第1話:オーディンと王子
ワース王国・・・人口凡そ百万人と小さな国だが温暖でのどかな気候に包まれた場所に存在し、漁業と土木が主な産業となっている。約数百年もの間、隣国との戦争に巻き込まれることもはたまた他国から侵略されることも無く、王族や国民との距離が近いこともあり、正に「平和」そのものを体現したような国だった。
そんな国の名物とも言えるワース城が一望できる海岸の桟橋には既に見慣れた一隻の黒い帆船が停泊しており、その下では今日も木剣がぶつかり合う乾いた音が響いていた。
「はぁぁぁっ!!」
青と白の貴族服を身に付けたまだ幼い少年が海岸の上を滑るようにして後退すると再び木剣の柄を両手で握り締めて目の前に立つ騎士の女性へ果敢に挑む。
「はっ!」
彼女もまた少年の一撃を木剣で受け流すと彼と鍔迫り合いになり、木剣の刃をキリキリと鳴らした。
「はぁ、はぁ・・・よし!今日こそは師匠に勝てる!」
「ほう?やけに今日は威勢が良いな。シエル!」
少年を見て、笑みを浮かべたオーディンはそう言うと機敏な動きで後退し、彼と距離を取る。
騎士である彼女がここワース王国に上陸し、滞在を始めてから既に半年近くの月日が流れていた。
何故、相当な実力を誇る彼女が戦いとは無縁のこの場に居続けているのか?それには理由があった。
度重なる依頼を請け負い、ここまで戦ってきた団員達を労う意味でワース王国を拠点にし、近海を航海しながら羽を伸ばそうと考えたのが当初の目的だった。しかし、上陸した際に今、目の前で剣の相手をしている少年と出会った事で目的は大きく変わったのである。
シエル・ワース・・・御歳八歳の少年にしてワース王国第一王子その人である。
「シエル、強くなったな。半年程前は私を相手するのがやっとだったのに今では動きも掴めて良くなっている。・・・だが!」
剣の腕が上達してきたシエルを見て、オーディンは手加減することなく木剣の刃を青白く光らせると、白い稲妻を発生させながら剣の柄を両手で握り締めた。
「うわっ!?師匠が本気出した!でも僕、負けないもん!」
シエルもまた剣の柄を強く握り締め、光らせることは出来ないものの彼女と同じ様に木剣の刃に白い稲妻を発生させる。
「ほう?それも出来るようになったか・・・楽しみだなッ!」
オーディンは満足げに笑みを浮かべて跳躍し、空高く飛び上がると剣を左手に持ち替えて勢いよく振り落とした。
「これでどうだッ!!!」
「ふ、防げるもん!」
それでも強気な姿勢を崩さなかったシエルは臆することなく刃で守りを固めるかの様に剣を逆手に持ち、防御体勢を執る。
「あ、あれ?わわっ!!降りてくるのが速い!」
しかし、思った以上に高速で降下してくるオーディンを見てシエルは思わず防御体勢を崩してしまう。
「はあぁぁぁぁっ!!」
「うわぁぁっ!!」
そして、地面に降り立ったオーディンが目の前の地面に剣を振り落とすと辺りに砂埃が発生し、その衝撃でシエルは砂浜に転がりながら倒れてしまうと手から木剣を滑り落としてしまった。
「あっ!しまっ・・・」
傍らに刺さった剣を取ろうと四つん這いになりながら動いたその瞬間・・・彼の目の前に華奢な白い脚を露出したオーディンが立ちはだかり、そのまま木剣の切っ先を突きつけられてしまった。
「あっ!」
「そこまで!勝者団長!」
すると審判役をしていた少女が声を上げてオーディンの勝利を宣言する。
「あーあ、また負けちゃった。」
試合に負けたシエルは悔しそうに頬を膨らませる。座り込んだ。
「残念だったなシエル。また私の勝ちみたいだ。」
「師匠ずるい!あの動きは分かんないよ!」
「分からない動きを予測するのが戦いというものだ。」
「そうだけど・・・」
正論を言われ、不貞腐れたシエルにオーディンは微笑んで砂浜に刺さった木剣を手にすると彼に手渡す。
「シエル、前にも伝えた筈だ。強くなるのはゆっくりでいい。焦らなくてもいいんだ。」
「僕は早く強くなりたいんだ!強くなって皆を見返して褒めて貰いたいんだもん!」
「それだけを理由に強さを求めるなと教えた筈だぞ?」
「そ、そうなんだけど・・・」
「焦らなくていい。君はもう十分強い。後は流れに乗ってそのまま成長していけばいいんだ。」
オーディンはシエルに励ましの言葉を伝えながら彼と同じ目線になるようにその場に膝を付いて座ると優しく頭を撫でた。
「団長の言う通りですよ。シエル様」
今度は模擬戦の審判をしていた少女・・・フリッグがシエルにそう声を掛ける。
「フリッグ姉さん。」
