☆神々の裏話②
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『え?』
フレイムと火神と水神、ブレイズたちが目を見開いた。アマーリエはもはや、火神一族の大切な一員となっている。
『アマーリエはフレイムと出会わなかったのだ。帝国に戻って早々、父親の命令で再びテスオラ王国へ行かされていた。帰国に関わる手続き書類に不備があり、その処理対応のためだ。結果、フレイムの降臨と入れ違いになった』
思いがけない話だった。アマーリエがいないのであれば、ラモスとディモスを神使に選ぶこともなかった。現在とはまるで違う展開になっていたのだ。
『詳しくは語らぬが、聖威師にならず己に自信を持つこともできなかったアマーリエは、相当に悲惨な末路を迎えていたよ。地上で生きている時も、霊威師として死後天に昇ってからも』
その言葉に胸が詰まる。愛しいアマーリエが不幸のどん底に落ちるなど、考えるだけでもおぞましい。
『だが、フルードが結んだ縁の力がその未来を覆した。フレイムが永遠の相手と巡り会えるように真心を込めた力が、アマーリエとの邂逅を導いたのだ。その結果、帰国手続きの不備は転送で書類をやり取りする方法に変わり、属国には行かぬようになった』
色持ちの高位神の力は、神の眼で視た未来をも覆す。真実フレイムのことを想って紡いだ縁の力が、新たな道を切り開いた。
セイン、と、フレイムは胸中で弟の名を呼ぶ。元々の未来ではいなかったというあの子が、自分とアマーリエを繋いでくれたのだ。
『まあ、他にももう一つ……いや二つか、助力があったがな』
翠月神が小さく呟く。辛うじて聞き取れたフレイムの脳裏に、一筋の閃光が走った。声を上げそうになるのを寸でのところで抑えている間にも、瓏々たる声は続く。
『幾重にも変わった未来。この先がどうなるか、もはや私にも分からぬ』
『あら、お兄様。変わった現状を基に、もう一度未来視をなさればよろしいではありませんか。今のお兄様は三千年前と違い、天威師から至高神に還っておられます。今度こそ確実な予知ができるはずですわ』
緋日神が言うが、翠月神はやんわりと首を横に振った。
『再予知をしても、その内容がさらに変わる可能性もある。何しろ、現在地上にいる天威師たちは、未来を変えた張本人だ。また何かどんでん返しをやらかしてくれるやもしれぬ』
神は万能だが、同格以上の存在が関与する事柄に関しては、その完全性が揺らぐこともある。天威師は神格を抑えているとはいえ、本性は翠月神と同格の至高神。彼らが動いている限り、至高の神に戻った翠月神であっても、絶対確実な未来を読み切ることはできないのだという。
『至高神、天威師。天界の神々、聖威師。そして人間やその他の存在たち。皆がそれぞれの意思で、己の行く末を選び定める。その果てに辿り着く場所がどこになるのか』
翠月神は、掴み所のない微笑を刷いて視線を落とした――地上へと。
『これは白死神様の直感だが、本来の未来ではいなかった者たちが、何かとてつもないことをしでかしてくれそうな気がすると仰せであった。事実、フルードはそれを成し遂げた。ならばアマーリエも何かしら達成するやも知れぬ。……しばし見守るとしよう』
そう締めくくった翠月神は、どこか楽しげな表情で口元を綻ばせていた。
◆◆◆
『ユフィーともセインとも出会っていない世界か。ぞっとするな』
翠月神と緋日神が超天に還り、神々が解散した後。フレイムはすぐには地上に再降臨しなかった。天界にある庭園の一つに佇み、芸術神が創った美しい彫刻の像に触れながら呟く。
『そうかな。予知通りに進んだ世界でも、僕と君はそれなりに楽しく過ごしていたと思うよ。何しろ、僕たちを心から愛してくれる親神や兄姉神、同胞たちはきちんといるのだから』
