第八十八話
ページをめくると、今度は原初の魔術の記述があった。
ドラゴニア=エイジ200~250年頃のことだ…具体的な時期は不明。
ドラゴンから『相棒に選ばれた』ある人物の存在で、初めて人類は魔術の存在を知った。
魔術と言う概念を持たなかった人類にとって、一つのターニングポイントとなった出来事だ。
そしてこの人物こそが、最初の『ドラゴンラヴァー』である。
その後、人類の文明は急速に変化していく。
機械、電気、人工知能…アニィ達には理解できない概念だ…に頼った生活が、魔術中心になり出した。
魔術をエネルギー資源とすることで、人類は資源が尽きる心配から、部分的にでも解放されたのである。
長距離の移動時はドラゴンに乗り、魔術で生み出した水を炎の魔術で温め、風の魔術を冷暖房に使う。
魔術を利用した道具類が増え、燃料を必要とする機械、有害物質を吐き出す乗り物は減少。
当然それらを作っていた工場も減少した。工場で作っても売れなくなり、生産がストップ、倒産して建物を解体。
地上を走っていた道路も、年間の開通本数が激減。長距離の道路は老朽化の末、解体や崩落が相次いだ。
必然的に、鉄道も同様に廃止されていった。
ドラゴンは疲労も無く食事も不要。魔術があれば雨や雪もある程度防げる。
長距離移動が手軽になり、ドラゴンは護衛も兼ねているため、安全性も高くなった。
大型車両の替わりに大型ドラゴンを雇う公共交通機関もあったが、こちらもやがて事業が廃止された。
有害な煙を出す機械や施設が無くなって、大気は清浄になり、破壊されかけた自然も修復していった。
「燃料や電気で動く機械の乗り物…確か学園の授業で、魔法で再現しようっていう実験がありました」
フリーダがつぶやく。最早ノスタルジィですらない、滅びた文化のため、当時品の完全再現は不可能なようだ。
やがて交通・産業・日常生活を皮切りに、人間の社会は大きく変わった。
巨大な建築物が、都市以外から消えた。芸能活動は飽きられ、演奏会などのイベントがなくなった。
各国の食料の供給手段は農業や狩猟・牧畜に回帰。工場の減少に合わせて、殆どの兵器の生産も終了。
戦争自体ができなくなり、大量破壊兵器も地上から消えた。
その途上で輝ける鋼と顕現石が発見される。
魔術を『通す』ことで様々な機能を発揮する金属と、魔術の出力形式を自在に変化させられる鉱石。
これが全世界で発見されたことが決定打となり、人類のあらゆる活動が、魔術とドラゴンを中心とした物に切り替わった。
ドラゴンの生息数、輝ける鋼と顕現石の採掘量が、国家間の経済格差とイコールになった。
そして、その格差は決して大きいものでは無かった。
その一方、『ドラゴンラヴァー』のことは時を下るにつれ、記録が減っていった。
人類が魔力を中心として自活できるようになると、魔術を使えない人物は異端とされ始めたのである。
ドラゴニア=エイジ2900年頃を過ぎると、せいぜい300ネブリスに一度現れる程度になった。
地域によって忘れられた存在となるのも、むべなるかな。
こうした目まぐるしい文明の変化の中、過去のあらゆる単位は少しずつ忘れられていった。
ドラゴンの部位や生命活動を基準に新たな単位が制定されたのは、ドラゴニア=エイジ3400年頃。
一方、個人情報の取り扱いは、大きな問題になった。
コンピューターなる機械で管理していた情報が、機械そのものの生産が減少したことで、管理が困難になっていった。
あらゆる有識者が頭を悩ませた。最初は自治体ごとに紙で帳簿を作る、当時より古い形に回帰したという。
ここで現れたのが、現在の記録の魔法の原型であった。
金属製のプレートに記録の魔法のプロトタイプを施し、個人情報を記載する手帳代わりにし始めたのだ。
そしてこれを本人と自治体の役所で同時に管理することになった。
