第八十話
凄まじい握力で腕を掴まれていたゴリアテは、パルが手を緩めた瞬間にどうにか振りほどき、距離を取った。
屈辱と怒りにまみれ、顔色がどす黒く変わる。
子分らしき他の学生たちは、ゴリアテが腕っぷしで後れを取ったことに驚いていた。
「お、お、女が馬鹿力しやがって…」
「よせ、ゴリアテ。お前が敵う相手じゃない」
「うるせェんだよォ!」
冷静に制止するザヴェストの言葉を無視し、ゴリアテは自らの両手に魔力を込め、アニィ達に向けた。
彼の前に浮かんだいくつもの文字が、円形に列をなして並んでいる。
その中心に小さな稲妻がほとばしる…電気の魔術をコントロールし、光線として放つ魔法である。
だがその瞬間、アニィの両目がまたも銀色の電光を放った。
アグリミノルで結晶砲を放った瞬間と同じ、あふれ出る魔力の光だ。
パルたちも気づくが、前触れもない魔力の爆発に、止めさせようとするては間に合わない。
直後、アニィの全身から、無数のプリズム線が放たれる―――
《アニィ!!》
直前で、プリスがアニィを抱き寄せ、ザヴェストがゴリアテを突き飛ばした。
プリズム線は仰向けに倒れたゴリアテの顔面を掠め、首をすり抜け、床や天井や柱に突き刺さる。
この学園の校舎は極めて強固な材質で作られており、更に魔力で防護膜を施してある。
が、プリズム線はその校舎に容易く突き刺さり、切り刻んだ。破片が廊下に落下し、太い柱が真っ二つになる。
周囲の学生たちが悲鳴を上げ、逃げ惑う。
ゴリアテ自身は無傷であった。
外れたのではなく、アニィがどうにか魔力をコントロールして、プリズム線を無力化したのだ。
自分が無事だと理解したのもつかの間、頭部が穴だらけにされた可能性に思い至り、ゴリアテの顔が青ざめる。
そしてアニィ自身は、あまりにも簡単に自分の理性が吹き飛んだ恐怖に震えた。
ほんのわずかに身の危険を感じただけで、一瞬にして殺意に支配されたのである。
更に、アムニットの手袋で制御できていた筈の魔術が、コントロールを失った。
そもそもアニィは魔術を行使しようとなど、僅かに思ってすらいなかった。
「ご、ごめ…ごめん…なさい…っっ…」
震える声で謝罪するアニィ。見開かれた目には、罪悪感と自身への恐怖から涙が溜まっている。
だが、死の恐怖に晒されたゴリアテには、それどころではなかった。
アニィが理性を取り戻さなければ、頭部が穴だらけか、無数の肉片と化していた。
ゴリアテは倒れたままの姿勢で後退り、逃げ出そうとする。
油汗まみれのゴリアテを見下ろし、ザヴェストが彼の肩を掴んで立ち上がらせた。
「…だからよせと言ったんだ。ハイライズに会いに来たんだぞ、彼女たちは。
恐らくハイライズでなければ対処できない。僕達などにどうにかできるものか」
「う、う、うるせんだよォ!」
ゴリアテはザヴェストの手を振り払い、子分たちを連れて逃げていった。
アニィはそれに気づかず、震えながら謝罪を繰り返していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
《アニィ》
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ―――」
《アニィ!》
軽く肩を叩かれ、アニィはやっと我に返った。
パル達、そしてザヴェスト達もアニィを心配そうに見つめている。
彼女に悪意が無いことは、プリズム線を放った直後に理性を取り戻したことからも明らかだ。
だがそれが逆に、悪意無く殺戮を繰り広げた可能性をも示唆し、ザヴェスト達は戦慄した。
「魔力が原因の精神変調…ですね」
そして彼女の病が正にそれであると、ザヴェストは見抜いた。的確な指摘にプリスがうなずく。
《怒りの感情が制御できなくなっています。
このままでは精神に異常が生じる。急を要します》
「判りました、急ぎましょう。―――園長先生、失礼します」
ザヴェストはノックをしてから園長室のドアを開け、友人の二人とともに踏み込んだ。
白髪に白いひげを蓄えた園長が、机の上に置いた何かに向かって話をしている。
厄介事引受人協会でモフミーヌ達も使っている、通話用の鉱石板だ。
彼は通話を丁度終えた所らしく、立ち上がってザヴェスト達を出迎えた。
「ザヴェスト君、その子達だね?」
「はい。先生、今どなたとお話を…?」
「ハイライズ先生にね、一応症例を話しておいたよ。
ええと、君たちが診察希望の?」
園長がザヴェスト達からアニィの方に向き直る。
彼の説明を聞いたアニィ達は、すぐ違和感を覚えた―――
ザヴェスト達、学生はハイライズと呼び捨てにする。一方、園長は先生と呼んだ。
図書館のハイライズなる人物は、二人いるということか…
というアニィ達の疑問を、園長はすぐに察したらしい。
説明を始める気のようで、アニィ達に着席を勧めた。
同時に空中に指をかざすと、ポットとティーセットと砂糖が小さな竜巻に乗って動き出し、紅茶を自動で淹れ始める。
「そうだね、事前に説明しておいた方が良かろうね…
図書館を管理している『ハイライズ』は、親子なんだ。
私が先ほど連絡を取っていたのが父親。そして生徒達が知っているのが、娘の方」
