赤の姉妹
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一夜明け。浴場に通されたハンノは、修道女からよく体を洗うようにと言われた。シャンプーを泡立てようとするが中々泡立たないので三回程根気よく洗い、流しを繰り返すとようやく頭皮がさっぱりしたような気がした。体を洗うとお湯が茶色くなった。数日間土煙が立ち昇るような荒野を走行していたら自然とこびりつくのだろう。多分。
孤児院に辿り着いてからベルベットから音沙汰は無かった。一体何が目的なのかも解らない以上、大人しく生活を送るしかない。
(せめてアスターがいてくれたらな…)
もしかして。自分をこの孤児院に入れることが目的だったのだろうか。だったら、今頃皆は…。でも、ベルベットは後からアスターも合流すると言っていた。嘘じゃなければ。
(やめよ、考えるの)
浴場から出ると、制服が用意されていた。白いワイシャツにグレーの半ズボン。ソックスガーターとグレーの靴下。そして黒のローファー。着ていた服はどこにも見当たらない。持っていかれたのか、捨てられたのか。
遊具のある裏庭でハンノは箱ブランコに乗り賑やかに遊ぶ子供達を眺めていた。
故郷にいる時も気づいたら家の中で過ごすようになっていた。この国が半神動物を虐殺しているから、危険だから、死なないために家にいなさいと母さんが口酸っぱく言っていた。
今はここで自由に遊べるのに。望んでいた遊び。だけど気は進まなかった。
思い出すのはアスターや沐文、杠葉達のことばかりだった。ハンノが居たいと思う町が見つかるまで…という約束で同乗させてもらったけれど。――心ではもう解っている。
「ねぇ、新しい子でしょ?」
声を掛けてきたのは半神動物の女の子だった。ハンノと同い年くらいだろうか。
「私は花代。狸の半神動物よ。で、こっちは妹の結乃」
そして後ろには、年下の人間の女の子。西側の顔付きで金髪だった。明らかに姉妹ではない。
「ここでは血が繋がっていなくても姉妹や家族になれるの?」
「そうよ。お互いが望めば姉妹にだって家族にだってなれる。きっとハンノもそんな相手と出会えるよ、いつかね。一緒に乗ってもいい?シスターが焼いていたスコーンをくすねてきたの。一緒に食べない?」
「ありがとう」
ジャムとクリームチーズは無いけど許してね、と花代が言う。
結乃は人見知りなのか今の所ハンノに話しかけてこない。用があるなら全部花代に伝えている。そして花代は結乃が納得いく答えを出して安心させていた。
スコーンは出来たてで、焼けた生地のふんわりと空腹を誘う匂いが鼻腔をくすぐる。パンとは違う、どこか甘くて、優しい匂い。
一口齧ると、サクッとしてほろほろとカスが少し零れた。
「出来立てだから美味しいよ」
「シスター達は皆お菓子作りが得意なの。噂では特別なお菓子もあるんだって」
「ふーん」
ここは。半神動物も人間も仲良く遊んでいた。ケンカはあっても、それは子供同士のいざこざで年長者が割って入れば解決していた。食事の時間も、皆が好きな席に座り神と食になった生き物への感謝を述べてから食べ始める。案内された寝室は人間が二人、半神動物が一人の先住がいた。ハンノが入って二人ずつ。「よろしくな!」と挨拶をされ、ハンノも「よろしく」とお辞儀した。
消灯になり、施設内の電球が一斉に消えた。
見た感じ、本当に分け隔てなく生活をしている。故郷のように、人間と半神(僕)動物(達)が暮らしていた。
チリリリリリーン…なんの虫だか解らないが草の影から耳当たりの良い音を奏でている。二段ベッドの下で寝ている。簀の子を見つめながら思い浮かべるのは沐文と別れたときの表情と、アスターが嬉しそうにティカを着けている笑顔。――どうやら、僕はまだアスターや沐文と一緒に居たいらしい。
