解放者
それから数日が経った。
世界には様々な出来事が溢れ出していた。
動物園の猿が凶暴化して、脱走の末に人を殴り殺したり、犯罪者や政治家が、次々と謎の死を遂げたり、真田幸村と名乗る人物が現れたりだ。
……そして謎の飛行船は、次々と浮かぶようになった。宇宙人来襲騒ぎにまで、発展する始末だ。
智は、あれから一度も秘石の力を解放していない。
懐に忍ばせ携えているものの、使うまでは至っていなかった。
明日香も普通に暮らしていた。能力を手にいれ、常人離れしたとは言っても、所詮は防御系の能力だ。使う機会は、そうそうない。
……だけど智のバイトする居酒屋には、来ない日々が続いていた。
どうしたのかな、俺が臆病だから、会いたくなくなったか?
智はそんな風に、悶々とした気持ちの日々が続いていた。
その日は、智のアルバイトが休みで、俊平と共にラーメン屋で夕食を摂っていた。
夕方の七時、多くの客で溢れる時間帯だ。
「おっす、空いてるかい?」
背広を着込んだ、サラリーマンが入店してきた。店長の態度から、なじみ客のようだ。
「テレビ、チャンネル変えていいかい? 大通りの山田銀行、ニュースに流れてるから」
「山田銀行が? 何かあったのか」
そして店長が、テレビのチャンネルを変える。
「強盗だよ、強盗。警察やリポーターで大混雑。俺も三十分程見てたんだけど」
その会話に、智達もラーメンをすすりながら視線を向ける。
テレビの画面に映るのは、近所にある銀行の映像だった。
辺りは警察車両と警官、それとテレビスタッフ、野次馬で溢れ、逼迫した様子が窺えた。
『犯人は複数名いる模様です。繰り返します、本日午後三時頃、ここ山田銀行が何者かに襲撃され、店員数名を人質に立て篭もりました。犯人は複数のようです。警官達の必死の説得劇が続いていますが、いまだ…………』
リポーターらしき三十歳程の男が吠えている。
「近いよな。ホント物騒だぜ、こんな事件が起こるなんてな」
憂いと共に言い放つ智。
「スゲーな、俺達も見に行こうか?」
対する俊平は気楽な態度だ。
その表情は、被害者からすればムカつく態度だろう。
だけどそれが普通だ。テレビの画面を見て心配してても、どうしようもないのだから。
『危ないから下がって!』
『キミ、部外者は進入禁止だよ!』
突然画面から、警官の叫び声が挙がった。
画面中央、通行規制の張られた黄色いテープを掻い潜り、何者かが銀行方向に歩き出す。
黒いハーフコートと革パンで武装した人物だった。長い髪の毛とサングラスで、その表情は覚束ない。だが、グッと閉じた口元が、力強さを放っている。
「……あれって、この前酔っ払いに注意してた奴だな。最近出没する、ヒーロー気取り」
その人物を見つめ、サラリーマンが言い放つ。
「そう言えばあいつだな。ウチで酔って、他の客に難癖付けてたヤクザを、叩きのめした奴」
呼応したように頷く店長。
どうやら黒ずくめは、この界隈では有名人らしい。そして少しは、腕に覚えがあると言うことだろう。
『危ないって!』
黒ずくめを制しようと、警官が後ろから肩に腕を伸ばす。
『えっ!』
だがその腕は、黒ずくめの肩を捉えきれない。
その間に黒ずくめは、悠々と規制範囲に侵入した。
『そいつを引き止めろ!』
警官の声に、他の警官達が歩み出す。
黒ずくめを取り押さえようと、一斉に襲い掛かった。
「おーっと、流石のあいつもお終いか? 正義のヒーロー気取っても、所詮は人間だしな」
サラリーマンが言い放つ。
確かに誰が見ても、明らかに黒ずくめの不利。
無謀な侵入者は、警官に取り押さえられるのが当たり前だろう。
「えっ?」
だが意外な光景が飛び込んだ。
黒ずくめが、ハーフコートと黒い髪をなびかせ、サッと一回転する。
同時に警官達が、弾かれるように後方に吹き飛んだのだ。
あまりにも驚愕の光景だった。その場の誰も、いや、その画面を見つめる誰もが固唾を飲む。……信じられないといった表情だ。
その間に黒ずくめが、すたすたと銀行に向かい歩き出す。
その胸元で、赤いなにかが光った。首にぶら下げたネックレスのようだ。
「……まさかあれって……」
別の意味で愕然となる智。
そのネックレスの赤い輝きが、脳裏に強烈な感情を浮かばせる。
『無茶な行為だって!』
