第八十三話
そこへフリーダが戻ってきた。薬の調合をしていたのか、両手には手袋を嵌めている。
フリーダは、施術されたアニィの姿を見た途端に眉をひそめた。
ケイジェルは娘の様子に気付かず、用事を済ませてくれたものと思い、声をかけた。
「フリーダ、彼女たちを部屋に案内して差し上げなさい。薬もできたな?」
「あ…っ、はい。じゃあ皆さん、宿泊用のお部屋までご案内しますね」
フリーダはアニィ一行を連れて廊下を歩き出した。
司書室からしばらく歩く間、フリーダはしきりに背後を振りむいていた。
アニィ達よりも司書室…あるいは、そこにいる父ケイジェルの事を気にしているようだった。
しばし歩くと、廊下の途中にある壁の前に到着した。
壁には関係者以外の入室を禁ずる文言が書かれている。
フリーダが壁に手を触れた途端、壁は上方にスライドして天井に収納され、壁の向こうに上階への階段が現れた。
「みなさんには、ボクの部屋の隣に宿泊していただきます。
上の階はボクと父さんの住む部屋…つまり、ボクらの『家』なんです」
フリーダに続き、アニィ達も階段を上がっていく。
薄暗い階段を上り切り、生活用の部屋が並ぶ2階に上がる。
階下の仕事用の部屋が並ぶ廊下と比べ、少しばかり空気が冷たく、湿っぽい。
そして人の匂いがする。確かにこの空間には、人が生活している。
しばし歩いて、アニィ達は一つの大きな扉の前まで案内された。
「ここです。室内にも通用口がありますから、用事がある時はノックしてください。
あと、バルコニーは二つの部屋でつながってます。どうぞ、ごゆっくり」
アニィ達が通された部屋は、3人分のベッド、そしてドラゴン3頭分の寝床が用意されていた。
そんじょそこらの高級な宿よりも広く、設備も整っており、居心地も良さそうだ。
プリスも感心して室内を眺めまわしている。パッフとクロガネはバルコニーに出て、雲海を見下ろしていた。
《ほお…これは良い部屋だ。アニィを休ませるには丁度いい》
「ありがとうございます…それじゃあ、お世話になります」
アニィがフリーダに告げると、パルは武器やアニィのマントをベッドに置いた。
「じゃ、宿引き払って、荷物持ってくる。ヒナも手伝って」
「心得た。フリーダ殿、下に降りる部屋は?」
「ボクの部屋の向かいにあります…」
廊下を見ると、確かにフリーダの部屋の向かいに、先刻ここに上がってきたのとよく似た部屋がある。
生活空間ということで、ここもフリーダの魔力を認証しないと動かないのだろう。
それを頼もうと、パルはフリーダに向き直ったが。
「―――あのっ!」
そのフリーダが、突如声を上げた。驚いて全員がその場で固まり、フリーダに注目する。
フリーダは全員を見渡すと、アニィに近付き、顔を寄せた。
何事かとそばにいたプリスが警戒するが、フリーダの目は真剣そのものだ。
そして彼女は意外なことを申し出た。
「あの、アニィさん。もう一度しっかり、施術しませんか」
「どういう…こと……ですか…?」
「…父さんの施術は、一般の人向けです」
フリーダが言っていることは、つまりケイジェルの施術は不十分ということであった。
発現が虚言や父への不信だけでないのは、彼女の目と真剣な表情からわかる。
「…ボクは色々あって、魔力のことをたくさん研究しました。
魔力の流れや残留量も感知できます。魔力の暴走を鎮静化する魔法も使えます。
アニィさんには、ご自身の症状と魔力の事をきちんと知った上で、施術を受けて欲しいんです。
より魔力のコントロールをしやすいように。ちゃんとボクが説明しますから」
真剣で真摯な目を向けたまま、フリーダはアニィの手を握り、懇願するように再度申し出る。
「ですから、もう一度きちんと施術させてください。お願いです」
先ほどまで、フリーダはケイジェルの前では良い娘そのものの姿であった。
だがこの発言は、自分の方が父よりも優れていると言っているようなものだ。
先ほど後方を気にしていたのは、父にこの申し出を聞かれたくないがためだったのだろう。
このことを伏せたのは、父の名誉のためか。それとも…
しばし逡巡し、アニィはプリス達の顔を一度見回し、了解を取った。
全員が、アニィ自身と同じことを考えている。
この、フリーダという少女を信じて良い物か。彼女の自信、そして真摯さを、本当に信じて良いのか。
しばしの逡巡の末に、アニィはフリーダの申し出に答えた。
「…お願いします」
《そうですね。私からもお願いしましょう》
アニィとプリスの回答に、パッとフリーダの顔が明るくなった。
「じゃ、じゃあ、ボクの部屋に! 来てください! 皆さんで!