胸の奥が重くなる。苦しい。
誤魔化すように目を瞑り、早く眠りたいと念じる。明日になればきっと何かある、動きがあると信じて。
ハンノの願い通り、翌朝、朝食の時間に紹介された人物がいた。アスターだ。
「彼女はアスターさん。昨日はハンノくん。国内情勢のせいもあって、これから悲しき家族が増えていくでしょうが、優しく受け入れていきましょう」
はい、と孤児院の皆が返事をした。
朝食を終えたアスターはハンノに目もくれず遊具のある庭へ向かう。ハンノは慌てて後を追う。アスターは、あの箱ブランコに乗り、ハンノをじっと見つめていた。あの微笑みを浮かべて。ハンノが向かいに座る。
「一昨日は突然なことで驚いたでしょう。利用してごめんね」
「ビックリはしたけど…。でも、アスターがちゃんと来てくれて安心した」
「皆も、心配してるよ」
「…そうなんだ」
「うん。なんだかんだハンノのこと気にかけているの。皆、あんまりハンノと喋らないのはお別れが来た時に情が湧いて離れるのが嫌にならないためよ」
その話を聞いて。ハンノは花代の言葉が過った。
――お互いが望めば姉妹にだって家族にだってなれる。きっとハンノもそんな相手と出会えるよ、いつかね。
「もし、さぁ」
「うん」
「僕がアスターや沐文と家族に、仲間に入りたいって言ったら、迷惑…?」
「その答えは、ここから出たら直接本人達に訪ねましょう。ここに来たのだって、理由があるんだから。任務が終わるまでは帰れないよ」
決死の思いで伝えた想いはあっさりと違う話題へ差し替えられた。折角勇気を振り絞ったのにと、内心ぐずる。
「それで。任務って何?」
「大層なことじゃないよ。ただ噂を調べるだけ」
「噂?」
「色んなことは、噂から発覚することも多いんだよ」
この孤児院が里親へ出す子供は殆どが人間らしい。半神動物の仔共は養子に迎え入れてもらえないのか、十八歳になるまでここで暮らし巣立っていく。人間ばかりが養子に行くのは珍しい事ではない。半神動物にも同じ種族の仔を迎えたいという気持ちだってある。それにしたって、偏り過ぎだ。
ベルベット達があの町をうろついていたのはここに潜り込むためだったのだろう。だが、作戦は失敗し、偶然立ち寄ったハンノがお眼鏡にかなったのか声をかけられ、無事潜伏成功となったわけだった。
「本来ならベルベットがここにいるはずだったんだけど。町での罵声が酷くてドゥルガーが前に出てきちゃったからね。保護者がいるって解ったら修道女は声をかけない」
「確かに。それで、噂ってどんな内容なの?」
「半神動物の仔共の臓器を売っているって噂。また、ここにいる人間の子供は親元を離れて臓器提供待ちって話も出てる。これも噂だけどね」
その噂にハンノは首を傾げた。だって、皆健康そうだし。具合が悪くて寝たきりの子なんていないはずだ。だけど、納得いかない都合がある。
「もし仮に本当だったとしてもさ。迫害している半神動物の臓器を欲しがる人間なんているの?そもそも、シスター達全員が半神動物だよ。仲間を売るようなこと、する…?」
アスターは無表情から、すーっと笑みを作る。
「人間も私達も勝手なの。適合するなら、使いたい。生きたい。大金が動く。ビジネス。いつ来るか解らない人間の臓器を待つより、殺しても許される半神動物から臓器を盗った方が手っ取り早いじゃない。それに。自分達が生き延びるためなら、仔供を犠牲に出来るの。半神動物の命は軽いけど、仔供の命はもっと軽い」
「そんなことって!」