それでも警官も必死だ。民間人に危険な行為をさせられない。
必死に掴みかかろうとする。だがやはり同じ結果、無残に弾き飛ばされるだけ。
やがて黒ずくめが、銀行手前で立ち尽くした。
「なんなんだあいつ? 合気道かなんかなんだろうけど、シャッターが開かなきゃ、侵入は不可能だろ?」
ひくついた笑みの俊平。
黒ずくめの眼前に立ちはだかるのは、閉ざされた防火シャッター。それを上げない限り、内部への侵入は不可能。
だが、再び驚愕の光景が飛び込んだ。
黒ずくめが、腰を落とし腕を構え、戦闘体勢を構える。
赤い輝きが放たれ、一瞬人々の視界を奪う。躊躇う事無く右拳をシャッターに打ち込んだ。
信じられないことに、シャッターに大きな穴が穿たれた。そしてその内部に、躊躇うことなく侵入したのだ。
「嘘だろ? ワンパンチで、あの鉄のシャッターを吹き飛ばしたぞ。……まさしくヒーローだ」
もはや俊平の思考は停止していた。
口と鼻から、ラーメンが零れてるのもお構いなしな状態。
だが智だけは別の解釈をしていた。あれは拳じゃなく、空気の層で吹き飛ばしたんだ。……そう確信していた。
既に警官もリポーターも、打つ手がなかった。心配そうに視線を向けて、無事を祈るしか手立てがない。
『ギャーーー!』
やがて銀行内から、けたたましい叫びが挙がった。
『今、誰かの叫びが聞こえました!』
『突入準備!』
『誰だ? 人質か? 犯人か? 今の奴か?』
同時にリポーターが声を荒げる、警官達が突入の準備を始める、多くの人々が狂気に叫び始めた。
やがて、吹き飛んだシャッターの陰から、数人の人々が現れた。
着込むのは銀行の制服、人質に取られていた人々だった。
そしてその後方を、あの黒ずくめが悠然と歩いてくる。
『犯人は三人。中で気絶してます』
そして警官に伝えた。
その台詞の意味することは、人質の解放、犯人の確保、そして事件が解決したと言うことだ。
『謎の人物によって、犯人が捕獲された模様! 人質は無事なようです! 助けたのは謎のヒーローです!』
リポーターの声と共に、大歓声が巻き起こった。
『キミ、お疲れ様。出来れば名前なんかを教えてくれないかな?』
黒ずくめの元に、警官が駆け寄る。
『いえ、あたしは……』
しかし黒ずくめは応じる素振りはない。
バッと後方に飛び退く。その身体が宙に浮き上がった。
『嘘だろ、今度は飛んだぞ!』
声を荒げる人々。
だが、智にだけは理解出来た。……飛んだのではない、重力から解放されたのだと。
こうして黒ずくめは、雑然とした空気だけを残して、広大な夜空にその姿を隠していったのだ。
「凄いなー、攻撃を掻い潜り、鉄を破壊して、空を飛ぶ。まさに本物のヒーローだぜ」
既に俊平は黒ずくめのとりこだ。
「悪い俺、用事思い出した」
そんな俊平を尻目に、智はテーブルに金を置いて走り出す。
じっとしてはいられなかった。
……会わなくちゃ、会ってお疲れって言わなきゃ。……そう感じてスマホをポケットから取り出す。
相手は勿論明日香。黒ずくめの人物の正体だ。
明日香は自分の能力を精一杯引き出そうと、努力したのだろう。
弱者を解放し、正義と秩序ある世界の為に。
そこで選んだのが、正義の味方となって、悪を挫くヒーローという選択肢だったのだ。
その覚悟と姿を見せ付けられ、智の中で何かの感情が爆発していた。
怯えて怖がって、足を竦ませていた自分が、情けなくさえ思えた。
『……智?』
長い呼び出し音の後で、明日香の声が聞こえた。普段通りの、なにげない声だ。
「テレビで見たよ、凄かったよ」
溢れる感情を爆発させる智。
必死に走って、自分でもなにを言ってるか分からないくらいだ。
『……見てたんだ。やっぱり智にはバレバレだな』
「今から会おう」
短い台詞だった。それでも明日香には、その意味が理解出来たようだ。
『うん』
スマホの向うから、屈託ない明日香の声が響いた。
この世の生きとし生ける者は、重力という足枷から、逃れる術を持たない。
つまりそれは、痛みを感じ、土に帰ると言うことだ。
だが重力から解放された時、人は人をも超越した凄まじい力を得る。
来たるべき世界において、それは英雄と崇められるだろう。そしてその耳に刻み込むのだ。
解放者、その名前を……