「団長も仰っていましたけど強くなるのに焦らなくても良いんです。なんなら私だってまだ団長に模擬戦で勝った事が無いんですよ?それにシエル様はまだ私よりも若いんです。これからじゃないですか?」
「フリッグの言う通りだな。シエル、君はまだ子供だ。そんなに焦らなくても自然に強くなれる。」
「師匠、フリッグ姉さん・・・」
シエルは二人を見て笑みを浮かべ、元気よく頷いた。
「うん、分かったよ!僕、焦らないように頑張るよ。」
「ああ、君はそれでいいんだ。」
元気を取り戻したシエルにオーディンも微笑みを見せる。
「あっ、団長・・・そろそろお時間ですね。シエル様を城に届けましょう。」
「えぇ・・・もう、お城に戻らないといけないの?」
フリッグの言葉を聞いてシエルは嫌そうな顔をする。
「大丈夫だ。城にいる間は私もそばに居る。」
「えぇ〜師匠の船でいいよ。」
「ダメですよシエル様。お城に帰らないと国王様も女王様も心配されます。」
「・・・はぁい」
嫌々ながらもシエルは服に付いた砂を払ってオーディンから渡された木剣を腰につけて立ち上がった。
「じゃあ師匠!早く行こ!」
「あぁ、行こうか。」
シエルと手を繋いだオーディンはフリッグへ顔を向ける。
「それじゃあフリッグ。シエルを連れて行く。ヘーニル達が戻ってきたらそう伝えてくれ。」
「了解です。昼には戻ってきて下さいね。」
「あぁ、それじゃあ行ってくる。」
こうしてオーディンはシエルを連れて彼の居住地・・・ワース城へと向かうのだった。
◇◇◇
私はオーディン・・・ラグナロク騎士団団長であり、普段は船で海を航海して旅をしている。だが、時には休むことも必要と考え、ワース王国を訪れたのを切っ掛けに一人の少年と行動している。それがワース王国第一王子シエル。私にとっては恐らく最初で最後に受け入れる剣の弟子だ。
「ねーね、師匠」
「どうした?」
城へ向かう道中、シエルに話しかけられる。
「僕、まだ強くなって皆を見返したらどうしたいかまだ決めてないんだ。父上の後を継ぐとか・・・色々あるかも知れないけど。」
「そうか・・・」
シエルの放った苦悩に私は哀しげな表情で彼の顔を見る。
「着いたか・・・。」
そうこうしている内に目的地に辿り着くと私は動かしていた足を止め、目の前に聳え立つ白亜の城・・・ワース城を見上げた。ここはワース王家が住む城であり、数少ない国の名物でもある。
「うう・・・」
城を目にした途端、足を竦めたシエルを他所に私は門番と軽く挨拶をすると城の敷地内へ入った。
「ふむ、今日は女王陛下は花壇に居ないか。そうなると玉座の間に居るのだろうな。」
城の玄関の直ぐ近くにある花壇を見てそう呟く。
ここでの私の一日はまず、早朝にシエルをここまで迎えに行くと自分の団で引き取ってから彼に剣を教えているのだ。それが終わるとここでいつも花壇の手入れをしている女王にシエルを渡して船へ戻るというものだった。
「母上、今日は多分、上に居ると思う。」
「やはり玉座の間か。ならばそこまで送ろう。早速城へ・・・」
シエルに顔を向けて城へ入ろうとした・・・その時だった。
「おやおや?誰かと思えば騎士のオーディンでは無いか。」
突然背後からそんな声が聞こえて振り返るとそこには栗色の髪をした幼い少年がシエルと同じ貴族服を身に纏いながら多くの文官達を連れて不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「はうっ!?」
彼らを見た瞬間、シエルは慌てて私の後ろへと隠れてしまう。
「情けない"愚兄"が。まさかその汚い土足で城に上がろうとしたんじゃないよな?」
自分を見て隠れたシエルに少年は冷たい視線を向けると顔を顰めて不機嫌そうな態度を取り始めた。
彼の名はテル・ワース・・・ワース王国第二王子にしてシエルの弟である。
「テル様、このような野蛮な者と話してはなりません。」
「そうです。あんな出来損ないの王子など放っておけば良いのです。」
「・・・そうだったな。行くぞお前達。」
文官達のそんな言葉を聞いたテルはそのまま私達に見向きもせず颯爽と城の中へと入って行った。
「師匠・・・もう嫌だよ。」
「シエル・・・。」
今にも泣きそうな表情をするシエルを見て、顔を曇らせる。
普段は純粋無垢な表情をしているシエル・・・しかし、彼の心の奥底にはとても八歳の少年が経験するには辛すぎる事情が存在しているのだった。
今週は初回の為、二話連続投稿となりました。
こちらは毎週日曜20時より、投稿予定です。
※突発的な休載もある為ご了承ください。