☆邪神が見る夢②
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フルードがコクコクと頷いた。よし、と内心で快哉を上げる。これで愛し子の仮誓約が締結された。この少年はもうラミルファの掌中に入ったのだ。後は正式に愛し子にすると宣言し、本誓約を結ぶだけだ。さっさと天界に周知してしまおう。
『なるべク急ぐ。神恩を賜ル日を指折り数エて待つが良イ』
『はい、神様! どうか早く、早く来て下さい』
後でフルードに聞いた話によると、自分などが神の愛し子に選ばれるとは欠片も思っておらず、単発ないし短期の雑用係か何かに選ばれたと受け取っていたらしい。
地上において特定の神を対象とした神事が行われる場合、その神が臨時の雑役として神官を選ぶことがある。神は基本的に地上に関わらないため、通常は己の使役を下ろして選任を代行させるが、今回のように神が降臨していた場合は自ら指名することもある。
選ばれた神官は、神の使役から指示を受けながら、神事の準備を行う。言うまでもなく、選任されるのは名誉なことだ。
フルードにとっても、一時的にでもガルーンから離れられるならば願ってもいない救いだったようだ。
とはいえ、外見からしてラミルファが真っ当な神ではないことは明白。フルードとて、悪神に目を付けられる恐ろしさは百も承知であったはずだ。
だが、それを踏まえてもとにかくガルーンの手から逃れたいと渇望していた。まさか愛し子の――それも奇跡の愛し子の仮誓約だとは微塵も予想していなかったらしい。
『あの、神様……』
仮誓約が成ったことで有頂天になっていると、フルードは恐る恐る、この辺りに薬草が生えていないか聞いてきた。その頓珍漢な問いすら愛おしい。
『君は可愛イ馬鹿だねェ。真冬に草ガ生えていルはずがナいだろウ』
笑いながら返すと、フルードは両目に涙を溜めた。
『僕、どうしても明日までに薬草を籠いっぱいに採って帰らなきゃいけないんです。でないと……』
最後は口ごもり、首に巻いたチョーカーを触って震えている。
『フぅん。ならバ僕の力で出シてテあげヨう』
眉を下げて半泣きになっているフルードが憐れだったので、神威で薬草を鉄籠に満たしてやると、本気で泣きながら礼を言ってきた。この際なので怪我も完治させてやり、大きな丸パンと分厚いコートも出して渡してやった。ついでに鉄籠の重さも霞のように軽くしてやる。
そしてウキウキと天界に還り、同胞たちに周知を始める前に、改めてフルードのことを視た。あの姿で夜中に外を歩き、大籠いっぱいの薬草を採らなければならない状況が気になったからだ。そしてその生い立ちと環境を知り、少なからぬ衝撃を受けた。
今まで命を落とさなかったことが奇跡と思える壮絶な拷問地獄の中、それでも透明さを失わなかった魂。通常であれば自殺か発狂か廃人の3択しかない人生を送りながら、心歪むこともなく、親や貴族を恨まず、周囲を憎まず、真っ直ぐな精神のまま情緒や良識を育てた。常識では考えられない異次元の所業だ。
ラミルファは考えを改めた。
フルードは悪神の愛し子になるべきではない。邪と汚穢を司る自分が、あの純粋無垢な子の主神になるべきではない。あの子は、悪神ではなく高潔で清廉な善神の懐で慈しまれるべきだ。
だから血涙を流し心臓を引き絞られる思いで、いったんは掌の中に収めたフルードを手放すことにした。
あの子の魂ならば真っ当な神に愛される。八百万の神々の中で、愛し子を確実に幸せにしてくれ、かつフルードを見初めそうな者を大急ぎで洗い出した。
そして深夜に、天から声を届けた。
可哀想なあの子は、自分と邂逅した翌日、ガルーンからコテンパンにされたようだった。この季節に薬草が手に入るわけがない、どこかから盗んだのだろうと責め立てられたらしい。
しかも怪我が完治し、コートまで持っていたことから、邸の治癒霊具を勝手に使い余所の家からコートを盗んだと決め付けられ、残虐な仕打ちを受けていた。殴る蹴る怒鳴るだけではない。全身に灼熱の焼きごてを何度も押し付けられていた。神官府は体調不良の体で休まされ、食事も与えられず、高濃度の霊威の放出による苛烈なショック責めも受けていた。
