第九十三話
アニィ達は知らない事だったが、5ネブリス程前、転移の魔術に関する論文発表が行われた。
マナスタディア魔法学園に大勢の賓客を呼び、学生たちも集めた大々的な発表会だ。
そしてそこに、当時生徒だった筈のフリーダだけが呼ばれなかった。
実はこれは、ハイライズ夫妻が転移魔術の危険性を検証するためのものだった。
フリーダが呼ばれなかったのは、真実を説明させず、『危険が証明された』事実だけを公表するため。
これによって、フリーダに賛同する者を生み出さないようにするのが目的だった。
奇怪なことに、ハイライズ夫妻はあくまでもフリーダのためを思っていた。
研究ノートの盗用に対し、罪悪感など微塵も抱いていなかったのである。
そしてこの発表会でハイライズ夫妻が行った転移魔術は、厳密にはフリーダの魔術を再現した魔法であった。
だがフリーダは、当時既にクラウと出会っていた。
クラスメイトに当日言われて初めてその発表を知り、その背に乗って、一部始終を上空から見てしまった。
ハイライズ夫妻は、直径1ドラームほどの金属球を別の場所に転移させ、粉々に砕けるのを観衆に見せようとしていた。
そして魔術の行使は失敗し、鉄球はフリーダの母と重なった空間に出現。
彼女の肉体は、文字通り木っ端みじんに砕け散った。
フリーダはその後、二人が研究に用いたノートを発見した。
自分の物と全くの同内容であることを、そこで初めて知った。
自身の研究がいつの間にか盗まれ、そして周囲に恐怖を植え付ける材料とされたことに、一晩中泣いた。
一方、時が過ぎるに連れ、学園内での転移の魔術に対する認識は、『危険』から『不可能』へと変わった。
ある意味、夫妻の試みは成功したわけである。
それでも折れずに魔法合成魔法の研究を始め、チームメンバーとの諍いと魔力消失を起こし、失意のままにこの図書館へと連れてこられたのが、この4ネブリスほど後…アニィ達がここに訪れる、1ネブリスほど前のことであった。
「…ボクが母さんの葬儀で何て言ったかわかる? 『ざまあみろ』だよ!
ボクの研究を盗んだあげく、一番みっともない死に方をしたんだから!」
怒りの涙を再びこぼしながら、フリーダは叫んだ。
母を母とも思わぬ外道の発言に聞こえるそれは、夢を奪った両親への怨嗟の絶叫だ。
妻の死を実の娘になじられ、ついにケイジェルは激怒した。
「お前―――なんてことを! 謝れ!!」
「全部父さんと母さんのせいだ!!
ボクにこんなことを言わせたのはあなた達だぞ!!
親の悪口なんて言いたくもなかったのに!!
物知りな父さんも、頭のいい母さんも、大好きだったのに!!
ボクの人生をぐちゃぐちゃにした泥棒が、何が謝れだ!!」
だが、怒りの度合いはフリーダの方が遥かに大きかった。
凶暴さに満ちたフリーダの声と怒りの涙をこぼす瞳に、ケイジェルは気圧された。
フリーダは今にも父につかみかからんとする…しかしあらゆる尊厳を破壊され、最早その気力もなくしていたのか。
彼女はうずくまり、泣き叫んだ。
「返してよ! ボクの時間を、人生を、夢を、返してよ! 返してよ!!
