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11月31日に咲く花〜リズム【本編version】  作者: pai-poi
並河紗良は、兎を思いながら【上弦】
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豚汁と御萩の間にいる、11月3日

「また……、豚汁(とんじる)ですか?」


「うん。これは日本が、いや人類が発明したバランス栄養食だからね。」



 彼の部屋に上がった瞬間に香る、味噌と動物性の油の匂いに私は顔をしかめる。

持っていた小さな紙袋をテーブルに、カサリと置く。


 彼曰く。


・発酵食品である味噌を用いてる。

・調べた結果、使われている食材でおおよその成人が一日に摂取すべき栄養素が取れる。

・概ね食材が安価。

・何より豚汁は切って煮るだけで完成する。

・余談だが、彼は豚汁を「ぶたじる」と呼ぶ。


 だ。


 家にいる時の食事、朝ご飯と晩ご飯は毎日、豚汁とごはん。

大学にいる時の昼食はバナナとゆで卵のみ。

彼曰く、昼食は「失われたカロリーを摂取するだけで良い」

はぁ、なんと言う暴論。

ちなみに休みの日の昼食は食べない。私が外食に誘った時以外は。


 今日はせっかくの祝日。だけど私は彼を外に誘い出す事が出来なかった。大人なのだから、お互いに何かしらの用事があるのは当たり前のことかもしれない。今回は私の方に外せない用事があった。

無論、仕事以外で彼の方から「誘われる」ということは今の所、無いのだけれど。



『世界は一つしかない』


 それは嘘だ。私には私の見える私の世界が。彼には彼の世界が。人々にはそれぞれの世界がある。

その「世界」の重なりの中、私たちは模索し、繋がりを求め、ただ「私の世界」の中を歩いているに過ぎない。



 私は用事を終わらせ、お土産を片手に彼の元へ寄った。夕食には早い時間だったが、11月ともなれば日が沈むのは早い。外は夕闇が始まっていた。

この季節特有の、せかされる気持ちは何なのだろう。気が付けば急ぎ足になってしまうのはなぜなんだろう。

待っているはずもないのに、私は急いでしまう。



「よく飽きませんね。」


「飽きるも何も。

 食事は生命維持のため飽きずに続けるものだからね。」


 かれこれ、そう言い続けて1年以上は過ぎていると思う。

そうは言っても、彼はけっして美味しいものを「美味しい」と言わないわけではない。

先日も、最近評判のいいパスタ屋さんに連れて行った時もそうだ。

「う~む、カルボナーラと言うのかこれは。旨いな!」と絶賛していた。

もっとも、大抵のものは絶賛するわけだけど。

好き嫌いの内、嫌いなもの、食べられないものがないのは美徳だとは思う。だけれど「好きなもの」がないのも、どうなのだろうか。

お陰で私は未だにそのことで苦慮しているというのに。



「なにか、手伝います?」


「いや、あとは煮込むだけだから。」


「そうですか。」


「何か買ってきたの?」


「和菓子屋さんで御萩を買ってきました。

 時期的には遅いですけど、たまには甘いものを取るのもいいと思いまして。」


「ふむ、久方食べたてないなぁ。御萩。」


 ママが「男の胃袋を掴んだら勝ち」とは言ってたけど、この人の場合、胃袋の前に味覚のハードルが高い気がする。いや低いのだろうか。あるいはゼロかもしれない。

ゼロに何を掛けてもゼロ。増えることはない。いくら掛けても。



「サラちゃん。

 そうそう、こないだの資料、助かったよ~。」


 手を洗い、布巾なのか台所に掛かっているハンドタオルで手を拭きながらこちらに笑顔を向ける。

「そういう何気なくする笑顔は罪だ。」

私は思う。


「教授の発想は素晴らしいとは思いますが、まとめるのが苦手ですからね。

 そういうの「右脳でアウトプット」っていうらしいですよ?」


 若干、皮肉を込めて応えてみる。


 彼と出会ったのは小学生の頃だ。

亡くなったパパの助手をしていた彼は、よく(うち)に遊びに来ていた。いや遊びにと言うのは語弊があるかもしれない。家に来てはパパと、あの頃の私には難しいことで議論を交わしていた。お互いが自分の意見を忖度なくぶつけ合う関係。

分不相応にも、幼心に嫉妬を感じていたように思う。


 あの頃から彼は変わらず私のことを「サラちゃん」と呼ぶ。

私は「お兄ちゃん」から「森岡さん」に、彼の勤める大学に入ってからは「教授」と変化してきたのに。

心は変化してないというのに。



「いやはや、これ美味いな!