青みがかった水晶の葉を茂らせる黄金の天樹に身をもたせ掛け、ラミルファが言った。白髪に灰緑眼の美少年姿のままだ。骸骨の姿に戻らないのは、きっとフルードがこの姿を気に入っているからだ。静かな庭園に優しいそよ風が吹いた。
『セインとアマーリエの存在自体を認知していない以上、あの子たちがいないことに空虚も寂寥も感じないはずだからね』
淡白に言い切ったラミルファは、しかし、ふと遠い眼差しになって言い添える。
『だが、きっとその世界の僕たちは、今の僕たちよりも遥かに不幸な顔をしていただろう』
『違いないな』
目の中に入れても痛くない妻と弟は、フレイムの〝特別〟だ。あの二人がいない世界など、もはや想像できない。
『セインが俺とユフィーを救ってくれたんだな』
底なしの優しさを宿した目をしているフレイムに、両手を頭の後ろで組んだラミルファが退屈げに問いかけた。
『それで、こんな所に連れて来て何の用だ。君とデートをする気はないのだがね』
『こっちもねえわ気持ち悪い! 偶然ここが空いてたんだよ!』
誰もいない所で話したい。フレイムはそう念話を送り、二神だけでこの庭園に来た。
『それなら遊ぼう。何、ほんの軽くだ』
ひょいとかざした掌中に神威が凝り、黒一色の剣となって具象化する。
『付き合え、フレイム』
『へいへい、わーったよ』
フレイムも軽く腕を振る。その軌跡に合わせて炎が迸り、燃える剣と化した。漆黒の刃を己の肩に担ぎ、トントンと揺らしたラミルファが唇の端を持ち上げる。
次の瞬間、瞬き一つもしない刹那で、その姿はフレイムに肉薄していた。黒と紅蓮の閃光が衝突する。
『それで、話とは何だ』
『……お前も力を貸してくれたんだろ』
『うん? 何のことかな』
神威同士が凌ぎを削り、旋風が吹き荒れる中、ラミルファがすっとぼけた顔で嘯いた。
『ラウティル様がチラッと言ってたぜ。俺とユフィーを邂逅させるための助力はもう一つあったって。――お前だろ。密命を受けて降臨する俺を、わざと狙撃したんだな』
『ふふ、たった222歳で物忘れが始まったのか? 言っただろう、あの時は君が我が愛し子のいる方角に降りていくのを見て、横取りされると思ってつい――』
『下手な嘘で誤魔化すなよ。ユフィーのバカ妹が俺の好みじゃねえのは分かるだろ。仮にそうだとしても同胞を撃つか? 身内をとことん溺愛する神が、神格を抑えて無力な状態になった同胞を?』
有り得ない、と、山吹色の双眸が揺るぎない光を放って断言した。
『やっても威嚇射撃くらいだ。ブチ当てることはしねえよ。ましてやバカ妹は愛し子つっても生き餌だ。……最初に聞いた時からなんかおかしいとは思ってたんだよ。星降の儀で、お前が自分サイドの事情として語ったことは、真実と嘘が混ざってたんだろ。しかも、全部を説明したわけじゃねえ』
刃と刃が交差するたびに剣戟が鳴り、眩い火花が四散する。大地が抉れ草木が消し飛び、幻惑的なまでに美しかった天の花園は、あっという間に荒野へと早変わりした。だが、二神はどこ吹く風だ。
『お前の勘はマジのやつだ。望む未来を掴み取る方法や仲間の危機を、第六感でキャッチする。降臨する俺を見て、何かビビッと流れたんじゃねえのか』
『随分と突飛な発想だ。証拠はあるのかい?』
振り抜かれた黒剣を紙一重で躱すと、なびいたワインレッドの髪先が視界の端を踊る。返す刃の襲撃を自身の剣で受け流しながら、フレイムは苦笑いした。
『ねえよ。ラウティル様の言葉を聞いた瞬間、頭に閃いたんだ』
『何だ、当て推量か。――だが君の直感も傑出しているからな』
『そもそも、神の勘はただの当てずっぽうじゃねえだろ。特に、俺たち特殊な神の嗅覚は一線を隠してるからな』