これが現在の『厄介事引受人協会』の原型になっているらしい。
もっとも、協会が発足したのはごく最近だ。似たような組織が立ち上がるたび、この発想が元になったのだろう。
この記録魔法のプロトタイプの発案者はハイライズ姓の人物、すなわちフリーダの先祖であった。
初めて知った先祖の偉業に、フリーダはいたく感心した。
文明が変遷した末に、今のドラゴニア=エイジがある。
読み終えたアニィ達は、大きくため息をついた。
落ち込んでいたフリーダも、幾分か元気を取り戻していた。
《『創星の竜』が星を作り、星に生まれた生命は文明を生み、文明が新たな文明に成り代わった。
私達はそんな時代に生きているわけです》
プリスの言葉と共に、アニィは本を閉じた。
一気にひも解いた歴史は、なかなか頭の中にすんなりとは入らない。
ただただ、長く遠い歴史があり、自分達の先にも歴史が生まれるだろうことを、思うのみだ。
だが、そこまで考えたことで、新たな疑問がアニィの頭に生まれた。
「…星の歴史はわかった…と、思う…
とにかく、そんな過去があったのは判ったけど。ねえ、プリス」
《何でしょう?》
「プリスはこのことの説明を説明するためだけに、本を借りてきたの?」
見上げたアニィに、プリスは首を振って、否と答える。
《よく思い出してください。創星の竜が星を生み、ドラゴンを生んだ。
しかし、我々が住むここ以外にも、星はたくさんあるんです》
「うん、そうだね―――あ」
アニィはあることに思い至る。そう―――星はたくさんある。
数え切れぬほどに。そして今も、生まれている。
ぞわりと、アニィの背筋が震えた。まさかと思いたいが、可能性は十分にある。
《他にも同じように生まれた星、生まれた文明があるはずです。
逆に生命が生まれず、文明が育たなかった星も。
ドラゴンだけが生まれるようになった星だって、あってもおかしくないんです》
「…………それって……! ねえプリス、すごく怖い考えじゃない…?」
《ええ。自分でもそう思います………ただ、飛躍しすぎではあるんです。
皆さん。私の考えが、あくまでもそんな事例からの無茶な推測だと、念頭に置いて聴いてください》
ごくり、と全員が息をのむ。アニィだけが理解している、プリスの推測…
相当恐ろしいものらしい。全員が傾聴する。
いつもの高慢さが失せ、不安に満ちた表情で、プリスが告げたのは。
《邪星皇はドラゴン型の生物…つまり邪星獣を生む。
しかし、あれは本当にドラゴン型でしょうか?
環境に合わせた形態変化こそありますが、根本的な身体構造が似過ぎています…》
「ま、待ってプリス! じゃあ!」
アニィ以外で、真っ先に理解したのはパルだった。
その考えは次々と仲間達に、そしてフリーダとクラウにも伝わる。
プリスはうなずき、説明を続けた。余りにも衝撃的な推測を。
《ええ。あれはドラゴンそのものだと、私は考えています。
ドラゴンが生まれるということは、ドラゴンが生まれる星を作った何者かが存在する。
それができるのは、記録されている限り『創星の竜』のみ。
つまり邪星皇は―――》
《創星の竜と同等の能力を持つ、全く新種の怪物。
あるいは、創星の竜そのものかもしれません…》
―――全員の顔が青ざめた。
真夜中の客室で、アニィ達人間3人はベッドで、プリス達3頭のドラゴンが専用の寝床で横になっていた。
枕に背骨折り固めをかけたパルと、両手を天に掲げた硬直姿勢で眠るヒナの間で、アニィは眠れずにいた。
日中に聞いた様々な情報が、頭の中に強烈に焼き付いていた。
邪星皇が『創星の竜』、あるいは類似した存在ではないかというプリスの仮説。
どこの星にいるか、そもそも本当に星を生み出したのかという疑問は、その場では解決しなかった。
