第八十四話
世界観の説明があと4~5話くらい続きます。ちょっとダレるかも
「『ドラゴンラヴァー』の事も知っていたのか」
「はい。古い本で読んだのと…それからボク、魔力の流れを感知できますから。
相棒のドラゴンさん達と、『出口』を共有しているのはわかります」
「ばうばう」
やはり図書館、それも超巨大な図書館だけあり、古書の類も所蔵されているらしい。
この時代、『ドラゴンラヴァー』の事を記した書籍は、ほぼ残っていない。極めて貴重な資料である。
フリーダは人体図の横に『ドラゴン』と書き、さらに両者にまたがる楕円を書き足す。
「ドラゴンさんと魔力の『出口』を共有して、初めて魔術を行使できるようになる。
そして、『ドラゴンラヴァー』のそれは普通の人と全く異なる、独自の魔術になります。
これは魔力が大きい方が、外界の元素の影響を受けづらく、持ち主の影響を受けやすいから」
ここで一旦フリーダは話を切り、アニィ、パル、ヒナの顔を見た。
3人はいかにも心当たりがありそうな顔をする。
思った通りの反応を得られてご満悦らしく、フリーダはにんまりと笑い、説明を続けた。
「そして独自の魔術が生まれるには、本人の願望や資質など、様々な要素が関わっています」
「望めば欲しい魔術が手に入る、と?」
「少し違います。願望に対する最適解…というのがボクの解釈です」
ヒナの質問に答えると、フリーダは人体の横に、様々な文字を書き連ねていった。
願望、精神状態、ストレス、自己への評価。体格、筋力、骨格、運動神経。などなど…
それらの間に加算、減算、乗算、除算、様々な記号を書き足し、イコールの記号で『独自の魔術』と書く。
「砂漠で水が欲しいと願ったら、手に入ったのは地下水を掘りあてる道具、泥水を濾過する布、水をためるコップ。
そのくらいの回答が、『ドラゴンラヴァー』の魔術…というわけです」
「我々の魔術を形成するのは、願望と精神状態と本人の資質なのか…」
自身の願望と魔術が必ずしも直結しないことに、パルもヒナも納得した。
その一方、アニィだけはどこか納得できないずにいた。
強烈な願いはあるが、極めて高い殺傷力を得るような願望など持った覚えも無い。
自分の自由になり、かつて湖のほとりで願ったように、きらきらと輝く結晶になっているのはわかるのだが…
「1、『ドラゴンラヴァー』は魔力が強大すぎて、ドラゴンさんに選ばれないと魔術が使えない。
2、『ドラゴンラヴァー』の独自の魔術には、本人の様々な要素が影響している。
捕捉、魔力は人体構造に無関係。ここまでは前置きです」
そこでフリーダが軽く手を叩き、全員の注目を集める。先刻までの明るさは失せ、真剣な顔になっていた。
アニィ達は姿勢を直し、フリーダの方を向いた。
「これを踏まえた上で、独自の魔術が持つ危険性について、説明します」
危険性と聞き、アニィの背筋にわずかに戦慄が走る。
表情の変化に気付いたか、フリーダはアニィを注視しながら説明を再開した。
「先ほど言った通り、魔術を生み出すのは本人のあらゆる資質です。
つまり人間の資質という物が無ければ、本来魔術は生まれることは無いんですね。
ですが、逆に魔術の悪影響により、精神を歪めてしまうケースもありました。
あくまで何百ネブリスも前の医学を元にした記録ですが…」
フリーダが掲示板に張ったのは、かなり古く色あせた、数枚の診断書だった。
書かれている文字は、この時代…ドラゴニア=エイジ8225年と変わらない。
それをフリーダが読み上げる。
「自罰的、自己嫌悪や自己否定。破滅願望。憎悪、尽きない怒り。
そういった、ネガティブな感情を持ち続けた人達です」
《……アニィ》
全員がアニィを見た。どれもこれも、度が過ぎる程にアニィに当てはまる。
村で受け続けた虐待のせいで、彼女は自己に対して否定的になってしまった。
幾分か変わり始めているが、今でも何かするたび、誰かに罵られる不安を抱いている。
そして同時に、村人達へのどす黒い憎悪も、未だ消えてはいない。
例え彼らを死よりも悍ましい目に遭わせたところで、憎悪の感情が消えるわけではないのだ。
「もしかしてアニィさん。あなたもそうじゃないですか?」
「そ、そんな…みんな。わたしなら―――」
気休めとばかりに仲間達を宥めようとするが、顔が愛想笑いで固まったまま、言葉が出てこなかった。
大丈夫、大丈夫だと、口に出すはずの言葉は、一言も出てこなかった。
《アニィ…》
プリスがそっとアニィの肩に爪を置く。
声音は優しく、しかし指摘するのは、アニィの精神が蝕まれたままであるという事実だった。