―――返してよ…返してよぉ……返して…!」
それきり、その場にはフリーダのすすり泣く声、そして魔力防壁が破壊されていくだけが響いた。
誰一人一言も発せぬなか、アニィは両親に全てを奪われたフリーダを想い、静かに涙を流し、そして悟った。
最早この図書館が崩壊するかケイジェルが息絶えぬ限り、閉じこもってしまった彼女を解放することはできない。
僅かな時間の経過で、ケイジェルは疲れ切った顔になっていた。
それでいて、自分の所業の重さを全く実感していないのか、苛立ちも見せていた。
仕事帰りで娘の我儘に付き合わされた、疲弊した父親の顔だった。
「……すまない、アニィ君達。時間を取らせてしまったね」
当然彼の言葉は冷たい。そして懲りずに、フリーダを連れて行こうと歩み寄った…
その時。ケイジェルの目の前に、銀色の刃が輝いていた。驚き、数歩後ずさるケイジェル。
突き出されたのは、ヒナの刀の切っ先だった。
「寄るな」
ヒナは刀を突きつけ、ケイジェルを遠ざける。
アニィ達にとっても、最早ケイジェルはそこにいることすら許せぬ、邪悪な存在であった。
どこまでも無自覚な邪悪。愛を騙り、実の娘の尊厳を全て奪う、最悪の存在だと。
「ケイジェル殿。あなたはやはり、フリーダ殿を愛してなどいないのだ」
「何だと…!?」
ヒナの宣言に、フリーダは驚愕した。
父である彼はどんな形でも自分を愛している、自分も敬愛している。無条件にそう信じ込んでいた。
だがいざ言われてみれば、そうでもなければあそこまで罵られはしないと、すんなり受け入れることができた。
「………そっか。ボクは父さんに、愛されていないんだ…」
自らの言葉にして、フリーダは確信する。自身とケイジェルの間に、親子の情愛など無かったのだと。
親子だからお互いに愛情がある…という洗脳じみた刷り込みこそ、彼女の怒りと失望を招いた原因だ。
言葉にしたことで、フリーダは初めてそれを理解した。
一方のケイジェルは狼狽し、ヒナの背後にいるフリーダを相手に取り繕おうとしている。
「騙されるなフリーダ。赤の他人のたわごとだ、聞くんじゃない!
…どういう了見だ。何を根拠に言い出すのだ。取り消せ!」
訝るケイジェルに、ヒナは指先で自分の耳を軽く叩いてみせた。
「私は耳が良い。あなたの愛情に満ちた声も、フリーダ殿の絶望に満ちた声も、はっきり捉えた」
「どういうことだ。愛していないと言ったのは、キミではないか。
普通の生き方をしてほしいと、親が望むのは当然ではないか。私はフリーダを」
「声さ。あなたは確かにフリーダ殿に愛情を注いでいる。だが、フリーダ殿の夢に全く理解が及んでいない。
娘を守ることばかり考え、むしろ傷つく原因とみなしている。愚かな夢とけなしている。
だから説得するのも諭すのも、あれをやめろこれをやめろと、否定しかしない。
―――そんなもの、愛ではないんだよ」
声ににじんだごくわずかな侮蔑の意思から、ヒナはケイジェルの意思を正確に読み取った。
断言するヒナの言葉は、ケイジェルにとって相当の衝撃だったのだろう。
彼は目を見開き、でたらめを言うなと、ぶつぶつ呟く。
それを斬って捨てるがごとく、ヒナは明朗な声で告げた。
「フリーダ殿にとってあなたは、笑顔で自分を踏みにじる暴漢と変わらん。
父だから許されると思うな、下衆。寄るならこの場で斬るぞ」
そう言われて、ケイジェルは後退った。
心当たりの無い戯言と、切って捨てるのは容易い。だが、フリーダの夢への無理解は、まさしくヒナの言葉通りだった。
そしてフリーダへのあらゆる言葉が、その無理解を反映したものであることにも気づく。
愛の無い言葉の数々をやっと思い出し、ケイジェルの額から、どっと脂汗が流れる。
突き付けられた刃を避けようと後退した彼は、足をもつれさせ、尻もちをついた。
その襟首をつかみ、パルが片手で彼を持ち上げた。空中に吊り上げられ、ヒッとケイジェルが悲鳴を漏らす。
冷たい目で睨みつけ、パルは言う。
「何か変だと思ったんだ。フリーダはクラウに出会って、初めて魔術を使えるようになった。
