第七十八話
2階の部屋に戻り、アニィ達はドラゴン用の広間に集まると、プリス達に先刻の事を話した。
学生から謎の勧誘を受けたこと、ハイライズなる人物が管理する大きな図書館があること。
ちなみに前者の事を話すとプリスが怒り狂ったので、パルとヒナが片づけたことをアニィは慌てて説明した。
《それならいいんですけど。全く、何も知らん地方出身者に悪どいことを…》
「びっくりした、いきなり話しかけられて、何でわたしに…
…いいお店って言ってたけど、何のお店だろう?」
都会に出たことの無いアニィは、彼らが言うような『いいお店』が何なのか、本当に知らない。
慈善事業を行う店か、それとも高級な商品が並ぶ店とばかり思っている。
半分呆れつつ、プリスは答えた。
《そういう言い方する時は、だいたい良くないお店って相場が決まってるんですよ…
しかし助かりました。パル、ヒナ、有難うございます》
「どういたしまして。…あの学生さんも、あれで懲りてくれりゃいいんだけどな」
パルが面倒そうにため息を吐くと、パッフがお疲れ様とばかりに爪の先で撫でた。
パルもその手に身を任せ、パッフに寄りかかる。
「では明日行くのは、そのハイライズなる人物のいる図書館か」
ヒナがクロガネの隣に座り、肩に寄りかかりながら問う。
プリスはうなずいて答えた。
《ええ。そこで診察を受けられればよし、無ければ『空が見える』図書館の情報を聞き出しましょう》
「そうだね。…ところで、学校に行くんだよね?」
ふと思い出し、アニィは隣に座るプリスに尋ねた。
《ええ。ですから、学生たちに不快感を与えないように。
そして社会の先輩として、彼らの見本となるよう、身なりを正して行きなさい》
「うん……大きな学校…」
《服も予備の方にしましょう。…言っちゃなんですが、あなた達ちょっとクサイですよ》
「えっ……!!」
プリスに指摘され、3人は慌てて自分の体臭を嗅ぎ始めた。
3人が合流したボルビアス島以来、よくよく思い出せば服も体も殆ど洗っていない。
マウハイランド山脈で雨に濡れた時、パッフに衣類と髪の水分を抜いてもらっただけで、何ディブリスか放置したままだ。
当然風呂にも入っておらず、汗や垢も殆ど流していない。
「……入ろうか、お風呂」
アニィが言うと、パルとヒナもうなずいた。
村を出る前なら、アニィは間違いなく、自分などがそんなこと…と、遠慮したであろう。
だがきちんと自分の身なりにも気を遣うようになった。
仲間達や旅先で出会った者たちに気に掛けられたことで、アニィが自分を大事にするようになってきた証左だ。
良い事である、とプリスは内心で喜ぶ。
が、その自己への気遣いは、若干ずれた方向に向かった。
「あ、後で、プリス達も洗ってあげるからね…!」
《いや、ドラゴンは汚れませんから。私達は別に…》
「クルクル!」
「ゴゥッ…!」
プリスは断ろうとしたが、パッフとクロガネはむしろ磨いてほしいようだった。
やむなくプリスもアニィの申し出を了承し、3人の入浴が終わるまで待つのであった。
翌朝。プリスの隣で少し早めに目を覚ましたアニィは、広間の窓から街を見下ろしていた。
誰もいない、夜明け前の静かな街。夜の静けさと違う、人が動き出す前の静けさ。
明るくなってきた時間によく見ると、街はに白く清潔な建物が並んでいた。
シーベイやヴァン=グァドと違い、無機質ですらある。
「…あれ?」
ふと道路に動く影を発見し、身を乗り出す。
学生服を着た少年少女と、彼らを乗せたドラゴンの一団が、まだ日も登りきらぬ時間から歩いていた。
朝から勉強するのだろうか、彼らは寄り道もせずに、都市中央の学園へと歩いていく。
彼らは楽しげに話しつつ、教材らしき書籍をちらちらと読み合っている。
どうやら朝早くからの勉強らしい。
(そっか…こんな時間からでも、学校に行く子がいるんだ…)
ヘクティ村では、この時間はドラゴンに乗って狩りに行くか、村での仕事を始めるかだった。
もちろん、アニィは湖でドラゴンの絵を描いていたので、そのどちらもしたことが無い。
そしてこの状況でわかるのは、町の学生たちは自主的に朝の勉強を行っているらしいことだ。
勉学の時間があるのに加え、彼ら自身に学ぶ意思がある。
それが許される環境がここにある。ヘクティ村とは大違いだった。
やがて少しずつ学生の姿が増え、まばらだった人通りは、数十フブリス後には道路を覆い尽くすほどになった。
