彼女の見る夢
翌日の夜半過ぎ、智はファミレスの一角にいた。
その手前に座るのは、明日香だ。
たまにあることだった。明日香が智の居酒屋で飲んで、そのまま流れて、軽い食事を摂る。
食事といっても明日香の方は、酔い覚まし程度だ。ソフトドリンクを飲んで、些細な話に興じるだけだ。
それでも智にとっては、至福のひと時だった。
窓際のウインドーから見える夜中の夜景は、人通りも疎らだ。
フラフラと行き交う酔っ払い。ゲラゲラと闊歩する若者。
流れる車のテールランプが、妙に静かさを演出している。
「ふうーん。それが本当なら、凄いよね」
適当に相槌を打つ智。
「信じてないだろ? あたしの話なんか」
明日香が怪訝そうに言い放った。
明日香は都市伝説や、オカルト関係の話が好きだった。
酔うと延々と、その話を智に聞かせる。UFОの話や、フリーメーソンの話、ヒトラー生存説や、地球空洞説なんかの類だ。
「これはマジな話なんだよ。人間は生まれた時に番号化され、印を付けられて生きている。それを衛星で監視されてるのさ」
その日の話は、全ての人類が、予防注射なんかで、ナノサイズの探知機を注射されて、世界政府の監視下で生きているという途方もない話だ。
「だったら犯罪者は大変じゃん。どこにも逃亡出来ない。テロリストもすぐ見つかる、逃亡者なんか出現しない。だけどそれがあるってことは、噂話ってことじゃん」
笑って反論する智。
確かに明日香の話には、興味を惹かれるものもある。
だけどそんな話は、現実じゃないのも確かだ。個人のプライバシーがあるし、庶民が黙っていないだろう。
なによりそれが現実なら、仮病でバイトも休めない。風俗だって行ったらバレバレだろう。
……そんなことを思って、少しだけ紅潮した。
「だけどさ、そんな小さなことじゃなく、もっと大きな陰謀が隠されているんだよ。例えばこのスマホ、GPSが内蔵されてる。みんなこれに頼ってるけど、逆にいえば監視されてるんだ」
それでも納得行かず、食い寄る明日香。
酔って潤んだ瞳を煌かせ、プルンと膨らんだ唇を震わせる。
昼間の凛とした制服姿もかわいいが、こうしてムキになるところもかわいいな。
そんな風に、智は感じていた。
「そういえばさ、明日香ちゃんは、昔の人は魔法を使えたって話は信じる?」
そして訊ねた。
「魔法? 別な意味じゃ信じるかもね」
「別な意味、って?」
「確かに魔法って言葉自体には、胡散臭さを感じる。だけどそれは不思議な力ってことだろ?」
「まあ、ざっくばらんにいえば、そうかも」
「そういう意味でいえば、予知夢とか、虫の知らせってあるだろ。あれはその一種かもしれない。だけどそれは洞察力に優れた奴の能力だろ。人の行動を読んで、置かれた状況を読めば、自ずと解析できる。それに疎い奴からすれば、まさに超能力、まるで魔法だ」
長い返答だ。智としてはそこまで深い意味はない。
「はぁ」
棒読みで答える
「それに昔の偉人は、明らかに常人離れした能力を持っていた奴もいるしね。いわゆる予言とか、ヒーリングとか。それだってそれなりの知識を得てれば、可能な能力さ。予言ってのは地学や天星学、その時の置かれた状況を加味すれば、成し得る。ヒーリングは科学や野草の知識だな」
「……なるほど」
「全ては言い方さ。そもそもオカルトがおかしいって思ったら、現代社会の方がオカルトだ。昔は離れた場所にいる人達が会話するなんて、あり得なかっただろ。それはテレパシーの一種として、オカルトと思われていた。だけど今は違う、ケータイがあれば可能だ。信じる信じないじゃない。最初から否定してるから、そのカラクリに気付かないんだ」
長々と言い放つ明日香。
流石はオカルト慣れした人物の台詞だ。
そんな明日香の表情を、食い入るように見つめる智。
はっきり言って明日香の言ってる言葉の意味は分からない。流れから察して、適当に相槌を打っただけ。
世の中そんなものだろう。いちいち内容を噛み砕いていたら、話は進まない。
要は明日香はオカルトが好き。そういうことだ。
「だったら宝石って興味ある?」
その意味も加味して訊ねた。
「宝石? 少しは興味あるけどさ」
頬杖をついて言い放つ明日香。
多分それほど興味の持てる表情ではなかった。それでも流石に女の子だ。全然興味がない訳でもない。
「そのサイトで、プレゼントしてるんだってさ。もちろん応募して当選すればだけど」
智は傍らに置かれたノートパソコンを広げ、電源を入れる。
そしてその画面を明日香に見せた。
「へーっ、ちょっと面白そうだね。どうせ暇だし、応募してみようかな」
明日香の表情は、まんざらではないようだ。
「そこに入って、いくつかの質問に答えればいいだけらしいよ」
こうして二人は、サイトに接続し、応募への手続きを始めたのだ。
手続きは意外なほど簡単なものだった。生年月日と性別、それといくつかの質問に答えるだけ。
「……夢か……」
ぼそっと呟き、明日香の手が止まった。
画面に記された最後の二つの質問は、『あなたの夢は?』と、『理想の世界は?』……そういう質問だった。
明日香の思いは知らないが、智からすれば興味があった、彼女が内に秘める夢とか、理想とか、そんな漠然としたものにだ。
明日香はなにもない宙を見つめ、暫し思考に耽る。
やがて文字を入力しだした。
……あなたの夢の蘭には、『この世界から解放されること』
理想の世界の蘭には『正義と秩序ある世界』と書き込まれていた。
智には考えもつかない内容だ。
解放とか、秩序とか、漠然としたその意味が分からず、画面を食い入るように見つめた。
「……どうしたのさ? おかしな女だって思ってるんだろ?」
明日香が投げ掛けた。
「いや、正義とか解放って、凄いなって感じてさ」
「この世界ってさ、束縛だらけだろ? どんなに頑張っても、生まれ持った姿かたちや地位、出身地なんかで拘束される。地位や姿かたちってのは、つまり鎖だ。そんな鎖に繋がれてるから、結局地べたを這いずるしか出来ない。あたしらがそんな風に、地べたを這いずってる間に、一部の悪党が世界を牛耳る。結果悪が蔓延って、正義もクソもない」
明日香はいたって真面目な表情だ。
酒の力で雄弁になっているのだろうが、その台詞の重さだけは、智にも感じられた。
「凄いんだな。俺なんか、夢も理想もないってのに」
流石にその気高さは、智には戸惑いの対象だった。
ただ漠然と、その日を暮らしてる自分が、情けなくまで感じていた。
そしてその横顔を、明日香がハッとしたように見つめる。
「ハハハ、わるいね、癖なんだよ、少し飲むと口が軽くなる。自分の意見を他人に聞かせたくなるんだ。……こんなんだから、彼氏も出来ないんだけど……」
後頭部を掻き上げ、苦笑するように笑顔を見せた。
確かに明日香は、酒に酔って雄弁になったのだろう。
人間っていうのは、熱い奴程ウザいと感じる。
ウザく感じれば、付き合う人も少なくなる。
だから明日香は、これだけの美貌を持ってるのに、特定の彼氏がいないのだろうと、智は感じていた。
「よし、これで送信っと」
こうして明日香が、秘石の応募フォームへ送信する。
『ご応募ありがとう御座いました』
その表示と共に、明日香の登録が完了したのだ。