第七十七話
「クルル!」
パッフは早速ドラゴン用の寝床に飛び込んだ。
分厚い敷物はかなり柔らかく、寝心地が良いらしい。彼女はごろごろ転がっている。
「あは、ふかふかだ。人間が寝ても丁度いいかもね!
じゃあ今日は久々に、一緒に寝よっか。パッフ!」
「クル!」
隣に座ったパルに、パッフが頬ずりする。2人そろってゴロゴロする姿は、確かに寝心地が良さそうである。
《それで、これからどうするんです?
協会支部が閉まってるとなると、お店も同じかもしれませんよ》
「そういえば…」
アニィが窓から外を見ると、パルとヒナも並んで街を見下ろした。
商店街らしき区域の明かりはまばらで、客足も少ない。ほとんどの店は閉まっているだろう。
1階に食堂があるので、夕食に困ることが無いのは幸いだ。
既に日が沈み、夜になっている。しばし考え、パルが方針を決めた。
「今日はもう晩御飯にして、寝ちゃおうよ」
《それが良いと思いますよ。アグリミノルで闘ってから、皆さん休憩取ってないでしょ》
言われてみれば、と全員が顔を見合わせる。
戦闘後、メグとモフミネリィに促され、それから休息を取らずに飛んできたのである。
プリスに言われてその事実を思い出すと、全員がやっと心身の疲労を感じた。
特にアニィなど、激烈な怒りとその後の後悔とで精神の振れ幅が激しく、ひたすらに疲れ切っていた。
早く休みたい―――それがアニィの偽らざる心境だ。
「そう…だね」
「よし。じゃ、下行こう」
プリス達に留守番を頼み、アニィ、パル、ヒナは階下に降りた。
パルは弓を置いていったが、何かあった時のためと、ヒナは刀の柄尻の小さな刃を取り外し、懐に入れて置いた。
日が沈み、学生たちは帰宅したかこの宿の別の部屋に泊まったか…となれば、静かに食事ができるだろう。
そう期待していたアニィは、しかし食堂に踏み込んだ途端に立ち止まった。
食堂には学生らしき少年少女がいた―――だが、先刻いたのとは別の学生たちだった。
先ほどの学生たちより幾分か年上だ。学生服らしい揃いの服という点は共通しているが、高級そうな制服を着ている。
そして雰囲気もどことなく大人びていた。貴族か何かの令息令嬢だろうとアニィ達は推測する。
ただ、時折アニィ達に向けられる視線からは、どことなく悪意を感じた。
立場を笠に着て人を見下す、高慢で冷酷な視線だ。
絡まれると面倒だと、アニィ達は無視して隅のテーブル席に陣取った。
受付係がテーブルに水の入った鉱石グラスを並べ、注文を訊いた。
メニュー表をしばし眺め、アニィはマッスルサーモンの焼きライス(小)に決めた。
パルはギロチンラビットステーキ入りのシチュー大盛り。
ヒナはグラップル=ドゥシィなる、魚肉をのせて握り固めたライスにした。
ちなみにヒナは受付係に自らの目の事を説明し、読み上げてもらってからの注文だ。
反響定位や指先の感覚でも、紙に印刷された文字は流石に読めない。
注文を終えてから、アニィはメニュー表を見て首をかしげた。
「気になったから頼んでみたけど、この『ライス』って何だろう…」
「穀物の一種だ。水と混ぜて炊いて食べる、ヤマト皇国の主食だ」
どうやらヒナは、主食恋しさで注文を決めたらしい。
ただ、どうやら故郷では高級なものだったらしく、本当にその価格で良いのかと、受付に何度も確認していた。
材料費をだいぶ安くしていると聞かされ、疑いつつも納得はしていたが。
「それがここに届くんだ。これもマルシェのおばさんのおかげかな?」
「多分、そうだね…すごいなあ、シーベイの商工会」
そのおかげでこの街でも食事ができるのだから、アニィ達は感謝しきりである。
注文を終えて水を飲んでいると、先客の男子学生の一人が立ち上がり、アニィ達のテーブルに近付いてきた。
彼はテーブルに手を突き、突然アニィに顔を寄せて尋ねる。
「君たち、旅の途中かい?」
突然の質問に、アニィは目を白黒させる。
まさか自分などが訊かれると思わず、つい周囲を見回してしまった。
が、相手はパルでもヒナでもないらしい。自身を指し、本当に自分に質問したのかと確認する。
その横でパルとヒナが警戒しているが、どうやら彼には見えていないらしい。
そう君だ、と答えて彼は話を続けた。
「いいお店があるんだ。僕達と一緒においでよ」
「あっ、いえ…あの…」
「遠慮しないで。大丈夫、怖くは…」
だが、彼がアニィに向けて伸ばした手は、届く前にパルに掴まれた。
何事かと学生が疑問に思う間もなく、強靭な握力で腕の骨が軋み、鈍い音が鳴る。