いつの間にか起きたプリスも、横から顔を出して街を見下ろしていた。
「おはよう、プリス」
《おはようございます。学生の朝は早いですねえ。
下の食堂も、もうにぎわってますよ。朝食は空いてからの方が良さそうです》
「そうなんだ。すごいなあ…」
階下に聞き耳を立てると、少年少女達や受付係のにぎやかな声が聞こえる。
シーベイの宿のような伝声管が無いことから、部屋に料理を持ってきてもらうのは無理と判った。
ちなみにパルはまたしても枕に関節技をかけ、ヒナは両腕両脚を大きく水平に広げて眠っていた。
2人の珍奇な寝姿のことは気になるが、とりあえず今は置いておいて、アニィは歯磨きと洗顔を済ませる。
昨夜は久しぶりの入浴、そして服を洗濯したことで、すっかり清潔になった。
何しろ、年若い学生の前に身をさらさねばならないのである。迂闊な格好はできない。
《おかげで私達も身ぎれいになりましたし…ま、良しとしましょ》
「うん。プリスも、パッフもクロガネも、綺麗になったよ」
上ってきた陽光に照らされ、プリス達の鱗も輝き始める。
昨夜アニィ達が洗った甲斐があったのか、いつもよりも艶めいているように見えた。
無論敷物を水浸しにするわけにはいかないので、あくまでも水を含んだ布で拭いたのみである。
ちゅんちゅん、と早朝の陽光の中で小鳥が鳴いた。
何かを知らせるらしい鐘が鳴り響き、学生たちの歩みが慌ただしくなり始める。
「今の鐘は…?」
「んぬぅぁ…学校が始まる時間、じゃないのぉ…?」
鐘の音で目覚めたらしく、パルとヒナがゆっくりと起き上がった。
奇怪な寝相のせいで首筋や肩が凝ったらしく、二人とも体を軽く動かしている。
挙句に二人そろって前髪が顔にばさりとかかり、若干おどろおどろしい風体になっていた。
丁度同じタイミングでパッフとクロガネも目を覚まし、ゆっくりと頭を上げる。
「ゴゥゥ」
「クル~」
「おはよ。あ~よく寝た」
「うむ、おはよう」
パルは髪をかき上げ、ヒナは覆面を顔に着けて、やっと本格的に目を覚ます。
パル達もアニィとプリスに倣い、窓から学生たちの街を見下ろした。
街中は登校する学生たちでにぎわい、日が昇る前の静けさはどこかに消えてしまった。
「おお、学生さんがいっぱいだ!」
「ドラゴンの声も聞こえるな。ドラゴンも学校で勉強するのだろうか?」
《どうですかねえ、ドラゴンの知能の高さを知ってる人間がどれだけいるやら》
割と好き勝手に推測を述べるプリス達。
プリスの声が聞こえたらどうするのかとアニィは心配したが、気にする学生は特にいないようだ。
アニィはもう一度階下に聞き耳を立てると、既に食堂は静かになっていた。
どうやら朝食のピークの時間を過ぎたらしい。
程よく3人の腹が空腹に鳴き出した。
「食堂、そろそろ空いたみたい」
「よし。お腹も空いてきたし、着替えてそろそろご飯にしようか」
パルとヒナは歯磨きと洗顔を始め、アニィは寝室で服を着替える。
買ってからこの日初めて着る、清潔な服だ。少し気分が改まった気がする。
洗った服は、昨夜のうちにパッフが脱水し、室内に干してある。宿に帰るころには乾いているだろう。
ちなみに洗濯室は受付の奥にあり、店主に許可を得て使わせてもらった。
パルとヒナが準備を整えたところで、首に会員証を下げ、3人は階下の食堂へ降りる。
「…いないな、だれも」
ヒナが気配を探る。テーブルの下に隠れている…などということも無く、食堂は無人であった。
3人並んで座り、アニィはバルカンボアのハムサンド(小)、パルはミックスミート入りの焼きライス、ヒナはグラップル・メシィを食す。
昨夜から気になっていたライスを食し、パルはご満悦であった。
「へぇ、ヒナはこういうご飯食べてたんだ。美味しい!」
「うむ…まあ、焼いたり炒めたりはしていなかったが。
なるほど、よその国ではまた調理方法が変わるのだな。そちらも後で食べてみるか」
楽し気に会話する少女達を、ロジィ氏や受付係は楽し気に眺めている。
学生同士での会話は、大体が成績や実習・試験の順位のことで、かなり殺伐としている。
この街に移住に来た少年少女が和やかに会話することなど、せいぜい到着から3ディブリスの間くらいだ。
学校に転入・編入してしまうと、すぐに学業の…それも成績や試験の話ばかりになる。
旅の途中の少女達の会話に、店員たちが揃って和む。
突如向けられた暖かい視線に、アニィ達は首をかしげつつ、穏やかな朝食を終えた。




