焼き魚と焼酎を頂く、11月7日
「西崎課長、先日はフォローありがとうございました。
その上、販路拡大まで。」
「ん? あぁ、あれな。棚から牡丹餅ってやつだ。
あとは上手くやってくれ。」
営業三課の西崎課長が手をひらひらと振り、すぐさま立ち去っていく。二課の僕にとっては直属の上司ではなかったが弊社の尊敬する人物の一人だ。
まるで散歩の途中で出会った、顔見知り程度のご近所さん相手のような立ち振る舞い。
僕は追いかけるように西崎課長を呼び止めた。
「あの! ちょっとすみません!
今夜、課長のご予定はありましたでしょうか!」
クールだ。実にクールだ西崎課長は。
終業前、この時間ならいるだろうと偶然を装って三課の前の廊下まで来てみたが、その廊下を3回往復したところで運よくトイレから出てくる課長をつかまえた。いや捕まえた、とはこれ上から目線。それはさて置き、会話は最低限で立ち去るという、この西崎課長の対応。
自身の功績を誇るでも威張るでもなく。下の者の失敗を叱責するでもなく貶めるでもなく。まして営業収益をそのまま譲るというこの姿勢。(お察しの通り、僕のミスをカバーして頂いたのだ)
正直な話、二課から三課に移りたいとは思わない。それは降格のようなものだ。むしろ僕は一課に行きたい。だが三課長の彼の下で働いてみたいというのも正直な気持ちだ。
同期の生田桜花は彼の元でめきめきと力を付けている。あのアホウがだ。生田のその噂、力量は二課まで届いている。三課ゆえに実績は伴わないものの、その潜在能力はすでに評価されている。
間違いなく西崎課長の指導の賜物だと理解できる。
『修羅の西崎雷太、夜叉の嶋エレナ』
営業部の中では伝説的な二人。
西崎課長が一課長、現在の一課長である嶋課長が一課長補佐であった時代の伝説。
「我が社の営業利益を1年で2倍3倍、いや5倍にした」「大手企業を相手取り、切った張ったの修羅場を制した」「官公庁への今のラインは彼らの功績」
等々、真偽はともかく挙げればきりがない。
当時は二課までしかなかった我が社が、フォロー特化の三課を立ち上げるといった経緯で、なぜか一課を去り三課へと異動した西崎課長。
……そこにあったのは何なのだろうか。修羅の世界での、一線を退かねばならないほどの抗争に終止符を打つための手打ちがあったのだろうか。それとも我が社に、いや業界にある黒い奔流に飲み込まれた、ということなのだろうか。
だが西崎課長のそのスキル、そのポテンシャルが損なわれたとは到底思えない。
事実、今回の件に関しても受けた刀での切り返し、損益を利益に転じるその手腕。衰えているとはとても思えない。
「あぁ? なんだ、何かあったか。」
「いやあの、
トラブルとかでは無いのですが、一個人としてご相談したいことがありまして。
いや、是非にご教授頂ければと。」
「お前ぇ……、固い奴だな。
肩の力抜けよ、同じ会社の人間なんだし。
肩書、役職名なんてものは役割の名前以上でも以下でもねぇんだし。」
「いやあの、自分は西崎課長を尊敬しておりまして!」
「……、まぁいっか。
部下を飲みに誘うのはセクハラだのパワハラだのうるせぇ、くだんねぇ時代だってぇのに。」
なんだか、面倒くさそうに頭をガシガシ掻く西崎課長。
こういうのは迷惑だっただろうか。僕は、
「行きたい店とか、行きつけとかあんのか。」
「いえ、すみません。お誘いしているのに決めていませんでした。」
「わかった。
終わったらそっちに顔出す。」
これは、これはOKという意味だろうか? いやそういうことだろう!