あっそれと、多分同い年くらいですから、丁寧語でなくていいですよ!」
「は、はい…あっ、パル、荷物は」
戸惑うアニィに、パルは笑って答える。
「後でいいよ、今はあたしも説明聞きたいし。ヒナは?」
「私も同意。まず、アニィ殿の症状について聞いておきたい」
ヒナ、そしてパッフとクロガネも同意し、揃って隣のフリーダの部屋に上がりこんだ。
室内はやや乱雑で、壁際の大きな棚には様々な道具が並び、少女の私室というより、科学者の研究室を思わせる。
お邪魔しますと言って上がり込んだ所で、パルは見覚えのある物を発見し、棚に駆け寄った。
「あれ…これって、モフミーヌさん達が使ってる奴じゃない?」
「はい、ボクが作りました!」
厄介事引受人協会の受付係が使っている、遠距離通話用の鉱石板だ。
学園の園長室、そしてケイジェルの司書室にもあった物だ。
他には口座引き出し・報酬受け取り等の手続に使う魔力押印台、会員証のひな型のプレートが何枚か。
顕現石の輪を埋め込み、その中に複雑な魔法陣をびっしり彫り込んだ、輝ける鋼の板もあった。
「これ、質量転移魔術ゲートだ! あたしの矢を送ってもらってる奴!」
「じゃあ、魔術工学博士っていうのは、フリーダさんの事…?」
「そうです! えへんっ!」
「すごい…!」
「学園にいた頃、研究がてら作ったんです。で、使えそうだから、その頃に発足した協会に提供しまして」
アニィの賞賛に、ふんぞり返って答えるフリーダ。
加勢とばかりにヒナも称える。
「そうだったのか…協会では、そなたの作った道具に本当に世話になっている。感謝するよ」
「そ、そーですかっ! えへへへ…」
賞賛の嵐にすっかり照れるフリーダ。が、我に返って、アニィ達をこの部屋に招いた用事を思い出す。
アニィ達を並んで椅子に座らせて待つように言うと、部屋の外に顔を出し、誰かに何かを頼んだ。
キョトンとしてアニィ達が待っていると、廊下を走るドスドスという足音が聞こえた。
怪物でも来たのかと、迫る足音を訝るアニィ達。そこにやってきたのは―――
「ばうっ!」
持ち運びができる程度の掲示板と何枚もの紙束を抱えた、鮮やかな青の鱗のドラゴンであった。
「紹介します。ボクの助手にして一番の友達の、クラウディオス。クラウです!」
「ばうばう!」
フリーダが抱き着くと、クラウことクラウディオスもフリーダを抱きしめた。
仲の良いその姿は、まさに親友である。
「クルル!」
「ばうっ」
早速握手を交わすパッフとクラウ。続けてクラウは、アニィ達と順に手を握り合った。
社交的で明るく、人見知り(あるいは竜見知り)しないタイプのようだ。
握手が終わったところで、クラウは掲示板に画びょうで紙を張り付け、フリーダに指示棒を手渡した。器用だ。
張り付けられた紙には、人体を簡単に描いた図と『魔力と魔術について』というタイトルが書かれていた。
フリーダが突如眼鏡をかけ、教員風の出で立ちで掲示板の横に立った。
アニィ達が並んで腰かけた後ろに、プリス達が並ぶ。
「事前の知識として。魔力の最大容量は、体の大きさと関係なく決まります。
また、そもそも魔力を生み出す仕組みは人体にありません。
魔力ぶくろのような、都合のいい臓器も無いです」
フリーダは人体の図の中心に、波打つ線で囲まれた不定形の図形を描いた。
その中心に『魔力』の文字、周囲に疑問符をいくつも書いた。
「つまり魔力は、人体の構造と一切無関係なエネルギーなんです。
うっすらとで良いので、最初にこれを憶えておいてください」
「そういえばわたし達、魔力がどこから生まれるかって、考えたことも無かった…」
「いつも使ってるせいか、全然気にしないもんね。ドラゴンもそう?」
「クルル」
うなずくパッフ。改めて指摘され、アニィ達は自身の体に触れて、魔力の発生源が全く分からないことを実感した。
全員が実感した所で、フリーダは指示棒で簡単な人体の図を指す。
「ご理解いただいたところで、解説します。魔力は人体の中にある、実体のないエネルギー。
で、これを体外に出すことで、火、水、風…などに変化する。
これが一般的な『魔術』。皆さん、子供のころから見てきたと思います」
ふむふむ、とうなずくアニィ達。
フリーダはペンを取り出し、先ほどの人体図の不定形な図形から、手に向けて矢印を描いた。
手の部分から出た矢印の先端に、火や風などを現わす簡単な記号、そして『魔術』と書き添える。
「ですが、中にはこの一般的魔術が使えなかった人もいます。
魔力が無かったのではなく、魔術として体外に出すことができなかったケースです」
フリーダは、先ほどの人体図に書いた矢印の途中に交差する、1本の線を描いた。
体外に出るのを遮る、壁のような物を現わすらしい。
「あまりに魔力が大きすぎると、人体から出られない、いわゆる『目詰まり』を起こします」
「あ…それ、プリスからも聞いたよ。ドラゴンと一緒になると、それが解消するっていう話」
《ここに来るまでに少し説明しました》
アニィ、パル、そして途中で合流したヒナも、そこはプリスから説明を受けていた。
事前に知識を持っていたことに対し、フリーダは大いに喜んだ。
「話が早くて助かります。それがつまり、皆さんのような人たち。
―――『ドラゴンラヴァー』です」




