表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネクストワールド  作者: 成瀬ケン
第一章
4/30

秘石

 その日も、汗が噴き出るほどの熱帯夜だった。


 昼間の太陽でいぶされた、鉄とコンクリートが熱くたぎり、アスファルトは溶け出してユラユラと陽炎が立ち籠めている。


 智達の部屋に、クーラーはない。彼らには覿面てきめんな灼熱地獄だ。



 そんな庶民、いや貧民に取っての娯楽は、酒で現実から逃れること。

 現実から逃避行し、ネット世界の住人になることくらいだった。



「はぁー明日香あすかちゃん、可愛いです」

 智が酒の力も手伝ってか、ハーッと息を吐き出した。


 目の前では俊平が、パソコン相手にネットの世界を往来してる。



「……なあ、訊いてるのかよ?」

 咄嗟に言い放った。


「……聞いてる。バイト先の明日香ちゃんだろ?」

 視線も向けずに言い放つ俊平。


 その淡白な態度は、智の怒りを呼び覚ますに充分だ。



「……あのなぁ、俊平。俺が彼女に惚れた訳はだな」


「……知ってるよ。……バイトの最中、客に因縁付けられてたお前を、彼女が身を呈して阻止したって奴だろ? ……耳タコだよ」


 怒り心頭気味な智の台詞を、俊平が遮った。


 こうなると彼は、返す言葉もない。

 ……実際そうだからだ。智が密かに思う異性は、鳴門明日香なると あすか、二十歳。


 智のバイト先の、手前の携帯電話ショップで勤務する可憐な女性だ。





 運命の出会いは数ヶ月前。バイトする居酒屋で、智が酔った客に因縁つけられた時だ。


 実際、あの時はホトホト困り果てていた。

 酔った中年の客が、『このから揚げ、まずいぞ!』と因縁つけてきたのだ。


 全国展開する大手居酒屋チェーンなんだから、マニュアル通りにマズイ料理を作ってるんだ。そんな風に感じる智。


 もっともバイトの智は、口が裂けてもそんな台詞は言えない。ペコペコと、頭を下げるのが関の山だった。


 だがその智の対応に、客は益々横暴になっていく。


『この店員はやる気がない』『さっき便所行って、手を洗ってなかった』とか、あることないこと言いまくりはじめたのだ。今流行りの"モラハラ"ってやつだ。



 その時だ。彼女がその場に介入してきたのは、



『おっさん、こんな安い店で、料理に難癖付けるのは、おっさんの力量を疑うぞ? ……まずくても、この店に入ったのは、あんただ。納得行かなきゃ、銀座あたりの高級そうな店でも行けってもんだろ?』


 冷静に、それでも場の雰囲気を損ねぬように言い放った。


 季節は初夏、淡い紅色のシャツが愛らしい。後ろで結わえた黒髪が、凛とした様相を放っていた。


 辺りでは多くの客が、そうだと言わんばかりに視線を向けている。流石のクレーマーも、渋々従うしかなかったのだ。


『……明日香姫……』

 その姿に見とれ、咄嗟に呟く智。


『……はっ?』

 明日香の目付きが変わった。

 怪訝そうに、じろじろと、舐め回すような視線を向ける。



 智は明日香のことを、昔から知っていた。

 この居酒屋の、通りを挟んだ向うの携帯ショップが、彼女の勤め先だから。


『い……いや、キミ、ここの目の前のケータイショップで働いてる子でしょ? ……俺、客で一度行ったことあるから……』

 目の前にスマホをかざして、咄嗟に答えた。


 その台詞を理解したようで、明日香の表情が変わる。


『……成る程お客さんな訳だ。だけど名前は知っててもかまわねーけどさ、なんで姫なんだ?』

 それでも困惑気味に、智を横目で窺った。


 その魅力的な視線に、流石の智も返答に困る。


『あ、それはさ……あははは』

 笑ってごまかすしかなかったのだ。



 それが明日香との、初めての会話だった。


 男である智が、女である明日香に、逆に助けられた最悪の出会い。

 しかも、影で姫と呼んでいたことまで知られてしまう。


 それでも明日香は、それからも普通に接してくれた。


 むろん、恋人同士の付き合という訳ではない。それでも智にとっては、至福の時間の始まりだった。





「可愛いとか、優しいっても、所詮は客と、店員の関係。いつも愚痴を聞いて、それで終わりの関係だろ?」


 しかし俊平の情け容赦ない台詞が、智を現実世界に引き戻す。


「いいじゃんよ、俺はそれで満足してるんだから」


「満足って、それじゃただの現実逃避だろ?」


「そりゃーそうだけどさ。……いつかは恋人同士、ってことだってあるじゃんよ?」


「ないね」

 即答する俊平。


 夢のない言い方だ。


 どんな出会い方だって、ないよりはマシ、ゼロってことじゃない。たった1%だって、可能性はあるんだ。


 そう考える智を余所に、俊平は相変わらずパソコンとにらめっこ。



「……そういうお前は、なんの仮想空間で遊んでるのさ?」

 ムカつき加減に訊ねた。


「"ロストワールド"の話だよ」


「ロストワールド?」


「つまり"失われた世界"って意味だ、超古代の話。現代文明が栄える、もっと前の話さ」


 意外だった。金もなく、いつもなら出会い系サイトなんかで、暇を潰している筈の俊平が、そんなサイトを見ていること自体がだ。



「昔々、この世界は魔力で繁栄していて、魔法を使う奴もいたんだってさ」

 俊平の台詞は漠然としたものだ。


「へーぇ、お前そんな話に興味があったんだ」


 その智の台詞に、俊平が振り返る。


「……馬鹿だな、そんな話、信じる筈ねーだろ? 俺が興味あるのは、そこで募集してるプレゼントのことだよ」


 その台詞で智は納得した。やはり俊平は、そんなオカルト話を信じてはいなかった。



「ふーん。……で、なにをプレゼントしている訳?」


「秘石って奴だよ」


「秘石?」


「秘石ってのは、神秘の宝石のことらしい。それを数個限定で、プレゼントしてるのさ。『ネクストワールドキャンペーン』、きたたるべき世界の、キャンペーンだってさ」


「へー。……それでお前も、そのプレゼントを狙って、応募してるって訳か」


 呆れた感情が充満していた。


 多分俊平は、それをタダで手に入れ、どこかに売り込む算段をしているのだ。



「メンドくさいんだろ? そんなのに応募するのって」


「そうでもないぜ。ただ単に、いくつかの質問に答えるだけらしいからさ。だけどこれが、世界規模なんだよ。応募者の数が半端じゃない。だから当選者が、中々決まらないのさ」


 俊平が画面の端をクリックした。そこに映し出されたのは、応募総数と現在の当選者の数。


 数億の応募総数に対し、当選者は二十数人だ。



「へーっ、世界規模とは、中々の狭き門だな。お前は送ったのか?」


「送ったけどダメだった。当選者には、二日くらいで発送するらしいけど、来ないってことは落選さ」

 そう言って俊平は、深いため息を吐いた。


 ついていない奴は、どこまでいってもついていない。


 所詮世の中、そんなもんだ。持てる者達が全てを手に入れ、持たざる者にはなにも転がってこない。


 智はそんな、漠然とした感情の中にあった。



 ただ画面に映る秘石の輝きが、彼の心に妖しく輝いていた。


 ……明日香ちゃんにプレゼントすれば、少しは喜んでもらえるのかな。


 そんな想いだけが、心に渦巻いていたのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