがきっかけでアマーリエは自分の殻を破った。
露わになった彼女の輝きを目の当たりにしたフレイムは、その美しさに魅了されて愛し子にした。逃しかけていた大切なものをきちんと手に入れられたのだ。ラモスとディモスも癒され、火神の使いに抜擢された。
後から見返してみれば、全てが最善の形でまとまったのだ。それは聖獣たちとアマーリエ自身も認めている。
『それでお前がユフィーや聖獣に疎まれるとは思わなかったのか。結果だけ見れば、同胞をどこまでも愛する神の性のおかげで、ユフィーたちのお前への負の感情は無くなった。けど、そう上手くいかず、何らかの形で禍根が残る可能性だってあっただろ。忌まれてたかもしれねえんだぞ。そうしたらどれだけ辛かったか』
フレイムの愛し子になれば、アマーリエも神の一員だ。つまりラミルファの身内となる。そして、同族から忌まれるほど神にとって辛いことはない。神は身内を限りなく愛するからだ。愛する者に嫌われることになる。だが、ラミルファは即答した。
『君たちが、僕の同胞が幸せになるなら構わない。僕自身のことなど二の次で良い。仮に僕が疎まれたとしても、君たちは幸福になって……思う存分僕を恨めば良い』
一切の迷いを見せず断言するその瞳は、葬邪神のそれに酷似していた。長兄と末弟は気質が似ているのだ。
ふと、アマーリエが漏らしていた言葉を思い出す。あの時ラミルファが黒炎を放ったことで、全てがベストな方向に転がった。ラモスとディモスはそう言って、ラミルファを恨んでいないと。
主を害する者は断固として拒絶するはずのあの二頭が、末の邪神を受け入れた。そこには神々同士の同胞愛が大きく影響している。だがそれだけでなく、ラミルファがアマーリエたちを最善の状況に導くためにあの行為をしたことを、本能的に嗅ぎ取っているのかもしれないと感じた。
フレイムはジト目で腕組みして問う。
『なぁなぁ。お前……気まぐれで自己中心な悪神の顔で、星降の儀と神官府を引っ掻き回してたが、本当はいつから何をどこまでどれだけ分かって動いてたんだ?』
星降の儀の後祭で、ラミルファは去り際にフルードへ玉を下賜した。手数をかけた詫び、と言っていたが、それは表向きだ。フレイムが見たところ、本来の寿命を迎えんとするフルードが、昇天期限が延びたことを理由に地上に留まることを望んだ時、その助けになるような力が込められている。
体調が一気に急下降し、文字通り体が死のうとしているフルードが、それでも辛うじて擬人化を保っていられるのは、あの玉に込められた神威によるものだ。それももう限界を迎えようとしているが。
『ふふ、さぁねぇ。内緒だよ。ここで全部ネタばらししたら面白くないじゃないか。だが、一つだけ言えば、ミリエーナを君のきっっっっったない火の粉で穢されたことは想定外だったし、本当にショックだったとも』
『そりゃー悪かったな。だが、お前はセインに懇願されれば撥ね付けられねえ。あの子に泣き落とされれば、どのみちバカ妹のことは諦めていただろうよ』
秋山の銀杏と同じ色をした瞳が光る。
『お前がバカ妹を気に入ったのも、生き餌にしようとしてたのも、星降の儀という最高の舞台で目立ちたかったのも、全部本当なんだろう。だが、それ以外にも色々な事情や思惑があったんだろ』
『ほぅ、例えば? 僕の方も同じ質問をしよう、フレイム。君はいつから何をどこまでどれだけ推測できている? 何しろ、君の野生の勘も僕と同等だ』
小首を傾げて問いかけられ、フレイムは皮肉げに鼻を鳴らした。
『秘密だ。お前が全部を語らねえのに、こっちだけ手の内をパーッと見せるわけねえだろ』
その答えは予想の範囲内だったのろう。それはそうだと、邪神が高らかに哄笑する。
『お前に倣って一つだけ話すなら……お前は俺が愛し子を得ると推測できた時点で、セインの内にいる俺が……あの神器が、ちゃんと完成するか確認するために来たんだと思ってる』
『ふふふ』
ラミルファが親指を立てる。正解ということだ。
フルードの内にある焔の神器は、フレイムが愛し子を得ると同時に真の意味で完成する。
何故ならば、愛し子ができれば、フレイムはいざという時、弟より愛し子を優先するようになるからだ。普段はどちらにも惜しみない愛情を注いでいても、双方への想いに順位や序列を付けなくとも。どうしてもどちらか一人しか選べない局面になれば、必ず愛し子を取る。
だからこそ、弟を後回しにしないように――どちらも助けられるように、もう一柱の自分を創った。いつ何時でも弟を優先し、弟だけを守る別の自分を。それがあの神器だ。ゆえに、焔の神器が真に完全になるのは、フレイムが愛し子を得てからなのだ。
そして、その時が来たと察したラミルファは、本当に神器が正しく完成するか――フルード専用のフレイムとして顕現するか、その目で直に確認しに来た。
ミリエーナを生き餌として見初め、愛し子を得る権利を行使し、ついでにフルードの反応やお手並みを拝見しようとしていたことは本当だ。だが、それだけではなかった。他にも目的があったのだ。あの時のラミルファは、幾多もの事情と理由、目的と思惑が絡まり合った中で動いていた。