声を荒げた。否定したい。だけど、母が遺した日記を読む限り、絶対に無いと言い切れない。寧ろ、アスター達が唱える説が濃厚なのだ。自分が知らないだけで、半神動物への仕打ちは熾烈過酷だ。想像を絶するほどに。
「あくまでも噂よ。そんな険しい顔にならないで」
アスターの声で我に返る。自分でも解るくらい眉間に力が籠っていた。それがちょっと嫌になって、ほぐすように指で摩った。
「うん」
「噂ってなに?!」
二人の間に、花代と結乃が飛び乗って来た。ハンノはビックリして肩を震わせた。
「アスター、私は花代!よろしくね!」
「結乃。よろしく」
初めて結乃が喋っているところをハンノは見た。喋れるんだ…と謎の感心が占めてくる。
「食堂に向かう途中、女の子達が騒いでいたの。面白い噂があるって。気になってその噂話の真相を解こうってハンノと話していたところなの」
「面白い噂ぁ?」花代が首を傾げ、うーんと考える。そして「あの噂か?」とボソリと呟いた。
すると寄宿舎から「結乃!」とシスターがこっちへ向かい走ってくる。当の本人は顔を背け無視をする。花代は眉を下げた。
「結乃を養子に迎えたいって言うご夫婦がいるの」
「私はいかない。お姉ちゃんと一緒じゃないと嫌。絶対に」
「一緒に行けないの?」ハンノが訊く。
「人間の子供だけが欲しいんですって」
花代は困ったように溜息を吐いた。
辿り着いたシスターは結乃を少々無理に引き摺り施設の方へ連れて行った。残されたハンノ達は振り返りこちらを見続けている結乃を見守るしか出来なかった。
「…二人はどう思う?血は繋がっていなくても、両親がいて、愛されて育った方が結乃のためにもなると思うんだけど」
「私はそう思わないけど」
悩んで思い口を開いた花代に対し、アスターがあっさりと返す。
「結乃が貴女と離れるのを拒否している以上、たとえ引き取られて、両親が揃って幸せ家族に見えたとしても、それは形だけで親と大人の満足だけで結乃の幸せには繋がらないよ。結乃をお人形にした家族ごっこ。本当の家族になることを望むなら、花代も一緒に愛してくれる親が現れないと話は始まらない。たぶんね」
「…姉妹、なんでしょ」思わず口から零れた言葉。「花代は、結乃と姉妹だから。もっと、シスター達に口出ししていいと思う」
「か、簡単に言わないでよ」
花代が困り笑みを作る。
「簡単に言うわ。だって他人だし。大人の顔色ばっかり伺って生きるのって息苦しいもの。それに私達は子供なのよ。本当に私達の幸福を願うなら、私達の意見を前面に組むべきだわ。行きましょう」
アスターは籠ブランコから降りると施設へ向かい歩き出した。ハンノ達も後を追いかける。
「アスターって、なんか怖そうだけど、優しいのか、キツイのか…よく解らないね」
花代が耳打ちをする。
「うん。僕もよく解らないけど、嫌いじゃないんだ」
――こちらのご夫婦はね、子供に恵まれなかったの。ここに見学に来た時、結乃、貴女を見て確信したのよ。あの子が私達の子供になる子だって。天使様からの贈り物だって。だから結乃、前向きに考えてくれないかしら。
――ユノちゃん。ぜひ私達夫婦の子供になってくれないかしら。貴女を一目見たとき、天使様が間違えて私達から切り離してしまった娘だって思ったの。だから、家族になってくれないかしら。
ウンザリだ。
結乃は、笑顔の仮面を貼り付けた大人達を前に、冷えた視線を送っていた。どいつもこいつも嘘ばかり。薄っぺらい言葉をペラペラと並べていく。
「だったら。神様から切り離されちゃったお姉ちゃんと私も一緒に迎え入れてくれますよね」
「結乃!花代のことはいい加減に諦めなさい!あなた達は姉妹じゃないの!ましてや人間と半神動物なのよ?わかるでしょ?ね?」
「じゃあ、私とその夫婦も所詮は家族じゃないね」
