第七十六話
浮遊する人工島は、それ自体が都市中央の学園より大きい。
到着までにその大きさに気付かなかったのは、超高高度に浮いていることで、視界に殆ど入らなかったからだ。
その高度によって、人工島は太陽の光もほぼ遮ること無く、都市の上空に浮いている。
《…魔法学園ってのは、ああいうのを作る勉強もしてるんですかね……》
さすがのプリスも驚きが隠せないようで、思念の声が震えている。
《…と、とにかく降りて、街に入りましょう。まず宿を取らないと》
「そう、だね……」
アニィ達は半ば呆然としつつ、正門の前に降り立った。
パルが守衛らしき男に、都市に入りたい旨を伝える。全員が協会の会員証を見せ、滞在の許可を得て門をくぐった。
会員証のおかげで滞在には特に期限は無く、時間や資金が許す限りは都市にいられるということだった。
ただ、問題が無いわけでは無かった。
「厄介事引受人協会の支部って、ここにある?」
パルが尋ねると、守衛の男は苦い顔をした。
「まあ、あるにはあるが…もう閉まってるんじゃないか?」
「閉まっている? まだ夜になる前なのにか?」
「ここは学園都市、つまり学生が住む街だ。
恐らく、君たちはこういう学校に通ったことが無くて、ピンと来ないかもしれんが…」
首をかしげるヒナに、守衛の男が答える。
「簡単に言えば、学生たちの安全、それから素行不良を防ぐためさ。
夜に命の危険が絡む場所に行かないように、あるいは危険人物を招き入れないように、と」
「な、なるほど……」
『学生の素行不良』などという発想の無かったアニィ達には、ちょっとしたカルチャーショックであった。
ヘクティ村では若者たちが狩りに行っていたこともあり、若者には危険な仕事が任されるのが常識だったからだ。
厄介事引受人協会の依頼の中には、死の危険が伴う物が多数ある。
が、ここは学園都市…つまり、若者たちは勉強のためにここにいるのだ。
そんな危険なことなど、大人がさせるわけにはいくまい。
その一方、支部があるということは、会員になった学生もいるはずであった。
そんな若者が好奇心から危険な依頼に手を出さないように、ということだ。
「支部に行くのは明日以降でいいか、大事な用も無いし…じゃあ守衛さん、宿はある?
ドラゴンが泊まれるような、大きい部屋がある宿」
「あるよ。ただ、旅行者用と学生用があるから、間違って学生用には入らないように」
「学生用…街の中の学生さん向け、ですか?」
「いや、下宿や編入転入希望者用。地方からここにくる子も多いからね」
聞けば聞くほど、明確に制度が定められた学校を知らぬアニィ達には、理解の及ばない話ばかりだった。
守衛も守衛で、学校の制度を理解していない来訪者の相手は何度もしているらしく、説明は丁寧であった。
割り込むように尋ねたアニィにも、彼は丁寧に説明した。
とりあえず宿の場所を教えてもらい、アニィ達はそれぞれの相方のドラゴンに乗ると、街中を歩いて行った。
協会支部の前を通りかかると、守衛が言った通り、既にこの日の業務を終えて閉館していた。
シーベイやヴァン=グァドでは深夜でも開業していたため、アニィはつい驚いてしまう。
「本当に閉まってる…」
「確かにね、学生ってことは勉強が本分だもんね。
いくら明かりがあるったって、夜中にここに寄り道はさせられない」
そう言うと、パルは道路わきに並ぶ柱を見上げた。真昼のように明るい街灯だ。
殆ど日は沈んでいるが、これならそれなりに安全に歩けるだろう。初めて見る光景だった。
「あ、すごい、明るい。ヴァン=グァドにも無かったね、こんな明かり…」
《学生の健全な生活のため、って奴ですかね。
考えようによっちゃ、連邦で一番文化的に進んでいる街じゃないでしょうか》
なるほど、とアニィはうなずいた。若者達が、自分の意志で勉強をして、安全に暮らせる街。
自由意思が尊重され、将来のために様々なことが学べる街だ。
ある程度自由に勉強できるのは子供の内だけ、卒業したらすぐに村の仕事に駆り出されるヘクティ村とは大違いである。
一方、ヒナの里の学校も似たようなものだったらしい。
「私も子供の頃、学舎で何ネブリスか学んだ程度だったな…」
「ヒナも初めて? 学園都市とか」
「うむ。学業のための街など、聞いたことも無かった」
アニィ達は守衛に教えられた道を歩き、宿を探した。
時折、ドラゴンに乗った学生たちとすれ違う。
勉強疲れからか眠たげ…否、時折頭をガクリと揺らしている。
居眠り騎乗だが、ドラゴンの方は気づかない。
「クルル!」
落下しないようにとパッフが呼びかけると、学生たちはハッと目を覚ました。