手をあげながら立ち去っていく西崎課長。その背中に力強さ、そして哀愁のようなものを見る。あぁ、これが漢というやつ、修羅というやつの背中なのだろうか。
「お帰りなさ~い。」
妙年の女性に迎えられる。
終業後、西崎課長に連れられて来た店は「居酒屋・お袋さん」という安易なネーミングの店だった。
社の近く、最寄り駅の裏側。電車に乗って移動するのかと思いきや、コンコースを抜けて来た場所。こんな場所にちょっとした飲み屋街があるとは知らなかった。いつも利用している駅なのに。
「あら西ちゃん。若い子を連れてくるなんて初めてじゃない?」
「バカ野郎、今のご時世はなんだかんだうるせぇんだ、つうの。」
コトリ、と置かれる小鉢。お通しってやつだ。切り干し大根と何かしらの煮物。課長がその隣に置かれたおしぼりでガシガシと顔を拭く。その間にまた新たなおしぼりが置かれる。
「飲み物は何になさいます?」
「えっと、」
僕が聞かれてるのか。隣を見るが、西崎課長は未だ顔を拭き続け反応していない。
「えっと、ビールで。」
「……、八洲。どこの出身だっけか。
日本酒は飲めるか。ここは各地の日本酒とか焼酎がある。好きなの飲めよ。」
「自分、九州の出です。
あの、あとで焼酎いただきます。」
改めて店内を見渡すと、確かに日本各地の酒が置かれているようだった。それに、目に入ったメニューはどれもこれも家庭料理的なものばかりだ。
「課長は、よく来られるんですか?」
「たまにな。
晩酌セットで酒一杯と本日のお惣菜、つまみから二品で800円。
裏メニューってわけじゃねぇんだけど、頼めばご飯もある。
ウケるだろ? それでよくツブれね~、つ~の。
こんな客も入らねぇ場所なのにな。」
とはいえ、そこそこお客は入っている。仕事帰りのサラリーマン。みんな常連なんだろうか。
「んま、商売なんてよくわかんねぇよな。」
課長がお酒が来る前に、おもむろに小鉢をつまんだ。
「僕も……
はい、そう思います。」
それからというものの、
杯を進め、焼き魚に箸をつけ、
「なんだ、案外、若いのに魚の喰い方綺麗だな。親は厳しかったか。」
などと、激励なのか教授なのかわからない言葉を頂き、
それでいて僕の一方的な愚痴なのか相談なのかわからない戯言に一々、
「うん、ほぅ……、
なるほどなぁ。
それで、
お前ぇはどう思うのよ、それに対して。」
と、
促されるままに話し続けた。
僕はそれほど喋るタイプではないと思っていた。
だがどういうわけか喋り続けた。その相槌に、その無言に、その的確な質問に。
それに対して自分の中の全てを吐き出していた。
ついで、酒も進んだ。
「それで……、僕は西崎課長のようになりたい、
……かと。」
「バカ野郎……
なりたいとか、なりたくない以前に、他人だろうが。自分は自分、己は己。
いいか? お前が目標として俺を定めてくれるのは嬉しいし否定はしないが、」
西崎課長が残っていたグラスを全部飲み干す。
「だけどな、お前ぇはお前ぇだろうが。
……、
そんなに一課に行きたいのか。」
タンッ
テーブルに置かれたグラスの音。
それがまるで裁判のような、乾いた音を響かせる。
裁かれるのか、僕は。釈明の最終弁論か。
「僕は!
西崎課長と嶋課長の関係を羨ましく思っています!
過去のことなのかもしれませんが、お二人の関係が課長のご家てぃ……」
「アホウ、……それは全く関係ねぇ。」
「ですがっ!
西崎課長のその豪腕! そして嶋課長の美麗なフォロー!
そのバディで我が社に功績を残してきたわけじゃないですか!」
「盛り過ぎだ。
それにな、俺は嶋は好きじゃねぇ。ことあるごとに反発してきやがる。」
「え? ええ?
不倫していたんじゃないんですか?」
「バカかッ!
後にも先にも、あいつとは罵倒のしあい以外無いわ!」
「……、
喧嘩するほど……」
「……まぁなんだ、それは否定しねぇ。
だがなんだ、同族嫌悪ってやつか。俺はあいつに恋愛感情の一つも感じたことはねぇ。
仕事上、あいつは認める、確かに。
だがそれとこれとは別問題だ。
俺は、」
空いたグラスを掲げかけた課長が、グラスの中に何もないことに気が付き、静かにそのグラスを置く。そのグラスから僕に向けられた視線はすわっていた。
クールだ。
あぁ、実にクールだ。
「……、
なんだ、お前ぇ。嶋が好きなんか。」
ぼくは答えられない。
「あ~~~、
なんだかんだ、相談したいことはなんだ、嶋が好きだって話か。
それでなんだ、俺に探りか。」
「違いますっ!
僕は! 恋愛感情があろうとなかろうと、そんなお二人の関係が羨ましくっ!
僕が! 西崎課長のように、そんな関係に、嶋課長と肩を並べるように!
そうなりたく!!」
「……、バカか。」
課長が立ち上がった。
「お会計。
……八洲、終電逃す前に帰るぞ。」
「あの、お金出します!」
「真面目か、お前ぇさんは。
上司ってのは上手く使ってなんぼなんだよ。
今日は奢らされとけ。
んでなんだ、その浮いた金は部下に回せ。
水も金も高いところから低いところに流れなきゃ、面白くねぇじゃねぇか。」
暖簾をくぐる西崎課長の背中を追うように僕は続いた。
「どうなりたいかよりも、どうしたいか。
そして自分は何が出来るかじゃねぇか。」
それはまるで、
独り言のように呟く、僕に対してのアドバイスだった。