猟犬と溢れ出た想いを考える、11月11日
「ふぅ……」
ウチはため息にも似た深呼吸をし、今日の資料を再読する。
ミーティングは滞りなく終わった。自己採点でいけば85点はいったか。まずまずの結果。滞りなく的確に終わった。ただ心なしか満足感が得られない。それが、点数を引き下げていた。
前任の西崎雷太が、ある日のミーティング中に発した一言から始まった習わし。
『このミーティングってよう、報告会なのか?
現状報告だけなら紙でも共有メールでも、回せば同じじゃねぇの? 時間の無駄だな。』
報告内容は事前配布資料で確認。報告時間はカット。
『反論、異論は代案がないなら却下。それはただの否定だ。』
無駄な否定はカット。
『ここでの採択は皆の意思決定だ。あとから「あれは……」とか言うのは許さねぇ。
あとからなら何でも言える。そういうあとから「だからやっぱり」みたいな顔に虫唾が走る。
決定事項には全員が責任もって挑め。嫌ならとことん自分の意見を展開しろ。
通らねぇときは自分の力が無かったからだと思え。』
きつい言い方だ。だが、それが一課には必要なこと。
結果は出さねばならない。だが失敗も一つの結果として許容した。
であるなら次は、と。
『すみません、で済むなら商売にならんよ、嶋。
俺は「世間が情勢が」とか「あの会社が、あの客が」だとか、他人のせいにするのは嫌いだ。他力本願で成り立つのは運であって商売じゃねぇ。』
逃げは一切許さない。
『だけどなお前? 自分が至らなかったから、って自己否定に走るのか?
らしくねぇな。いつも通り我武者羅に行けよ。
いいか、間違ってるのは世間でも自分でもねぇ。やり方が間違ってただけだ。
だったら次こそ正しいやり方を、って探すだけだろ。』
前へ前へ。進むことだけが信条。
失敗や不正解、トラブルが起きた時によくある「犯人捜し」
責任の所存を詮索すること何よりも嫌った。しいて言えば俺の、それを決裁したトップの責任だと。そんなことに時間を割くぐらいだったら「じゃあ対策は?」という次のことを考えようや、と。
『失敗したことが分かった。それは前に進んだからだ。
だったら次は、それを選ばなければいい。』
『それで前に進んだと?
そう割り切れるほどウチは楽観主義者じゃないんで!』
そう悪態をついてあの時は立ち去った。思い出すだけでも苛立たしい。悔しい。
「失礼します!」
歯切れのいいことわりで思考……、振り返りが中断される。
「なにか?」
ちょっと冷たい言い方だったかもしれない。そのことにウチ自身が凍る。
「先ほどのミーティングに上がった資料なのですが……
その、一読していただければ、と……。」
一層の緊張を強いてしまったろうか。二課の八洲が書類をウチの元へと、折り目正しく突きだす。緊張のせいか震えてる気がする。悪いことをしてしまったかな、そう思いながらも手にするウチの動きは、やはり冷たい。
「この資料は三課にお願いすると言ったはずだけど?」
「いやその、事前に作っていたものですから。
差し支えなければ、これで良ければ時間短縮にもなろうかと。」
そもそもこのタイミングで持ってきたのだから聞くまでもないこと。
だけどウチはつい、資料1枚目に目を通した段階でそう言ってしまう。
良くできている。良くできているからこそ、熱意がそこに感じられない。それはまるでウチの「言葉」のようだった。ここには足りないものがある。
「良くまとめ上げられてるし悪くない。悪くないけど、うん、それだけ、かな。
惹かれるものがない。」
「惹かれるもの……、でしょうか。」
「参考資料としては役に立つから、このデータを三課にまわしてくれる?
予定通り三課の生田さんにお願いするから。」
バンビ君の表情が曇る。表情には出さないようにしているが悔しそうなのが分かる。
ん? おや? んん? ライバル視? 同期だっけ?
あ~~~、うん、なるほど。そういうこと! そういうことね!
バンビ君は生田さんに「男」ってところを見せたいわけだ。仕事ができるところを見せてリードしたいの! つまりそれは、惚れてるってわけね!
わかるわ~、それ! 生田ちゃん、可愛いもんねぇ!
なにそれ! すっごい萌えるんですけど!!
これはつまり……、
応援すれば至近距離で二人の進展を見られるということでは?
