霧雨とネクストステージを眺める、11月18日
部長の短い訓示で営業部の月中の修正ミーティングが締められる。
部長の退席に続き、一課長と課長補佐が席を立つ。二課長の山倉が書類をトントンと几帳面に揃えながら自分とこの補佐に退席を目配せする。気が付いた彼が俺と山倉課長に一礼し退席した。
うちの会社はそこまで年功やら役職のよる上下、隔たりがあるわけじゃない。
部長が先に退席するのは終了の合図のようなもの。そして一課の嶋は元から気が強く、そして気が短い。話し合いが終わったら「余韻に浸るなど無駄」とばかりにさっさと席を立つ。
逆に俺は余韻に浸るタイプなのかもしれない。
何かしらが終わった後は、次の行動に移るよりも反芻、確認、再考に時間を求める。自分の吐く煙草の煙ではなく、煙草の先から棚引くそれ。それが好きなのかもしれない。
一課から三課に序列があるわけじゃないはずだが、「新規・継続・処理」という流れからか自然にそういう空気になってしまっている。それとは別なはずのこの場も、結果的にこの順番で退席する流れだ。
余談だが、うちの課には「課長補佐」を置いてない。今のミーティングルームには、俺と山倉二課長の二人だけだ。
「……、先日のウチの件は助かった。」
「たまたま俺の元顧客ってだけですよ。」
端正な佇まい、氷のようにキリっとした雰囲気。
俺とは、いや嶋とは真逆な存在。堅実にして確実。二課は山倉さんだから成り立ってるように思う。
俺より5歳位上だったろうか。なのに俺の方が老けてる気がする。
「その後の拡大はウチの八洲の手柄じゃないだろう。
感謝する。」
「彼も頑張ってるでしょう。実直で堅実なタイプだと思いますよ。」
「……先日な、一課への異動願いが出された。」
山倉さんが深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
「務まるだろうか、八洲は。」
「本人の意思があればそれなりには。化けるかどうかはわかりません。
二課向きのタイプだとは思いますがチャンスを与えるのも良いかと。少なくとも彼にとってはいい経験になるはずです。私はそう思いますよ。」
「ありがとう。」
そう言って山倉さんが立ち上がる。
八洲を入社以来、育ててきたのだから思入れもあるだろう。そして一課は一番、離職率が高い。一課の流れについていけない者。あるいは更なる自身の可能性に独立や上位会社へと転職する者。
嶋が一課長になってからは退職する者も減ったが、それでもやはり厳しい世界だ。毎日狩ることを考え、毎週先々を読み、そして毎月結果に己が晒される。
ふと視線を上げて窓の外を見た。
今日は雨予報だったか。細い霧雨のような雨が降っている。
「ほんとあんたさぁー、辛気臭いと思うんですけど?」
「うっせ。」
再び戻ってきて開口一番がこれだ。こいつは何か俺に恨みでもあるのか。
……、いや思い当たらなくもない。一課長の嶋は俺の元部下だった。パワハラとかモラハラをしてきたつもりはないが、あの当時はとことん意見が合わなかった。
営業なんて仕事をしていると思うことがある。「正解」は全くない。前回は上手くいったとしても今回も上手くいくという保証はない。絶えず最適解を探し続ける。
その中でどうしたって色々な意見、方針が上がるが、二つの意見が拮抗していた場合は最終的に責任を取る上司の意見が通る。
正解・不正解ではなく、責任を取るか取らないか、だ。
「んだよ、忘れ物か。」
「チッ
あんたに話があって来たんですけど?」
一々舌打ちすんじゃねぇよ。
嶋が俺の向かいの席に座り、言葉とは裏腹に楽しそうに切り出した。
「一課への異動の話なんだけどさー、
第1案、生田ちゃんと八洲君をうちが面倒見る。」
「……。」
「第2案、バンビ君だけ引き受けて、とことんまで魔改造して育て上げる。