突然の強烈な痛みに、学生は凄まじい悲鳴を上げる。
「いだだだだだだだっ! 痛い! 痛い!! はなせ!!」
「はーいはい。放してあげますよ、っと」
パルは掴んだ手首を放すと、今度は学生の襟首を掴むと、彼が座っていた席へと放り投げた。
無論『ドラゴンラヴァー』が全力で投げたら、落下時に間違いなく骨が砕けるため、手加減はした。
間のテーブルを跳び越えて、学生はもんどりうって仲間達の間に転がり込む。
彼の仲間の学生たちは、一見普通の少女であるパルが、片手で軽々と男子生徒を投げたことに驚愕していた。
呆然とする仲間達の中で、投げられた当人は怒りと屈辱に顔を歪ませ、立ち上がってアニィ達に両手を向けた。
だが、その額に何かが当たる―――冷たい氷だった。
ヒナの指先が水に濡れている。氷はグラスの水に入っていた物だ。彼女が投げたか、指ではじいたか。
いずれにしろ、学生が気づく間もなく当たっていた。刃物や石なら、人間を死に至らしめる場所への直撃だ。
「次はこれを当てる」
ヒナは、刀から取り外した小さな刃を見せた。
そこで学生たちは、ヒナが目が見えぬことを受付に説明していたのを思い出した。
盲目の人物が、正確に致命の急所を射る…その事実に気付き、学生は戦慄し、座り込んだ。
彼が抵抗を諦めたと知り、ヒナも刃物を懐に再びしまい込む。
戸惑いつつその様子を見ているアニィに、2人は軽く笑って見せ、学生たちに言う。
この時、テーブルの下では、アニィの両手が結晶の短剣を纏っていた。
本人も無意識のうちに、学生を敵と見做し、殺害さえしようとしていたのである。
アニィの肩にヒナが手を置いて押さえ、その間にパルが学生を遠ざけた…というわけだ。
「判ってくれればいい」
「そうそう。あたし達は静かに食事したいだけだから」
そう言って、届いたメニューを受け取るパル。
フォークでギロチンラビットの肉を突き刺し、がぶりとかじりついた。
続けてアニィが頼んだ焼きライス、ヒナが頼んだドゥシィが届いた。
故郷の高級料理の味に、ヒナは郷愁にかられる。
その一方、戸惑いつつも焼きライスをスプーンで掬い、一口食べたアニィは、パッと顔を輝かせた。
「あ……おいしい…」
初めて食べる異国の食事を、どうやらすっかり気に入ったようだ。
一方、その姿は学生たちには異様にも映った。
絡んできた学生を一方的に痛めつけた友人に戸惑ったかと思うと、平気な顔で料理を食べている。
不気味にすら見え、学生たちは僅かに青ざめた。
彼らは及び腰で少しずつ後退ると、走って逃げだした。
残されたのはアニィ達3人、そして受付と店主のロジィ氏だけであった。
ロジィ氏は手を出さず、成り行きを見守っていた。
…というより、何かあってもアニィ達の自己責任と、ドライに傍観していたようだ。
そんなロジィ氏を、パルはじっとりした視線で見た。
「このお店、あんなのが出入りしてるの?」
「普段は問題行動も起こさないしね。
キミたちこそ、腕っぷしも危機管理能力もあるじゃないか」
ロジィ氏は、あくまで店の利益を優先しているだけらしい。
学生の一人がアニィに詰め寄った時も、彼はあくまで淡々としていた。
ここまで言うと、ロジィ氏は急に話を変える。
「それで、この街には何の用事で?」
「…」
アニィはパルとヒナに目配せし、話して大丈夫かと確認を取る。
どちらもうなずき、恐らくプリスもそのくらいの了解はするだろう、と推測した。
「ええと…『図書館』に用事が、あるんです」
「図書館? そりゃあ、街中にあるけど。そのためだけにここへ?」
「あっ、いえ、多分、違うと思います…
あの、そこに行った人が、『空が見えた』って言ってたとか…」
たどたどしいアニィの説明を聞きつつ、ロジィ氏は何かを思い出そうとしていた。
しばし思考を巡らせた彼は、もしかして、と前置きして答えた。
「空が見えるかは判らないが、ハイライズという人が司書を務める図書館があるんだ。
かなり大きくて、置いている本の種類も、この街で一番多いらしい。
管理しているのは、この街中央の学校…『マナスタディア中央魔法学園』だ。明日行ってみると良い」
「あっ、ありがとうございます!」
街の中央の学校。到着時に見た巨大な学校だと、アニィ達はすぐに分かった。
アニィの礼の言葉を聞き、ロジィ氏はどういたしましてと答え、受付カウンターに戻った。
その後来客は特になく、アニィ達は3人で食事を済ませた。




