1582年(天正十年)早朝
1582年(天正十年)早朝。
全てが漆黒に包まれるその時、事件は起こる。
「大殿、この陣中全て、敵に囲まれております」
「なんだと? 我らの軍勢に、刃向かう輩がおると言うのか?」
白い寝衣を纏った、男が投げ掛けた。
頭は月代、真ん中に髷を結っている。鋭い眼光、口ひげを蓄えている。
いわゆる武士。崇高なる志が感じ取れた。
「敵は我らが同胞、明智光秀。……謀反に御座います」
歴史の表舞台で打ち果てて、ひのき舞台から引き摺り下ろされたつわものは、星の数だ。
この世界は広大で、あらゆる歴史の積み重ねによって、紡ぎ出されている。
もちろん現代の人々が、歴史に散った偉人を救出しようとしても、その歴史に介入することは出来ないだろう。
何故なら、あらゆるタイムパラドックスが生じ、世界が吹き飛ぶのは必然だからだ。
未来は様々な分岐点に成り立っている、過去は変えられない。それが世界の暗黙のルールだからだ。
だが故に、逆の方程式も成り立つ。
歴史の表舞台から消滅した死の直前、その瞬間に救出すれば、歴史のパラドックスに巻き込まれない訳だ。
「……人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり……」
炎で真っ赤に染まる室内、先程の武士が舞を舞っている。
ぐっと見開いた視線、死を覚悟した視線だ。
「ははっ、マジで幸若舞敦盛、踊ってたんだ」
不意に、失笑するような声が響いた。
「何奴だ?」
武士の、鷹のように鋭い視線が突き刺さる。
「おっと、俺は敵じゃない。むしろあんたのファンだ。歴史上じゃ、真田雪村と、肩を並べるほど尊敬してるって」
その視線の先に座り込むのは、およそその場にそぐわない出で立ちの人物。
金髪にサングラス。白いTシャツに迷彩ズボン。黒い防弾チョッキに編み上げ靴。
……早く言えば、二千年代の今どきの若者だ。
左側の耳にはイヤホンが差し込まれ、なにかの音楽に聞き入っている。
指のリングが、チラチラと青い輝きを放っていた。
「我が国の人物じゃないな。名を名乗れ!」
「ホント、穏やかじゃないな。折角あんたを"未来の世界"にエスコートしようとしてるのに。どうせあんた、この世界にいれば、無残に討ち取られるんだぜ? 折角の天下取りが、ご破算じゃんよ」
それでも若者の口に浮かぶのは笑み、余裕いっぱいの笑みだ。
流石の武士も、その気配を察する。
「……未来の世界だと? お主、なにを画策している?」
「知れたこと。俺達の同志になってもらう。あんたのカリスマ性なら、この世界を統一することが出来る。もちろん、こんな馬鹿げた乱世の世界じゃねぇ!」
興奮気味に立ち上がる若者。
「近代国家、嘘と欺瞞で塗り固められた、虚勢の国家。……いや、この地球ひとつ、全てをあんたの掌に乗せちまおうって、壮大なる計画よ!」
真っ赤な炎に包まれる館で、狂気に笑うその姿。その自信の程が、窺い知れた。
それを察し、武士の表情も冷静なものとなる。
「……だったらお主の提案、乗ろうじゃないか」
「ははっ、流石は、俺が惚れた男。ビジネス成立だな」
若者が、武士の手に腕を伸ばした。
刹那、指のリングがバチバチ煌めく。
全ての光景を青に染めた。