通常の神では目にも追えぬ速度で、両者の獲物が合わさる。一歩も引かぬ攻防の末、刃同士が噛み合った。気迫と剣圧だけで万象を切り裂いてしまうほどの、激しい鍔迫り合い。
『――――』
至近距離でフレイムを眺めたラミルファは、ふと腕の力を抜いた。均衡が崩れる流れに乗り、後ろへと跳躍する。
『……ピンと来たのだよ』
優雅な仕草で手中の剣を半回転させ、刃を地に突き刺すと、己のこめかみをトンと軽く人差し指で突く。
『あの日あの場所あの時間。セインの力を感じた気がして、そちらに意識を向けた。そうしたら、神威どころか神格そのものまで抑えて地上に降りていく君を見付けた』
随分と可愛らしい子犬に変化していたじゃないかと笑う邪神は、一見隙だらけだ。だが、フレイムは動かない。見かけはガラ空きでも、実際は違うことは分かっている。
『その瞬間、理屈ではなく感覚で悟った。君は非常に危うい状況にある、このままではとても大事な何かをその手から逃してしまうかもしれないと。掴ませたいなら、今ここで君を撃つことだ。理由も根拠もなく、ただ直感でそう悟ったのだよ』
独り言のように言葉を紡ぎながら、美貌の少年神は輝く天界の大気を見遣る。そして、予備動作もなく刃を跳ね上げ、一息にフレイムの懐に迫撃した。フレイムは表情一つ変えず、半歩下がって受ける。
『刹那の間に君をよく視たら、セインの力があった。あの子の縁の力が、君からすり抜けていきそうな何かを繋ぎ止めていたよ。だから閃きが示すまま、神威の火力を精密に調整して君を狙った。どの程度調整すれば良いかも反射的に分かったからな』
『ガチでチートな嗅覚だな』
黒と赤の剣筋が入り乱れ、互いを弾き合い絡み合いながら縦横無尽に展開し、虚空に複雑怪奇な残像を描く。
『君も僕のことは言えないだろう。君自身が言った通り、僕たちは特殊な神……生来の荒神なのだから。あの時の君は神格を抑えていたせいか、自分の危機を察知できなかったようだがね。だからこそ、セインの力が僕をあの場に呼んだのかもしれない』
『お前は宝玉の想いを汲んで手を貸したってことか?』
『正解だが、それだけではない』
軽く上体を引いて紅蓮の一閃を避け、ラミルファは横目で芸術神の彫刻を一瞥した。身内が作った品は壊さないよう結界を張っていたのだ。
美醜の基準が逆転している悪神にとっては見るに耐えない醜悪な代物。だが、大切な同胞が作った品という付加価値が付けば、嫌悪感や忌避感は感じない。
とはいえ、焦土と化した庭園の中で、彫刻だけがポツンと残っている様は、逆に奇妙な光景だった。
『大事な同族が、手に入れられるはずの幸福を取り落としかけている状況を見過ごせなかった。何が何でも助けなければと思ったのだよ。神なら当然だ。我が身内のためならば幾らでも心を砕き、力を使おうとも』
『ふぅん。なぁお前さ、ユフィーと出会ったばっかの俺がお前の存在に気付かねえように、こっそり目眩しかけてただろ。9年前にユフィーが勧請した神が悪神だって思い至らねえようにもしてたんじゃねえか』
『僕のことに気付かれない方が動きやすかったからね。あの時の君は神格を抑えていただろう。思考に少しだけフィルターをかけるのは容易いことだったよ』
『ちっ。やっぱりか。9年前に使ったサッカの葉がリサッカだったことは想定外だったが……ユフィーのあの気を汚いって退けた、その情報を聞いた時点でピンと来てなきゃおかしかったからな。小細工しやがって』
一際甲高い音を響かせ、両者の剣がぶつかる。飄々と笑った邪神は、一転して真っ直ぐにフレイムを見据えた。
『前にも言っただろう。馬が合わずいけ好かなくてムカつく奴だが、それでも君は僕の大切な同胞だ、フレイム』
ありがとうございました。
翠月神がチラッと言っている白死神は、至高神で生来の荒神でもある神です。普段は超天の神域に籠っています。