ひぐらしの夜に
『第四回5分企画』参加作品です。『5分企画』と検索するか、企画サイトへ行くと他の参加者さんの作品が読む事が出来ます。
静かなジャズが流れる薄暗くて落ち着いた雰囲気のバーのカウンター。そこに座っている客は二人。
カシスオレンジを右手に揺らしているのは、首の中程までの髪を持つ上目遣いが特徴的なオフィスレディ風の女性。
その隣に座るのは、肩胛骨の辺りまで髪を伸ばし、ぱっちり目と下まつげが特徴的な女の子。彼女はここの雰囲気にまだ馴染めないのか、少し緊張している。
そんな彼女の前に、ショートヘアの元気で若々しい女性バーテンダーからカクテルが一つ差し出される。
カクテルはスーズと言うリキュールをリンゴジュースで割ったもの。成長するのに二十年はかかる香草から作られたリキュールをバーテンダーが選択したのは、彼女にぴったりのものをと女性客に頼まれたからであった。
スーズを女の子が右手に持ったのを見た女性客は、
「真琴ちゃん、二十歳の誕生日おめでとう」
と自分の持ったグラスを女の子のそれに合わせた。 ジャズの合間に小さく響くグラスの音。
「ありがとうございます。明菜先輩」
一礼してグラスに口をつける真琴。
それを見て「あはは」と微笑むバーテンダー。
「そうだ、梨華ちゃんも何か飲みなよ。お代は私が出すから」
梨華と呼ばれたバーテンダーは笑いながら首を横に振った。
「気持ちは嬉しいのですが、仕事中なのでダメなのです」
梨華はそう言うと、慣れた手付きでカクテルグラスを磨き始めた。
そんな梨華を見ながら、明菜は彼女を羨ましいと思った。
梨華はほとんど一人で夜のバーのドリンクを切り盛りしている。就職してから学生時代のように夜明かしすることなど仕事・体力、二つの理由で難しくなった。それに対して梨華は自分に持っていない若さを持っている。
「そういえば、ここまで歩く途中で神社がありましたよね」
真琴が思い出したように声を上げた。
「ああ、あそこ。なんだか幽霊が出るとか出ないとか」
何回かここに来るうちにタクシーの運転手だかに聞いた話だ。霊感は強くは無いができればお化けには遭いたくないものだ、と明菜は思った。
「私も幽霊さんの話、聞きましたよ。会えたら楽しそうなのです」
梨華は楽しそうに答えた。それに真琴も同調した。
よかったら閉店後三人で神社に行かないか、と誘われたが明菜は断った。しかし時計を見て気がついた。もう最終電車の時間は過ぎているということを。夜明かしは体力的にきついので、帰るつもりだったのに……、と明菜は心の中で頭を抱えた。
だが今日は可愛い後輩の誕生日である一日ぐらいどうってことない、と明菜はグラスに残ったカシスオレンジを飲み干した。
そんな明菜の気持ちも露知らず、梨華と真琴の二人は神社にどんなお化けが出てくるのかを互いに想像しては楽しんでいる。どうして幽霊一つでここまで楽しめるのだろう。
「あなたたち、そんなファンタジーなこといつまでも言ってないの、お化けなんてこの世にいるわけがないでしょう」
明菜が上からの目線で言ったのは、話題にはついてこられない自分に対する腹立たしさなのだろうか。あるいは自分より明らかに年下であろう二人にお姉さんぶりたかったのだろうか。
それを聞いてシュンと大人しくなる二人。さっきまでの楽しそうな雰囲気はどこへ行ったのか。梨華に至っては、明菜のドリンクの注文を忘れるほどに落ち込んでいる。狭い店内にしばしジャズの音だけが聞こえる。明菜はしまったと思い
「ごめん、カシスオレンジお代わり」
と、グラスを差し出した後で真琴の方を見て口を開いた。
元々話すつもりだった話題である。新しく成人となった真琴に、成人したら未成年のときと比べてどう違うか、就職活動の辛さとか、仕事での注意すべきところなど先輩としての忠告もあれば明菜自身の愚痴もあった。
「はぁ……、仕事に就くといろいろ大変なんですね……」
真琴は皿に置かれたピーナッツを指で転がしながら、「梨華さんは?」と尋ねた。
「私ですか?」
梨華は真琴の空いたグラスをそっとカウンターの中へ戻すと
「まあ、私は好き勝手やって生きてきたのでそんな気苦労とかはあんまり」
再び真琴にスーズを差し出す。話の根底を覆された展開になり明菜は一口黙ってカシスオレンジを飲んだ。
改めて梨華を見るが、彼女とは会社に入って以来もうすぐ一年の付き合いだ。月に一度、給料が入るたびに来ては一月の仕事の疲れを癒している。来るたびに明るく明菜を迎えてくれる梨華を明菜は可愛い妹のように思っていた。
今日真琴を紹介したのも真琴と梨華が自分と梨華との関係(長幼の順は逆だが)になって欲しいと思ってのことだったが、きっと年が近いせいなのだろう。初対面なのにすっかりと打ち解けてしまっている。
若々しい姿を見せる二人に寂しさを覚えながらも明菜は窓の外を眺めた。夜はすっかり更け、目の前の通りを走る車の光が眩しく見えた。
冬なので閉店時間を迎えてもまだ辺りは暗い。
「それじゃあ帰りますか」
「日暮」と書かれた 看板の灯りを消す梨華。
「梨華さん、よかったらこれから遊びに行きません」
ほろ酔い気分で叫ぶ真琴。
「こら、仕事の後なんだから梨華ちゃんを休ませようとか思わないの」
それをたしなめる明菜。店とは違い、口を開くたびに白い息が夜の闇に浮かんでは消えていく。
「いいですよ、今日は家にまっすぐ帰る気はなかったですし」
「それに……」と、梨華は少し顔を赤くして二人を見た。
「明日で私は二十五になるのです。その前祝って事で」
「え!? 二十五」
明菜は目を大きく見開いて驚いた。梨華の誕生日が真琴と近いからではない。梨華が自分より年上だということに驚いたのである。
「え、えーと梨華さん、それじゃあどこへ行きましょうか」
急にたどたどしい敬語を使う明菜。
「『さん』なんて付けなくていいのです。むしろ二人とも『梨華』って呼んで構わないのです」
どこへ行こうかと悩む三人の前を等間隔的にタクシーの光が走りすぎていく。