《昨日も言ったでしょう。あなたは大丈夫じゃないまま、生き続けてしまったんです。
彼女の話をちゃんと聞いて、治療を受けないといけません。―――フリーダ、続きを》
「はい。…ネガティブな感情、特に自責の念や自己否定に影響を受けた魔術は、無意識に発動します。
勝手に発動し、自分自身の精神を攻撃して、異常なほど怒ったり攻撃的になったりします」
フリーダは資料を机に置き、椅子を引っ張ってきてアニィの前に座った。
「この診断書の人たちは、心がそれに耐えられず、精神疾患を起こした末に狂死したそうです」
「死…んだ」
「はい。脳が耐え切れずに異常を起こしたり、食事もできずに栄養失調で死んだりも」
いつしかアニィの表情は固まっていた。
それを見たフリーダは、大事なのは、と言って説明を続ける。
「自分は今なお苦しみ続けていると、その事実をきちんと認めることです。
ちゃんとわかってくれる人の前で、言葉や文字にして、気持ちを吐き出すこと」
「…プリスにも、パルとヒナさんにも、事情は話して…
だから、心の整理はできてる、って…思ってた……」
フリーダの言葉を、無表情で拒絶しようとするアニィ。
しかし抉り出されつつある心の中の苦痛は、それだけで隠せるものでは無かった。
仲間達に気を使わせまいとごまかそうとしても声が震え、容易く嘘は暴かれる。
ヒナがアニィの肩に手を置き、パルが頭を撫でた。
「アニィ殿。事実を話すだけでは、きっと不十分なのだ。苦しみを外に出さねば…
己をいたわれ。苦しむ自分自身を、きちんといたわれ」
「アニィはさ…自分のつらい気持ちって、殆ど言わないじゃない。前からずっと我慢してるし…
つらかったんじゃなく、自分は今つらいんだって。ずっと苦しいんだって。
辛いときは、ちゃんと言いなよ」
プリスの優しい抱擁、そして友の優しい言葉に、アニィの心がゆらぐ。
ぐっと唇を噛みしめ、アニィはゆっくり唇を開いた。
「わたし……」
言葉に詰まる。自己を否定する思考回路は、自身の苦悩を容易く認めようとしない。
「わたし―――…」
プリス達は、しかし敢えてそれを促そうとはしなかった。アニィ自身が苦しみを認める、それが肝要なのだ。
アニィが深呼吸し、自らの胸の内を吐き出すのぉ、プリス達は待った。
「―――……苦しい…わたし、つらい…」
たどたどしい吐露に、吐き出しきれぬ苦しみが詰まっていた。
一度吐き出すと、独白は停まらなかった。
「魔術が使えないのもドラゴンに乗れないのも、わたしのせいじゃないのに…
だれも判ってくれなかった。だれも話を聞いてくれなかった。
だから、パルにもチャムにも、先生にも言えなかった
今でも痛くて、辛くて、嫌で、自殺さえ考えなくなるくらいに気持ちがすりへる時があって。
何しても、馬鹿にされるだけだって…
あの人達はみんな、ゴミを見る目でわたしを見てた…!
何をしてもあの人達が馬鹿にするから、わたしは…!
わたしだって、誰かを憎みたいわけじゃないの…殺したいのでもない…
でも、あの人たちは…この手でどれだけ皆殺しにしても、絶対に許せないっ…!!」
望まぬ怒りと憎悪を吐き出したアニィの両目から、幾筋もの涙がこぼれた。
最早その後は言葉にならず、すすり泣くアニィをプリスが抱きしめ、ヒナとパルが優しくなだめる。
パッフとクロガネも、重い独白に沈痛な表情を浮かべていた。
フリーダとクラウはしばし何も言わず、そのままにさせておいた。
言葉だけではない、内にこもった感情を表に出させることで、自らと向き合わせるのが狙いだ。
日常的な心の痛みや苦しみは、言葉にすることが難しい。
アニィの今しがたの独白も、言葉にできる限りのことであり、内心にはもっと様々な苦悩が籠っているはずだ。
それらを涙として流すことで、少しでも解消させるためである。
そして、それとは別に。
フリーダは、アニィを羨望の目で見ていた。
友がいる。仲間がいる。苦悩を受け止めてくれる人たちがいる。
(―――ボクにも、クラウがいる。けれど)
フリーダはクラウに寄りかかる。共にいてくれる生涯の友。
だが…決断のために、クラウだけでなく、もっと強く手を引いてくれる誰かが欲しい。
アニィの仲間達のような、自身の全てを認め、受け止めてくれる誰かが。
クラウが、爪の先端でフリーダの頭を優しく撫でる。
話してみてはどうか…青いドラゴンの瞳は、友であるフリーダを見つめてそう語っていた。
フリーダは答えず、曖昧に笑った。決断できぬ自身の優柔不断を笑う、自嘲の笑みだった。




