魅せられた民衆
「智!」
不意に誰かに呼ばれるような感覚があった。
ゆっくりと上を見上げた。
耳を澄ますと、街が崩壊する音に混じって、風切り音のようなものが響いている。
辺りはやけに明るい。空から幾多の光が射し込んでいたから。
そしてその中を、無数のなにかが垂れ下がっている。その様子はまるで、お釈迦様が垂らす蜘蛛の糸にも思えた。
「さとしー!」
今度ははっきりとそれが聞こえた。
蜘蛛の糸の先には、誰かが吊り上げられていた。
地上に降り立ち、その全容が明らかになった。迷彩の戦闘服、つまり自衛隊隊員だ。しかもその顔には見覚えがあった。
「俊平、おまえがどうして?」
それは遠藤俊平だった。
「話してる余裕はない。すぐに津波がくるから」
そこにいつもの適当な俊平の様子は微塵も感じられない。
的確に作業して、智を手前に括り付ける。
そして頭上に合図を出して、二人の身体は宙に浮きだしたのだ。
ある程度、上空まで引き上げられてから智は気付いた。
多くの人々が、自分と同じように空から救出されていると。
上空にはヘリやオスプレイがホバーリングしていて、地上の人々を引き上げている。
それは見える範囲全て、延々と続く光景なのだろう。
更に上空には、巨大な飛空艇らしきものが浮かんでいる。
それはまるで宇宙船。それに向けてヘリがひっきりなしに飛びかっている。
そして智、改めて眼下の様子を窺う。
津波は既に街に襲い掛かっていた。
数十メートル程の波が、濁流と化して一気に襲い掛かる。
人や車、その他のものがそれに洗われ消えていく。
それは巨大なビルにぶつかってもびくともしない。ガラスを突き破り、しぶきをあげて益々巨大化していく。
その恐怖の光景の中を、逃げそびれた人々が必死に逃げ惑っていた。
助けが来なかったら、自分もああなる運命だったのだろう。
被害に遭った人々には悪いが、命の重さをつくづく感じた。
その足元まで迫った地獄の光景を、漠然と見つめていた。
やがて、智と俊平、二人の身体がヘリに巻き上げられた。
この後は上空にある飛空艇らしき物体まで移動するらしい。
そこに助けられた大勢の人々が乗せられているということだ。
バリバリと風切り音と共に上昇するヘリ。
その機内、智と俊平は並んで座っていた。
「俊平。お前、どうしてここに? どうして俺を助けに来れたんだ?」
不思議に感じていたことを訊ねた。
「どうしてって、信長様の命令だからだろ」
「えっ?」
「信長様が、この地震を察知して、民衆を助ける為に駆けつけたんだよ」
「信長が?」
俊平達、多くの者は“信長様”と呼ぶが、智は知っている。
正式名称は“統治者”。全てを力で支配し、カリスマ性で魅了する能力者だと。
「なんだよお前、信長様を呼び捨てするなんて」
一瞬怪訝そうな視線を向ける俊平。
「すまない、つい。……信長様な」
その空気を察し、智が言い直す。
「とにかく、あの方は凄いよな。あらゆる地形情報、人の潜在意識、過去のデータなんかを駆使して、今回の地震を予見した。そしてそれに巻き込まれた民衆を助けるために、自衛隊内でのクーデターまで画策してた。全てはこの日の為だ。普通じゃ出来る芸当じゃないよ」
おそらく統治者は、この事象が生じることを、電王を介して知っていたのだろう。
だからこそ逸早く、こうして民衆を助けに駆けつけた。
「つまりお前は、信長……様に魅せられて、自衛隊に入った。それで奴の配下になったのか?」
「もちろんそうだよ。あの人はホント凄いよ」
この世の終わりだというのに、俊平の表情は恍惚なもの。
それだけ統治者の魅力に、魅せられているのだろう。
それはこの場に集う自衛隊の面々、全てにもいえること。
そして今こうして助けられた人々も、その魅力に引き込まれていくのだろう。
かくいう智も、その凄さに舌を巻いていた。
少し前までなら、統治者に魅了されてたかもしれない。
世の指導者のほとんどは、口先だけのハッタリ野郎か、突き進むだけの蛮勇、その両極端しかないから。
だがそれまでだ。これは自然の事象ではなく、奴らが計画した未来だから。
様々な思惑、駆け引き、だまし合いの結果、生み出された未来だったから……
今まではおぼろげにそう感じていたが、俊平との会話で、それが真実だと確信した。