空中で紅茶が出来上がり、アニィ達の前に並んだ。
アニィとパル、そして目の見えぬヒナも、その魔法に驚いている。
風の魔術…否、風の『魔法』である。
自身の手と同じ動作を行う法則を付与し、手元から離れた位置で自在に精緻に動かす技術。
恐るべき精緻さに、ドラゴンであるプリス達も目を丸くした。
園長は柔らかく微笑み、紅茶を勧め、話を続ける。
「娘のフリーダ・ハイライズ君は、この学園どころか、人類でも稀に見る天才だ。
ザヴェスト君、ドゥリオ君、シュティエ君は、彼女との共同研究をしていたのだが」
ザヴェスト達はそれぞれ自己紹介をした。
リーダー格のザヴェスト・グレイデス、穏やかな少年ドゥリオ・カーク、明るい少女シュティエ・リュカ。
そして紫色のドラゴン、ウィスティ。
この魔法学園にいた頃、フリーダ・ハイライズが交流した数少ない生徒達だという。
当時の事を思い出したのか、説明するザヴェストは複雑な表情だ。
「ハイライズは転移魔術を突き詰めた、『魔法合成魔法』の研究をしていました」
「転移……魔法合成…ですか?」
「はい。魔法に魔法を合成する魔法を作る、という研究です」
ドゥリオが答えた聞きなれない言葉に、アニィ達はやはり首をかしげる。
苦笑しながら説明するのはシュティエだった。
「炎の魔法のボールを氷みたいに冷たくする、って言ってわかります?」
「なる…ほど…?」
「まあ、話しを聞いただけじゃ判らないと思うけど。
ともかく、理論が完成する直前。今で言う邪星獣を討伐する演習の授業で…」
苦笑していたシュティエが、途端に表情を曇らせた。
話の続きを引き継いだのは、ドゥリオである。
「何かが起こったらしいんです。
帰って来た時、ハイライズさんは組んでいたチームの奴らにひどいことを言われていて…
その時のことが学園全体に広まって、ゴリアテみたいな連中にずっと罵られています。
以来研究をやめ、お父上に連れられて、上の『図書館』に閉じこもってしまいました」
全体に。すなわち、教師にも伝わったということだ。
教師陣から、恐らく魔法合成の研究打ち切りを言い渡されたのだ。
当時の彼女の憔悴がいかほどの物だったか。学友であるザヴェスト達にしか判らないだろう。
そこでザヴェストが身を乗り出し、アニィ達に頭を下げる。
「病気の所とは存じていますが、無理を承知でお願いします。
もし機会があれば、あの時何があったか、ハイライズに聞いてきて欲しいのです」
「え、え、でも…知り合いでもないのに、そんな、わたし達が…」
「失礼ですが、あなた達のことは協会の広報で読ませていただきました―――あなた達のことですよね、この記事」
戸惑うアニィにドゥリオがそう言って取り出したのは、厄介事引受人協会から発行されている広報誌だった。
各支部が独自に発行しているもので、彼が学内支部に頼んで取り寄せた物だ。
開かれた紙面には、シーベイ街とヴァン=グァドでの戦闘のことが書かれていた。
シーベイの海上で邪星獣を斃したこと、ヴァン=グァドに出没したガ=ヴェイジを斃したこと。
それらの大立ち回りのことが、克明に描かれている。
一方で顔や名前の事は書かれておらず、アニィ達自身の詳細は伏せられていた。
あくまでも、ドラゴンを連れた少女達が邪星獣退治の旅をしている…というたびの目的だけだ。
文章を書いたのは、モフミーヌとモフミノーラのビッグワンハウス姉妹。
ということは、姉妹間の情報共有により、いずれアグリミノルでのことも書かれるだろう。
そして書かれていたのは、戦闘の事だけでは無かった。
現地でアニィ達が出会った人物へのインタビューも、大量に掲載されている。
「え…わたし達、こんな、広報に……?」
「何だ、どういうことが書かれているのだ?」
「あなた達の闘いに勇気づけられた、街を守ってくれてありがとう、騎士団が変わり始めた…といったコメントです」
目が見えぬヒナにも、ドゥリオが読んで聞かせる。
アニィ達は照れて、3人そろって顔を赤くした。パルとパッフが思わず顔を見合わせる。
「まさか記事になるとは…あたし達のこと、そう思ってくれる人達がいるんだ…」
「クルぅ…」
「あなた達なら、ハイライズも心を開いてくれるのでは…と。
勝手ながら、あなた達を信用してお願いしています」
ザヴェスト達が、3人そろって改めて頭を下げた。
「僕達も、当時の事を知りたい…本当に機会があったらで構いません」
『天空図書館』に向かうのは、アニィの診断のためである。
診察の結果によっては、しばらく図書館に滞在する可能性も無いわけではない。
逆に、フリーダ・ハイライズと話す機会も無しに、診断が終わることもあり得る。
機会の有無は判らず、確かな返事はアニィにはできない。
だが、学友を憂う彼らの真摯な気持ちを無碍にすることも、またアニィにはできなかった。
進めていた筈の研究を打ち切らざるを得ない、何かが起こったのだ。
魔術を使えずドラゴンにも乗れなかった頃、両方を望みながら叶わなかった苦しみを…
そして村から解き放たれた今の幸福を、アニィは知っている。
研究をやめてしまったフリーダ・ハイライズもまた、苦しんでいるのではないか。