結乃は吐き捨てると、ソファから立ち上がり部屋から出ていく。そこに丁度、ハンノ達が乗り込む直前だった。結乃は、ハンノとアスターなんか視界に入らなくて、真っ先に見つけたのはやっぱり花代だった。
「お姉ちゃん!」
「結乃、行こう!」
花代は結乃の手を握ると廊下を走り出し、施設から飛び出した。
「こら、結乃、花代!戻ってきなさい!」
シスターの怒鳴り声がするが、無視して走り続ける。
「嫌よ!だって、結乃は私の妹だもの!離れたくなんかない!」
「…!私も!」
姉妹はそのまま、森林の奥へと走っていった。
施設から少し距離がある場所まで逃げてこられた。花代と結乃は息切れをしつつも、笑い合っていた。
「アハハ!シスター、怒ってたね。あとで折檻だ…」
「お姉ちゃんがいれば、怖くないよ」
「結乃…。あ、ハンノとアスターは?!」
「ここにいる」と後方からハンノとアスターが追いかけてくる姿が見えた。完全に二人だけで逃げることで頭がいっぱいになっていたので、助言してくれた二人を置いて行くという失態を、花代は嘆いた。
「ごめん!折角後押ししてくれたのに、置き去りにして」
「気にしないで。逃げる時は一目散が一番よ」
「それにしても、随分離れた場所まで来たね。ここら辺って皆の遊び場の範疇なの?」
ハンノが尋ねると、花代は首を横に振った。
「ううん。普段は裏庭や遊具広場、施設内から兎に角でないようにってキツク言われてる。ここが山中だからってこともあるんだろうけど…」
「ふぅん…。ねぇ、花代。さっき、噂に心当たりがあるような事を言っていたけど。続き、聞いてもいい?」
「え、今?別にいいけど…」
アスターとハンノの意図を知らない花代は苦笑いをしつつも、教えてくれる。
「悪い仔は出荷されて人間に食べられちゃうぞ!っていう噂。いくら半神動物が動物の血筋だからってさ、これは悪趣味だよねぇ」
(アスター達が調べてる噂と違う)
だけど、どちらにせよ半神動物に害が及ぶ噂だ。真偽を確かめて、沐文達に判断を仰がないと。
「ハンノ。象だから鼻効くでしょ?なんか嫌な臭いとかしない?」
「え、するけど…腐った葉っぱや湿った臭いとか、」
記憶の奥。微かに蘇る。母の肌に染みついて取れなかった臭い。それと似た臭いが漂っている。
「…こっち」
ハンノに導かれ、辿り着いた場所は岩がゴロゴロと転がり、巨大に成長した根っこが飛び出し、奥に進むのを諦めさせるような場所だった。そして腐敗した臭いがキツイ。嘔吐しそうになりそうなくらいだった。
「確認しないと」
「ちょっとアスター、止めようよ…」
花代が静止を呼びかけるが、アスターは根っこを跨ぎ進んでいく。ハンノも放っておくことは出来ないので着いて行く。
「わ、私達ここで待っているからね」
「お姉ちゃん、私も行く」
「嘘でしょ…。もう!」
四人が制服を汚しながらも進んでいくと、パキッと何かを踏んだ。苔が生えた骸骨や、肉片が残り蠅が集る骸骨が、いくつも、いくつも転がっていた。
「ッヒ」
結乃は花代に抱き付き目を背けた。
「なに、これ…まさか、出荷されるって噂、本当だったの…?」
青ざめる花代に、骨をまじまじと見ていたアスターが冷静に答えた。
「これ、人間の骨よ。骨格から、子供のものが多い」
「は…?じゃあ、アスターが言っていた噂も、花代が聞いた噂も、全部間違っていたってこと?」
「そうかも。でも、新しい仮説が出来たよね」
新しい仮説――それは、あの孤児院が人間の子供を売買している可能性が出てきたこと。そして、その結果がこの人骨の山。養子に出しているというのも、実際は…。
「じゃあ、それが本当なら結乃は次の餌食にされてるってことじゃん!」
「落ち着いてよ、花代!」
