第八十一話
アニィはプリスの顔を見た。
機会があればとは言う物の、どう考えても利益が無い頼みで、しかも邪星獣との闘いにも関係ない。
間違いなく、アニィ達のただ働きになるだろう。当然プリスも渋い顔をしている。
が、アニィの無言の懇願を見て、ため息をついて渋々了承した。
《判りましたよ。あくまで機会があれば、ですからね》
「ありがとうございます…!」
「「お願いします!」」
ザヴェストらがアニィ達の手を握り、感謝の言葉を告げた。
真摯に気遣ってくれる、良き学友達である。天才は気難しいなどとよく言うが、心を許せる相手はいたようだ。
そしてその光景を見ながら、園長は入館申請書を取り出し、アニィ達の前に置いた。
アニィ達は記名、そして魔力押印を施す。
図書館での滞在期間、および出入りと学園内の敷地立ち入りの自由も証明するものだった。
続けて、園長が1冊の書籍を取り出した。
『熱きドラゴンライダーたち』なるタイトルで、美少年と服をはだけた男が抱き合う表紙画が際立つ本だ。
内容が大変気になったが、表紙を見るザヴェスト達の絶望的な程に青ざめた顔から、聞かぬ方が良いとアニィ達は思い直した。
園長は書籍のあるページをめくる。文字も絵も無い白紙のページだ。
白いページに手を置くと、園長室の奥の壁が左右にスライドして、その奥に大きな扉が見えた。
入り口扉を開くための手形の認証機能がある本らしい。それ以外の内容が大変気になる所だった。
扉がゆっくりと開く。
「ここが図書館入り口だよ。もう一つ、事務室窓口前にもある。
もし入院することになって、出入りが必要な時はそちらを通ってくれたまえ。話は通しておくからね」
扉の向こうは灰色の壁に覆われていた。
床と天井には文字列が並び、巨大な円形を形作っている。
使途不明なこの部屋が入り口…つまり、この部屋を通らねば図書館には行けないということか。
その割に、どこの通路にもつながっていない。
そして園長の話では、同じ部屋が事務室前にもあるという。
アニィ達は部屋に上がり、周囲を見回した。ドラゴン3頭が並んでも余裕のある広さだ。
よく見ると、部屋を囲むのは灰色の石の壁ではなく、透き通った鉱石の板だった。石の壁はその向こうにある。
入り口扉以外の壁は、全て鉱石でできていた。
床と天井の、恐らくは『魔法』の文字列。そして透き通る壁。ますますもって部屋の用途は不明である。
「この部屋は…?」
「この部屋で空に上昇し、図書館に入ることができます」
「上昇?」
園長に替わってザヴェストが答える。これも日常的に利用しているのだろうか。
それより空に上昇する部屋という、これもまた聞きなれない言葉に、アニィ達は当惑する。
「行ってみればわかります。きっと驚かれるでしょう」
「は、はあ……じゃあ、その、お世話に…なります」
「はい。ハイライズのこと、どうかお願いします」
ザヴェストがそう言うと扉が閉まり、天井の魔法の文字列が輝いた。
途端、アニィ達の体に、真上からの力がかかった。と同時に、部屋の壁から地上の学園敷地が見えた。
何が起こったのか、最初に理解したのはプリスだった。
《この部屋そのものが上昇しているんですね》
縄や歯車などの動力の類を一切使わず、魔法によって上昇・下降する部屋だ。
現代社会でいう所のエレベーターであるが、その上昇高度はあらゆる建造物を越える。
何しろ行先の『天空図書館』が、雲の高さにあるのだ。
「す、すごい…!」
《人間が自力で物体を空に飛ばすとはねえ…》
たちまちのうちに遠くなっていく地上を、アニィとプリスが呆然と見下ろす。
隣ではパルとパッフがはるか遠くを眺め、目の見えぬヒナはクロガネの隣で所在無げに佇んでいる。
「これだけの魔法を作り上げるには、相当な労力と才覚が必要だろうな…」
「ゴウゥ…」
つぶやくヒナとクロガネ。
実際、この部屋に用いられているのは、重力を制御する魔法である。
この世界の一般人が行使できるのは、主に火・風・水・土など、目に見える物質・現象を操る魔術だ。
重力や物体の加速など、目に見えぬ物理学・力学的作用を操る魔術は、よほどの魔力が無いと扱えない。
ましてこれを法則化した上、さらに動作を常態化するなど、常人の思い至るところではない。
その発想力、そしてそれを実現するための労力、ともに常軌を逸している。
「それこそ、ハイライズって人の何代か前の人が作ったんじゃない? 天才一家とかで。
こんなすごい設備、学生が作るのは色々と難しいよ」
「だな。この部屋、補修が繰り返されているようだ。あまり新しい設備ではない」
室内の匂いや床材の硬度から、ヒナには設備の築年数も大まかに分かるようだ。