第3案は妥協だけど、生田ちゃんだけ引き受けて当初の目標通りに仕事に活用する。ねぇあんたはさ、どれが一番面白いと思う?」
「すまん、嶋。
言ってる意味が全く分からねぇ。特に第2案の魔改造が良くわからねぇ。
つかよぅ、他にもいるだろ、引っ張りたい奴とか一課希望してる奴とか。」
「それはそれ、これはこれ。
一課でやりたい子がいるならそれなりに頑張ってもらうわよ。仕事なんだし。
それより何? 変わらずバンビ君推しなわけ?」
「まぁ、本人はやる気満々だしな。」
とは言えど、その動機はやや微妙だとは思うが……
どんな形で在れ原動力には変わりはないか。どんな形で有れ、仕事の原動力自体は何でもいい。金のため、生活のため、家族のため。自分のスキルアップや挑戦、やりがい。ようは継続できる何かかがればいい。
ただ継続するためにはコツがいる。仕事を楽しめるかどうかだ。そして楽しんでやってる奴は上達も早い。
「あっそ、第2案ね。そう来るか、そうか……
バンビ君を仕事も恋も成就できるように磨き上げるか、うちが。」
「マジで良くわかんねぇけど、あれだ。
全体的には一番まともな案な気がしてきた。」
嶋は育成するタイプじゃない。課題を与えて自主的に伸びることを促すタイプだ。
その嶋が人を育てようとしている。なんの心境の変化か。
「つかよう、こないだまであまりバンビ、八洲にそんなに興味無くなかったか?」
「そうだっけ?
つかあんたさ、なに? 生田ちゃんをそんなに手放したくないわけ?」
「そうは言ってねぇ。」
「可愛い子には旅させろって言うでしょう?」
「旅なんて生易しいもんじゃねぇだろうが、一課は。
野獣の群れに放り込むようなもんだ。」
「ああん! ウチが生田ちゃんを守るのも良いわね!」
「野獣が何から守るんだよ。」
「なにそれウチのこと? 誰が野獣よ! バカ! 死ねバカ雷太!」
久々に「バカ雷太」って言われたな。
懐かしさもあってつい笑ってしまう。こいつは変わらねぇな。
いや変わったか。根源的な性格は変わらん気がするが、課長になってからは視野も広がったし、部下に目をかけるようになった。
「きつい」「厳しい」という評価は変わらず聞こえてくるが、皆を鼓舞し先頭を走る嶋の姿を誰もが認め、誰もが憧れ、そして目標にして皆が走ってる。今の一課はまとまりがある。
俺の時代には無かった。
切磋琢磨というより、己が生き残り、勝ち残ることを誰もが目標にしていた。
それこそ「野獣の群れ」だ。
「ネクスト・ステージ。」
「それ。」
俺の言葉に嶋が頬杖をつきながら即答する。
一緒にやってた時代。「合言葉」のように、共通のキーワードのように俺らが口にしていた言葉だ。
成功しても、達成しても「ネクストステージが始まる、さぁ次の準備をしよう」
失敗しても、打ちのめされても「ネクストステージが待ってる、次こそ」
環境が変わり、世界が変わり、ネクストステージが始まる。
「可愛い子には旅させろ」、か。
「一応、世間話の流れで生田には「考えろ」と言ってある。
近いうち正式に聞いとくが、なんだ。
お前からスカウトしてもいいんじゃねぇか?」
「あんたほんとバカ雷太よねぇ。
わたしが誘ったら誰でも即門即答で即OK出すわよ。」
「ないない。
……、いやありえるな。」
「んじゃ、ちゃんと推しといてよ。」
嶋が立ち上がり、仕事モードに戻る。
キリっとしたスタイルの良い立ち姿。なるほど、八洲が惚れるのもわからんでもない。俺には無理だが、嶋は。
片手を上げ、その押しとやらに応える。
「あ、それとさ、」
振り返ることなく、窓ガラスに反射した嶋と視線を合わせた。
「ついでに今、好きな人がいるかも聞いといてねー。」
「……。
はぁ? 何言ってんだ、おま」
一瞬なに言われたか理解が追いつかず、振り返り引き留めるられなかった。
閉められるドアの音だけがカシャンと答える。
くそが。
そんなこと俺から聞けるわけないだろ!