「落ち着いてられないよ!シスター達が人間売ってるってことでしょ?!こんな場所にいられないよ…」
結乃を抱きしめる腕に力が籠る。その手は震えていて。
「アスター、沐文達にこの事報告しよう。それで、皆のこと助けてもらおう。悪いのはシスターと買いにくる大人達でしょ?」
ハンノのゆれる菫色の瞳に自分が映るのを、アスターは見つめていた。はぁ、と溜息を吐く。
「とりあえず、半神動物が被害に合っていないっていうのは今の所確認は取れた。逆に人間が被害に遭っていることも解ったし。…本当は人間を保護するってことはしないんだけどね。特別よ」
「どういうこと?」
花代が不安そうに尋ねてくる。
「あのね、花代。僕達」
施設から複数の足音が聞こえてきた。多分、ハンノ達を捜しにきたのかもしれない。四人は隠れられそうな場所を探し、大木の空洞になった穴に隠れる。ただし、相手は半神動物だ。下手したら場所がバレるかもしれない。臭いに敏感な半神ならこの死臭で鼻が馬鹿になっていてくれ。音に敏感なら木霊する鳥の鳴き声に騙されてくれ。
四人は息を顰め、数ミリ動くことさえ許されない状況に陥る。
しかし、現れたのは人間の男達だった。男達はクセェと文句を言いながら骨の山を見ると顔を歪めた。
「ひでぇ状況だな。やっぱり身寄りのない子供を臓器提供の道具にして金儲けしていたのは本当だったのか」
「狡賢い半神動物だな。これで殺す理由が出来た」
「あぁ。俺達は王のために、国のために、国民を救うために半神動物を殺すんだ。ましてや、人間の子供を殺しているなんて絶対に許せない」
男達が大義名分を見つけると、孤児院とは別の方向へ歩き出した。きっと仲間が他にもいるんだ。そいつ等に報告して、もう少しすれば孤児院は襲撃される。あの人骨が本当に孤児院から出たものなのかも判断されていないのに。黒扱いした。
アスターは小さく舌打ちをすると、動物へと姿を変えた。純白の美しい鳩だった。
「私は沐文達に早急に伝えてくる。そして孤児院を守るよう指示するわ。ハンノ達はここを下って麓まで下りて。そこに杠葉がいるから。車まで戻れば、あとは安全よ」
「解った」
鳩になったアスターは羽ばたき空へと消えていく。ハンノは耳を澄ませ、近くに気配が無いか確かめる。
「今のうちにここから離れよう。仲間の所へ行けば、安全だから」
「待って。孤児院の皆が殺されるのを黙って見てろって言うの?!」
「そうじゃないけど!君は姉なんだろ?!姉なら、まずは結乃の安全を第一に考えろよ!」
声を荒げて、やっと、気づけたかもしれない。どうして母が自分だけを逃がそうとしたのか。僕は今、どうしても花代と結乃に逃げてほしい。生きてほしい。そのためなら、結乃をだしにしてでも花代を安全な場所にまで送りたい。
母さんも、こんな気持ちだったの?
ハンノが怒りに満ちた表情から、後悔に歪めた表情へとなる。花代はなんとなく察した。彼は、家族を殺されたのかもしれない。だから、私と結乃が離れ離れにならないように心配してくれている。
「…わかったよ。ハンノ達の仲間?の所まで行くよ。ていうか、仲間がいるのになんで孤児院なんかに?」
「さっきの噂の真実を確かめに来たんだ。でも、なんで人間の骨があったのかも、調べる前に大ピンチだ」
三人は岩場を降り、根っこを跨いで麓まで向かう。
――バン!
銃声が鳴る。
ハンノの隣にいた花代が頭部を撃たれ、反動で後ろへ倒れていく様がスローモーションのように、ゆっくりと時間が進んでいく。更にそこに銃弾の雨。即死であろう花代の胴体に二発。ハンノの左肩と腹部、右太ももの計三発を食らう。
「お姉ちゃん!」
悲痛な叫びが、朦朧とする頭の中に響く。――結乃、結乃だけでも助けなきゃ。花代の、大切な妹だろ…!