先日、雷太が推すから営業に連れて行ったけれど、「固い、固すぎる! 若いのに!」と思っただけだった。でもうん、これは磨けば良くなるかもしれない。
よく見れば素材として悪くはないかもしれない。先日あげたネクタイを律儀にしてるし。
うん、それだけで印象が変わるかもしれない!
「では、早速……」
律儀だ、律儀。
主人の言いつけを忠実に守る番犬のようだよバンビ君。でもそうじゃない。牧羊犬を一課は必要としていない。欲しいのは猟犬。牙を剥き、涎を滴らせ、唸る闘争心。
とはいえその悔しそうな表情に、今後の期待、素養が現れているのも確か。化けるかどうかの期待値はある。
バンビが犬に、猟犬になってもいいと思うよ?
「あぁ、三課へはわたしが直接出向くからいい。」
ここで三課へと行かせても良い結果が生まれるように思えない。主に恋愛で。
それにここで行かせてはウチが噛めない。任せたまえよ若人バンビ君!
それにまだ推し測りたいこともある!
「ところでさ、」
立ち去ろうとするバンビ君を呼び止めた。
振り返りターン、「ハッ」と返答し5歩進んだ分、5歩戻ってくる。
まさに番犬、いや忠犬。
「さっきのミーティングだけど、どう思った?」
二課で発生した苦情処理。その処理の結果、思わぬ拾い物、販路の大幅拡大の可能性を拾った。だがそれはまだ拾っただけ。
うちの会社で販路拡大に至っていない学校関係、日本中の大学へと刺さりこむチャンスの案件。
このまま二課で処理しても、それは顔つなぎ程度で終わるかこの時だけの付き合いで終わる。そう判断した二課長が一課へと打診してきた。腐っても課長だな。うん、英断、英断。
その判断は間違っていない。そう判断したウチは、この案件の担当だったバンビ君を一課のミーティングへと呼び、現状報告とその将来性を語らせた。
結果、ウチが一班を兼任し、もう一班を専従させることに決まった。
「正直……、その、温度差に圧倒されました。」
「うん。」
バンビ君が言っていいのかどうなのか、あるいはどういう言い方が正解なのか逡巡している。だけどウチは待つ。相槌以外の言葉を挟まずに。
「無駄がなくそつがなく……
感情論に走りそうな側面もきっちりと皆が理路整然と話していました。」
それって温度が低くて冷たいってこと?
そう聞き返しそうになったのを飲み込む。まだ続きがある。
「ミーティング一つとっても、目的、決定、共有、そして期日。
目標というものをあの短時間できっちりと明確にしていることに感嘆いたしました。これは短期目標、中期や長期においても同じなのだろうと。
ただ……、そこには真剣さ、想い、熱意があると思いました。
熱気がありました。
ただ……」
「ただ?」
「いいえ、出過ぎた意見を言いました。なんでもありません。」
バンビ君が深く折り目正しく一礼する。
話しを終えたという合図だったが、ウチはそれで逃さない。
「言いかけた意見は最後まで言うのがウチのやり方。言って?」
出来るだけ笑顔で言ってみた。
「えっと、その……」
なんでそこで頬を赤らめる。なに? 緊張してんの?
「ハッ。あの、では。
熱意、熱気は感じたのですが、ではその、
それでも溢れ出た熱意はどこで出されているのかなと。感情のぶつけ合いの場は他で設けているのかな? と、そう思いました。」
「……、なんで?」
「あの、人間なのでどうしたって感情論は存在しますので。」
「ふ~ん。」
なんだよ。なんだよバンビ君。君もそうウチに問うのか。
『なあ嶋。
俺はよ、俺はうちの課が前進するためのシステム、理想追及するための土台は作った。ただよ? じゃぁそのシステムから溢れた想いはどうすんだ? ってな。
気持ちや感情の部分はどうすんだってな。
んまなんだ、こういうのは人が変わった方がブラッシュアップできる。
そんな気がするよ。んま、あとは頼んだわ。』
というのを辞任式の贈り言葉として、雷太はウチに一課を託した。
「そう。うん、ありがとう。参考になった。」
短く答え、いや答えを言わずに視線をまた書類に落とし、それを会話の終了の合図とした。
なんだかちょっと、
意地悪してやろうかな? と、そう思った。