霊威による責め苦を与えたのは、フルードが付けていたチョーカーだ。あれはおしゃれなどではない。ファッションに見せかけた首枷だ。ガルーンの機嫌によって締め上げられ、高出力の霊威を流される。
周囲にヘルプを出したくとも、直接的・間接的に助けを求めようと考えた時点で、体内に埋め込まれた束縛用の霊具が発動し、言動を制御されてしまう。
当然、どちらも違法改造された霊具だ。ガルーンは霊具を作る側の神官であり、犯罪者の拘束や尋問に使う特殊な霊具を作成する部署にいたことがあった。だからこそ、細工や改造が可能だった。
なお、フルードも神官として帝城内の神官府に上がっている身なので、一目で分かるような怪我を負っているのはまずい。ゆえにガルーンは、出勤前に強力な霊具で治癒をかけていた。まさしく生殺し状態である。
だが、それでも誰もフルードの状況に気が付かなかったことは疑問だった。外見を治し、言動を制限しようとも、些細な目付きや態度、反応、仕草の一つ一つに、その者が置かれている環境が反映される。にも関わらず、神官府の誰も、フルードの境遇を察知できなかったのは不自然だった。
まるで得体の知れない何かが、周囲の目と認識を眩ませていたようだった。周りがフルードの状況を察して助けようとしないように。不気味な何かがフルードを捕らえ、徹底的に不幸の運命に縛り付けようとしている。そんな気がした。
『待たセたな。迎エの日ダ』
咆哮のような雷雨が炸裂していた夜中。天から声を下ろした時、フルードはシャルディ邸の地下室にいた。鎖できつく縛り上げられて天井から吊られ、苦痛で涙を流していたところだった。何度も気絶したが、意識を飛ばすと首輪と鎖が高圧霊威を流して叩き起こされるのだ。
『かみさま……』
天の救いを見た顔になったフルードを、遠隔で放った神威で鎖から解放してやる。邸から外に転移させ、雨風に濡れないよう小さな体に結界を張る。そしてチョーカーを外し、体内の霊具も除去してやり、自由になった彼にまたパンを与えてやった。
『わぁ、あのパンだ! こんなご馳走食べたことなかったです!』
ただの丸パンなのに、天上の饗応を見たように歓喜しながら飛び付く様子を見て、もっと豪華なものを渡してやれば良かったと思った。夢中で頬張るフルードに、静かに告げる。
『ここデ待て。もう神が来ル。君を救い出シ、幸せにしテくれる福音だ』
パンを食べ終えたフルードが期待に満ちた目で頷いた時、空に一直線の光の亀裂が走った。幕が開くように、黒い空を覆っていた雨雲と雷雲がまとめて吹き飛び、星空が覗く。
銀星が瞬く紺碧の空の果てから、空色がかった白銀が飛来した。呆然とするフルードの眼前に降り立ったのは、巨大な狼の姿をした神。
狼神。四大高位神と禍神の全柱より寵愛され認められ、無双の神威を有する奇跡の神。普段は秘めたる真の神格と神威は、最高神の境地に届き得る。最上の神に匹敵し、天界の最高峰に君臨する選ばれし高位神。
最高神に続いて顕現した最古の神の一柱でもある狼神は、苦難の中でも輝きを失わない魂を好む。フルードは該当する可能性が高い。
『狼神様。先ほど地上に降りたら、あなた好みの人間がいましたよ。新米の神官で、帝都郊外にあるシャルディ家の使用人です。ぜひ一度ご覧になられて下さい。あの類稀なる魂、他の神に見付かれば先に取られてしまうやもしれません。どうかお急ぎを』とラミルファが囁いたことで、興味を持って降りたのだ。陰から様子を窺っていたので、狼神が今夜さっそく降臨するつもりであることは知っていた。
目論見は見事に当たった。狼神とフルードは一目で互いに惹かれ合い魅了し合い、フルードは愛し子として見初められた。仮誓約は挟まず、即座の本誓約だ。
狼神の放つ崇高な神威に圧倒されたフルードは、茫洋とした瞳で、言われるまま誓約を受諾した。滅多に動くことのない最古の神を見事に射止めてみせたのだ。そう導いたのは、あの子の手を永遠に放すと決めたのは、ラミルファ自身だ。それで良いと、陰から見守りながら密やかに笑った。
だがここで、予想外の事態が起こる。狼神との本誓約に合わせ、フルードと結んだ仮誓約を撤回しようとしたのだが、何とフルードの魂がそれを拒絶したのだ。
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