そもそもの問題として、邪星皇がどこにいるかが判らないのだ。
『遥か空より邪悪が訪れた時、この地より飛び立ち邪悪を葬る』という伝承の存在…
すなわち『葬星の竜』プリスが動いたからには、どこかの惑星に関係しているのだろうが、推測でしかない。
それに加え、プリス自身が言う通り、空には数え切れぬほどの星がある。
誰も邪星皇の姿を見たことが無いので、居場所も、そもそも存在するのかも証明する手立ては無い。
その一方、ドラゴンに似た姿の邪星獣が次々に生み出す能力から、全くの的外れではないとアニィは考えている。
次に、パルが街で聞いてきた話だ。帰ってきた彼女たちが不機嫌だった理由。
パル達は、街で絡んできた不良少年たちを撃退した時のことを話した。
返り討ちにして事情を吐かせた所、何と彼らは、かつて魔法学園の優等生グループだったという。
そんな彼らが、街中で人を襲っては追剥まがいのことをしていたのは何故か。
彼らは、邪星獣討伐演習でフリーダとチームを組んだ学生たちであった。
天才フリーダをチームに入れ、有利に討伐を進める算段だったらしい。
彼女が研究していた『魔法合成魔法』を当てにしてのことだった。
全員、自分の魔法が強化されるものと期待していた。
―――だがフリーダは、全員分の魔力を消滅させてしまったという。
魔力切れであれば、安静にしていれば、魔力は元に戻り、再び魔術を行使できる。
だが魔力そのものが消滅すれば、回復どころか一生魔術の行使ができなくなる。
現実世界にある物で表現すれば、弾倉がむしり取られた銃のようなものだ。
消えぬ恨みが籠った、リーダー格らしき少年の言葉が忘れられない…とパルは言う。
『あんた達も魔力を消されないよう、気を付けるんだな』
そして、ヒナがフリーダの言葉から推測した、フリーダの本心。
アニィへの処置の魔法をどうするのかと問うた時、フリーダは何も考えていないと答えた。
ヒナの鋭敏な耳は、彼女の声の調子が、それまでと異なっているのを確かに捉えた。
それまでアニィ達に対し、明るく元気いっぱいに話していたフリーダの声が、突然トーンを落とした。
ただ気落ちしただけではない、とヒナは言った。
フリーダは、アニィ達に出会った時、心の底から幸福そうに話していた。
しかし先ほどの問に対し、即答できなかった。
ついていくと、二つ返事で答えそうなものだったのだが。
迷っている、あるいは躊躇しているのとも、少し異なる…
強いて言うなら遠慮ではないかと、ヒナは推測した。
何をとアニィ達が問うと、ヒナが答えたのは、意外と言えば意外な…
しかしある意味では当然の発想だった。
共に行きたいと願っているのではないか。だが何かがそうさせないでいる。
アニィに定期的に施術するには、共に旅をするしかないのだ。
無論、遠距離でも施術できる都合のいい道具があれば、話は別だが。
最後に、アニィはフリーダとケイジェルの会話の事を話した。
パルは怒り、ヒナはアニィと同じく、何かが親子の間にあるのではないかと疑った。
決定的な不和…それも、恐らくフリーダが一方的に、ケイジェルに対して向けている不和がある。
それがヒナの推測だった。
いずれの結論も推測や又聞きに過ぎない。
事情を確かめるには、フリーダに直接尋ねるしかない。
フリーダが就寝するまで、アニィはその機会をずっと探っていたが、結局は訪れなかった。
父の罵詈雑言に耐えていたフリーダの顔が、アニィは忘れられなかった。
果たしてフリーダは、隣の部屋で眠っていられるのだろうか。
心配になり、どうしても眠ることができなかった。
暖かく寝心地の良い布団の中で、幾度寝返りを打っても、眠気は訪れない。
(…だめだ。眠れない)
アニィは静かに起き上がり、両隣のパルとヒナが目を覚まさないよう、静かにベッドを出た。