シュードンに怒りを見せたラミルファを宥めに来た秀峰も、それを察していただろう。目的を果たし宝玉にも会えたことで、末の邪神の根底は上機嫌だった。シュードンへの怒りは本物だが、あくまで表層的なものだ。選ばれし神であり生まれながらの荒神でも、この状態ならば自分が単独で鎮められるという目算があったはずだ。
『あちらの君が完全になる瞬間は、しっかり視ていた。良かったよ、何事もなく完成して。――ねぇフレイム、ラウティル様の言葉を思い出してみるが良い。助力は二つあったと言っていただろう。君が愛し子を逃がさないよう、僕の他にも手を貸していた神がいる。君とアマーリエを繋ぎ止めていたセインの力を強化してね』
灰緑の目が弧を描いて細まった。
『あちらの君も力を貸していたのだよ。当然だろう、自分には幸せになって欲しいからね。とはいえ、アレは君と同じ神だが別の神でもある。互いに独立した個々の存在だから、君やアマーリエの前にしゃしゃり出てどうこうするのは違うと思ったのだろうね。陰から密かに動くに留めていたようだ』
『……そうだったのか』
山吹色の双眸が、虚を突かれたように丸くなる。そうだよと頷きながら、末の邪神は密かに笑みを噛み殺した。
本当はそれだけではない。もう一柱のフレイムが手を貸していた理由には、もっと主たるものがある。彼の神器の完成を視ていたラミルファは、それを知っている。フレイムには聞こえないよう、口の中で呟く。
『アレはね、君に早く愛し子を得て欲しかったのだよ。そうすれば自分は完成し、真にセインのお兄様になれるから』
フレイムが愛し子を得なければ、それはいつまで経っても実現しない。ゆえに助力したのだ。お前はとっとと愛し子を持って、フルードを自分に寄越せと。アレは正真正銘、フルードのことしか頭にない化け物だ。だが、それで良い。フルードの安全と幸福が絶対的に保証されるのだから。微かに口端をつり上げ、何食わぬ顔で告げる。
『ともあれ、これでセインは安心だ』
本心から微笑む様子を尻目に、フレイムも同様の表情を浮かべた。
『ま、セインに何かあったらお前と狼神様もすっ飛んで来るだろうしな』
そして、乱暴に頭をかきながら話を進める。
『お前さ、特別降臨してからずっと落ち着いてたろ。ガルーンが聖威師になったかもしれねえってのに。……勘で分かってたんだな。大丈夫だって』
『それは君も同じだろう。オーブリーは聖威師になっていないと本能で察していたから、穏やかさを保っていた』
アマーリエやフルードが、再び地獄の底に落とされるかもしれない。当人たちは不安で震えている。そのような状況になれば、ラミルファもフレイムも何が何でもそれを回避するために動いていた。
フロースの神威が邪魔で内情が探れないならば、同胞を傷付けないようにしつつ、多少強引にでもこじ開けようとしていた。ガルーンを遠視しようとしても視えないならば、阻害している力を吹き飛ばそうとしていた。だがそれらをせず、悠長に2日後の認証まで待ったのは、直感が心配無用だと告げていたからだ。
アマーリエもフルードも無事でいられる。脅威の手が迫ってはいない。それを第六感で悟っていたがゆえに、落ち着いていた。
『それで、話というのはこれか?』
『ああ。ついでだからたくさん聞いちまったが、あの狙撃は俺のためだったんだなってことを確認したかった。……礼は不要だと言っていたが、けじめとして言っとくぜ。恩に着る』
『ふふ、律儀なことだ。ならば、僕の分の恩はセインに譲ろう。あの子にまとめて返してやってくれ』
『セインが俺に見返りを求めるはずがねえだろ。自分が持つ物は、絹だろうが玉だろうが美食だろうが、全て周囲に撒いちまうんだから』
『それもそうだな』
反論の余地が無い返しに、ラミルファはあっさりと頷いた。
フルードは決して見すぼらしい暮らしをしているわけではない。主神たる狼神の格と、聖威師としての品位を汚さない程度のレベルは保っている。
だが、それはあくまで最低限のラインでだ。給金も財貨も、必要な分以外は迷わず他者に分け与える。孤児や保護児童への寄付を筆頭に、弱者や貧困層、困窮者への支援を惜しまない。有り余る資産を使い、自分の嗜好品を調達しようという発想がないのだ。
『周りが幸せになれば、それだけで嬉しそうに笑ってるからな』
『少しは自分のために使えば良いのに、清貧なことだよ』
二柱そろってやれやれと肩を竦めた時。
『さて、それはどうですかな』
朗らかな声と共に、巨大な灰銀の塊が飛び出して来た。
ありがとうございました。
ラミルファは大切な身内となったアマーリエとラモス、ディモスに憎悪されることを覚悟していたので、時系列的にはこの話の後に当たる第3章の33話でアマーリエが自分を恨んでいないと言ったことで感動して、彼女を特別に守りたいと思うようになりました。