 脳の失われた糖分が充足していくのを実感するよ!」


「それは良かったです。

 でもデザートのつもりで買ってきたんですけど、食事前に食べて大丈夫ですか?」


「ん?

 いやいや、折角サラちゃんが買ってきてくれたんだから、直ぐに味わわないと罪じゃない。」



 「罪なのはそういうところですよ。」という言葉を私は飲み込む。



「餡子、好きですか?」


「うん、美味しいよね。」


「私は餡子はあまり好きじゃありません。

 中のもち米は好きですが。」


 そう言いながら私は自分の御萩の餡子を掬い取り、彼の食べかけに全てのせる。

糖分を取りまくって、もっと他のことにも頭が回るようになればいいのに。



「今度、カレーライスを作っていいですか?

 材料は豚汁とそう変わらないと思うので。」


「カレーライスかぁ。

 そういや久しく食べてないなぁ。若い頃は毎日、昼と夜食べてたんだけどね。」



 「聞きたい解答はそれじゃない。」そう思いながら、ふとママの言葉を思い出す。


『料理なんて食べてくれる、喜んでくれる人がいるから作るものなのよ。

 一人だったらママだって毎日カップラーメンだと思うわよ?

 料理は、紗良(サラ)に作りたい人が出来た時に教えてあげる。』


 明日、カレーライスの作り方をママに教わろうか。

きっとネットで調べながら作るよりも、彼の胃袋を掴めるかもしれない。



「バランス栄養食も良いですが、少しは文化的な食事を取って頂いた方が良いと思います。文化の日ですから。」


 御萩に視線を落としていた彼が、真面目そうに顔を上げる。眼鏡が光りを反射して表情は読めなかったが、何かしらに気付いた時の感じだ。


「そうだね。うん、今日は文化の日だ。

 古くは天長節、今で言うところの天皇誕生日。昭和天皇の即位で天長節が代わってからは、名称が明治節となって残った。新年節、紀元節、天長節、そして今日の明治節をもって四大節。

 戦後、日本国憲法の公布が今日だったから、憲法記念日となるという案が強かったけどね、「文化の日」の名称が採択された。名称の言葉や意味は、憲法の「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨から来ている。

 そういう意味では、食や豊穣を祝うのも、自由と平和と愛の現れとして見ても間違ってはいないだろう。」



 間違っている。私が聞きたい解答はそれじゃない。


 でも私はそれを否定することはしない。

愛してほしいのは自由でも平和でもない。もちろん自由であること、平和であることを望まないわけではないけれど。その片隅にでも私を置いてほしい、ただそう思うだけ。



 少し意地悪な気持ちが、私の内側にもたげる。


「ところで教授、牡丹餅って何か知ってます?」


「う~ん、そういや定義がわからないなぁ。食べたことないし。

 関西の食べ物でしょ?」


「違いますよ。

 春のお彼岸に食べるのが牡丹餅。秋のお彼岸に食べる御萩。

 同じものですよ。」


「え? そうなの?

 これは御萩でもあり牡丹餅なの? いやぁ勉強になったなぁ。

 サラちゃんは物知りだなぁ。」


 そう言いながら手元の御萩の、山盛りになった餡子を掬い口に含みながら彼が笑顔を私に向ける。

「そういう何気なくする笑顔は罪だ。」と、私は再度思う。今迄だって何度思ったことか。



 私の想いはいつ届くのだろう。

カーテンの無い、居間の窓の外の秋闇。それを背景に映る私の顔と彼の横顔を見つめた。



「期待しないで待ってくださいね。」


「ん?」


「カレーライスのことです。」



 私の想いをカレーライスに含めて届けようと密かに誓う。



「それより教授。

 豚汁が煮えすぎるんじゃないですか?」


「うわっ! 忘れてた!」



 慌てふためき、台所へと走る彼の背。

その背中に追いつくのは、いつになるのだろう。

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[一言] この絶妙な距離感、エモい( ˘ω˘ )
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