その会話を聞きつつ、アニィはただただ感心していた。
魔術に法則を与え、巨大な設備を自在に動かす人間がいる…
しかも学生ということは、アニィ達と同年代ということだ。
想像の範疇外の事実に、緊張と高揚を同時に覚える。
雲の中に入った所で、部屋の上昇が減速し始めた。そろそろ到着するようだ、とアニィ達は察した。
アニィが天井を見上げると、雲を突き抜けた上空から、分厚い岩盤が降りてきた。
何事かと驚いていると、その上に巨大な門が現れる。丁度入り口扉に合わせられた位置だ。
上昇はそこで停止し、入り口扉と門が開くと、天井が高く幅広い廊下が奥に伸びていた。
―――この巨大な屋敷が『天空図書館』だ。
アニィ達は頭ではそう理解したが、巨大な屋敷が雲の高さに浮遊しているという事実に、頭の中の整理が追い付かない。
「……お、おじゃまします…」
呆然としながらアニィが言うと、廊下の奥から一人の少女が小走りで駆けてきた。
短めに切った淡い水色の髪が、図書館にいながら活発さを感じさせる。
走ってきた少女は、アニィ達と目が合った途端に、パッと明るい顔になった。
少女はアニィ達の前で立ち止まり、出迎える。
「こんにちは!」
「………こ、こんにちは」
「『天空図書館』にようこそ。ボクは管理司書補佐の、フリーダ・ハイライズです!」
「ど、どうも…アニィ・リムです」
ぺこりと一礼する少女、フリーダ。彼女こそザヴェスト達が言っていた、天才少女フリーダであろう。
アニィに続き、プリス達も軽く自己紹介する。
プリスが言語で話したことに、当然か意外か、フリーダは僅かに驚くのみだった。
フリーダは廊下を指し示し、先に立って歩き出した。アニィ達はそれについていく。
天井の巨大な天窓から、太陽の光が燦燦と差し込んでいた。
「園長先生から、アニィさんの症状は聞いてます。
じゃあ診察室に行きますから、ついてきてください!」
「は、はい…」
「―――うふふっ♪」
楽し気に歩いていくフリーダに、首をかしげつつアニィ達はついていく。
アニィ達の…特にアニィの顔を見た瞬間から、彼女はとても楽しそうに笑っている。
《何か、楽しい事でもありました?》
プリスが背後から尋ねると、フリーダは満面の笑顔で振り向いた。
「実はボク、皆さんのこと見てたんです。アグリミノルでの戦闘。部屋の望遠鏡で」
「見てたの!? あたし達を!?」
「はい! みなさんの魔術もドラゴンさんとのコンビネーションも、とってもすごくて、カッコ良くて。
あんな戦い方、初めて見ました! きっと皆さんの、独自の魔術なんですよね! ね!
もうずーっとワクワクしっぱなしで、そんな時にお会いできたから、うれしくって!」
フリーダは、まるで憧れの騎士に出会えた子供のように笑う。
否、まさに今『憧れの人』に出会って、しかも面と向かって話しているのだ。
天才であるはずの彼女は、アニィ達が想像した優等生と違い、むしろ子供のようにあどけない。
だが、アニィ達の魔術を独自の物と見抜く目を持っている。天才の面目躍如といったところか。
フリーダは立ち止まると、突然アニィの手を握った。
「特にアニィさん! あんなに大きな結晶の剣を出せるなんてすごい!
きっとすごい魔力とコントロール能力を持ってるんですね!」
「え…あの……」
《ちょっと、何をいきなり馴れ馴れしく!》
触れるなとばかりにプリスはアニィを抱き寄せ、フリーダから引きはがす。
が、フリーダは負けずに食いついてきた。悪意が無い分、無碍にするのが却って忍びない勢いだ。
「それに、あのダイナミックな闘い方! 度胸も素晴らしい! 稀に見る逸材!」
「あ……っ…あの…あれは…」
だが、フリーダのその賞賛に、アニィは却って表情を曇らせた。
言い終わってからその理由に気付き、フリーダも申し訳なさそうな顔で手を放す。
当時のアニィは、怒りのあまりに自身の安全を全く考慮せずに闘っていた。
凶暴なまでの殺意が理性を失わせ、あのような動きを思いつくに至ったのである。
この日ここに来たのはその治療のためであり、フリーダが称えるような勇敢さでも大胆さでもない。
アニィがそう言おうとすると、フリーダは慌てて手を放した。
「あっ…! …そっか、あの行動は症状のせいだったんですね…ごめんなさい…」
フリーダは再び背を向け、アニィ達を先導して歩き出した。
先ほどまでと明らかに歩調が違う。軽く押せばよたよたと方向転換しそうなほど、力ない足取りだ。
先ほどの発言を、よほど申し訳なく思っているのだろう。
背を向けてこそいるが、アニィ達にはフリーダのしょぼくれた顔が、目に見えるようであった。