しかも独自の魔術だ。腕力も、その辺の男の人と変わらないくらいに強い」
「そそそうだ! ふ…普通の子じゃないと、君たちにも判るだろう」
「うん。高い身体能力。魔術を使えるようになった過程。魔術の独自性。
つまり―――フリーダは『ドラゴンラヴァー』だ」
パルの指摘にアニィは驚き、そしてすぐに納得した。
一方のフリーダはアニィと視線を合わせると、すぐに自らの手を見下ろし、体に触れる。
「『ドラゴンラヴァー』。ボクが、ですか?」
「クラウとのことを聞いた限りはね」
そうだ、とフリーダはつぶやいた。全て古文書で読んだ通りだと。
パルが言った通り、幼いころにクラウと出会って、初めて転移の…唯一無二の魔術を行使できるようになった。
そして父よりも強い腕力を持っている。どちらもアニィ達と同じだ。
「フリーダは『ドラゴンラヴァー』のことは知ってても、自分がそうだと思わなかった。
あんた、わざとそれを教えなかったんでしょ。子供の頃には判ってたはずだよ」
「普通の暮らしには邪魔だ、そんな腕力も魔力も。
君たちもそうじゃあなかったのか? 特にアニィ君は! 何が間違っていると」
「それを決めるのはフリーダなの、あんたじゃない。
あんたはフリーダを守ろうとしながら、同時に頭のおかしな子だとみなした。
独自の魔術をただの道楽扱いし、教えられるはずの真実を隠して、自分の理想を押し付けたってわけだ。
ヒナの言った通り。あんたは娘を見ていない…フリーダのこと、愛してなんかない」
言い終えると、パルはケイジェルを放り投げ、冷たい視線を向けながら吐き捨てた。
「―――よくまあ父親面ができたもんだ。反吐が出る」
発言を遮られた上に2度も愛を否定され、ケイジェルは最早言葉を失ってしまった。
自身を良き父と思っていた…否、良き父であることに固執した彼の、一切を否定する一言だった。
自分の父親が、娘への愛も、父であることも否定される光景を、フリーダは呆然としながら見つめている。
「ばうっ」
その隣にクラウが寄り添った。みな味方だと、視線だけで説明する。
親友の視線にどうこたえるべきか判らず、フリーダは黙り込む。
と、反対側の隣にアニィが座り込んだ。
「フリーダさんの『魔法合成魔法』って、どうすれば掛けてもらえるの?」
「え…」
突然の質問に驚き、フリーダは思わずクラウの顔を見た。
説明しておあげ、とクラウは仕草と笑顔で意思を示した。
わずかに逡巡し、フリーダはペンダントを一つ取り出し、説明を始めた。
「…この裏側に、魔力で押印するだけです」
「合成はどんな原理?」
「ええと…これ、『セントラルクォーツ』を使うんです」
フリーダが次に指示したのは、右手に嵌めた、透明な鉱石の指輪だった。
左手の色とりどりの指輪の内、赤の鉱石の指輪を透明な石に触れさせる。
「こうやって、ボクがこれに魔法を注入すると、そっちのペンダント、『ターミナルクォーツ』に『転移』します。
で、例えばアニィさんなら、アニィさんの魔力と融合するように『中和』されます」
「うん」
「押印から魔力の状態を調べて、送ったボクの魔力を調整するんです。つまり、押印はフィルタですね。
そして、ボクの魔法と相手の魔力が『合成』されて、両方の特徴を持った魔術や魔法が出せます」
なるほどと、アニィはペンダントを上から下から眺める。
埋め込まれた顕現石の透明度は極めて高く、かすかな光も強く反射する程磨かれている。
「『転移』で起こる、物質と物質の融合現象を利用した魔法です。
中和さえすれば、ちゃんと合成できるはずなんです」
「そっか、これが無いと魔力が消えちゃう…」
「その可能性があります。でもこれがあれば大丈夫、なんです…
ただ、理論は完成しているんですけど…」
父ケイジェルが言った通り、理論を実証したことは無いのだ。
だからこそ彼女は試せなかった。魔術工学博士たる彼女は、迂闊に危険な行為に出られないのである。
だが、ペンダントを手に取ったアニィは、躊躇なく裏側に魔力押印を施した。