「お姉ちゃん、嫌だ、逝かないで、死なないでぇ!」
「可哀想に。半神動物を姉だと慕ってやがる。洗脳されてるな。どうする?殺しとくか?」
「まだ幼い。ちゃんとした教育を受けさせてやれば戻るだろう」
男が結乃の腕を掴み、孤児院へ向かう。
――ヤダ、お姉ちゃん!お姉ちゃん!ハンノ、助けて!お姉ちゃん!お姉ちゃん!
――結乃…
幻聴だ。花代が結乃を呼ぶ声がした。もう、魂の無い肉体に、何かを告げることなんて出来ない。それでも。
「返せ…結乃を、返せ!」
怒りと、半神特有の筋肉が増強したせいで出血が酷くなる。しかしハンノは気にせず土を蹴飛ばすと、一瞬で結乃を攫った男の目の前に出現した。
「なっ?!」
そのまま頭部を蹴飛ばすと、男の頭部は簡単に吹っ飛んだ。身体は結乃を掴んだまま糸が切れたように倒れる。
「ヒッ、キャアアア!」
叫ぶ結乃を放置し、もう一人の男を標的にする。銃を向けられた瞬間、奴の腹に突進する。
「ガハッ」
男は倒れ込む。そこを逃がさない。ハンノは男の頭、胴、腕、目につく場所を足で踏み潰していった。グシャグシャと。グシャグシャと。
「フー!ウー!ウー!」
歯を食いしばり、握った拳からは血が流れる。今のハンノは母を殺し、花代を殺した人間の区別なんかつかなくて。人間なら、目に着けばすぐにでも抹殺する圧を放っていた。
いつの間にか靴は脱げ、真っ赤に染まった靴下と、血飛沫で汚れた足。地面には臓器や肉片、骨が散らばっていた。
「は、ハンノ…だよね…?」
結乃の声で、我に返る。
「ハンノだよ。僕だよ。ごめんね…花代のこと、守れなかった…!」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん…。大丈夫、ハンノのこと、責めたりしないわ。だって、仇を取ってくれたのも。それに…」
孤児院から銃撃音が風に乗り届いてくる。悲鳴の中に動物…成人した半神動物の声が聞こえる。雄だ。多分、沐文達だ。
ハンノは花代を背負うと、結乃の手を握る。
「アスターと約束した場所まで行くよ。結乃だけでも、絶対に守る…」
「…ありがとう。でもね、私、許せないの」
「結乃?」
明らかに結乃の様子は可笑しかった。小刻みに震え、瞳孔は開き、カタカタと歯を鳴らしながら喋り続ける。
「シスター達が人間をどうしていたかとか、どうでもいいの…お姉ちゃんが殺されたことが最悪な結末なの。人間に殺されたことが、人間と半神動物との共存を分断させようとしてくる大人は酷いと思わない…?
復讐したいの。お姉ちゃんを殺した奴の仲間を全滅させたいの。でも私は小さくて、力も弱いの。狡いって解ってる…
ハンノ。ハンノなら、私のこと導いてくれるよね?私が殺したい人間達の下へ。協力してくれるよね…」
頭の中に、水滴が一粒落ちた。水音は空間によく響く。その反響は次第に、結乃の声へと変っていく。
――導いてくれるよね。
先頭に立ってくれるよね。
戦ってくれるよね。
お姉ちゃんの仇、一緒に取ってくれるよね。
殺したいよね。
お母さんだって人間に殺されたんでしょ?
解ってくれるよね?
ハンノなら、解ってくれるよね?――
これは全て幻聴だ。
黙っていたハンノは、洞窟のように根がうねった奥へ花代の遺体を隠す。
「全部が終わったら、花代を迎えに来よう。それまでは、ここで待っていて」
ハンノの紅い瞳は更に輝きを増していた。ハンノは結乃の手を取り、孤児院へと駆けていった。