学生たちは周囲を見回し、自分達を起こした声の主を探す。
手を振るパッフを見つけて、ありがとうと礼を言って彼らは去っていった。
「ああやって、こんな時間まで勉強してるんだ…」
帰宅する学生たちを見送りつつ、アニィはつぶやく。
視線に僅かに混ざるのは、自由意思で勉学を選べる彼らへの羨望であった。
《邪星獣には襲われたようですが、それでも安全に勉強ができるようです。見てください》
プリスと同じ方角を見ると、破壊された高層の建物がいくつか並んでいた。
遠目に見た限りでは、どの建物にも人がいる気配がない。恐らく現地は封鎖されているのだろう。
その一方、都市中央やその周辺の学校は、多少外壁に傷や穴が空いている程度だ。
協会の会員が都市に滞在し、防衛の仕事をしているのだろうか。
あるいは学生たちが自主的に街を守っているのか。
《魔法学校で鍛えた学生なんか、その辺の協会員より強いかも知れませんね》
「そっか…」
「―――お、あれかな?」
会話していたアニィとプリスは、宿を見つけたらしいパルの声で顔を上げた。
看板には『ステイン・ロジィ宿泊所』と書いてある。ヤード・パック宿泊所と同じく、店主の名前だろう。
人間用とドラゴン用の部屋がつながっており、それが3階建てで合わせて6部屋あるという。
外壁にはドラゴンの昇降用と思われる、幅の広い階段が設置されている。
かなり大きな宿屋であった。看板横の料金表には、1泊でドライズ貨幣2枚と書いてある。
シーベイのヤード・パック宿泊所よりだいぶ高額だ。
ちなみに、他の宿はドラゴンを屋外につないでおくことになっている。
当然そんな真似ができるわけはなく、多少高額でも同室に泊まれる宿を、アニィ達は選んだのである。
1階には食堂があり、夜の遅い時間まで営業していると書いてある。
一部のメニューは持ち帰りもできるらしい。登校中にここで買う学生もいるようだ。
アニィ達は相方の背から降り、そっとドアを開けて中に入った。
受付カウンターに陣取った店主は、清潔な身なりの中年男性であった。
恐らくヤードと同じくらいの年齢であろうが、幾分か若く見える。
「いらっしゃい。ここの学生じゃないようだけど、旅行かい?」
「はい、まあそんな所です」
パルがすぐさま答えると、食堂の他の客が注目する。
皆年若く、学生服らしい揃いの服を着ていたり、教材が入っているバッグを持っている。
どうやら旅行者を見るのは初めてのようで、彼らは好奇の目でアニィ達を見ていた。
弓を肩に掛けたパル、刀を腰に下げたヒナ…そしてその中で、特に武器を持たないアニィに、特に視線が集まる。
居心地の悪さを感じ、アニィはパルの陰に隠れた。
学生たちは申し訳なさそうに目を逸らし、そしてふと視界に入った、店の前のドラゴン3頭に驚く。
「ドラゴン…!? 見たことも無い種類だぞ…」
「あの子達が連れてきたのか…?」
学生たちはアニィ達とプリス達を交互に見比べる。
数、そして視線や雰囲気などから、どうやら推測が当たっているらしいと知り、半ば呆然としていた。
店主のロジィ氏が苦笑し、学生たちを宥めて言った。
「学生の街だから、旅行で来る人は珍しいのさ。特に武器を持つ人なんかはね」
「守衛さんに聞いたけど、地方からここに移り住む子もいるんでしょ?
そういう子達も、いかにも旅っていう格好、してるんじゃない?」
「いや。むしろ制服とか…そうでなくとも旅に向かない服を着た、良い身なりの子の方が多いかな。
それこそここに転入、編入するからね」
「そっか、なるほど。ここにはそれで来る子達の方が多いんだ」
話しながらパルが1泊分の料金を支払い、2階の部屋の鍵を受け取った。
ドラゴンは外の階段から上ることになっており、まずパルが部屋の鍵を開け、続けて広間の奥の扉を開ける。
階段を上がってきたプリス達がそこから入り、柔らかな敷物が敷かれた広間に座り込んだ。
《ほお。ドラゴンの寝心地も考えてくれてるようで》
アグリミノルまでは、ドラゴンの寝床と言えば草や獣の革を敷物にしている宿ばかりだった。
ところがここは、手製の敷物が敷かれている。厚手で毛足も長く、ドラゴンが腹ばいで眠るに心地良い柔らかさだ。
学生が連れてきたドラゴンにとっても心地よく…ということだろう。ストレスなく眠れる環境だ。
ドラゴンの心身の健康は、ひいては学生の安全の保証にもつながる。
「人間用のベッドは…あちらの寝室だけか。こちらはドラゴンと同じ寝床だな」
ヒナが腰に下げた鈴を鳴らし、室内の状況を確かめた。いわゆる反響定位である。
特に危険物は無いらしく、安全と見てドラゴン用広間の敷物に触れる。
ヒナが言う通り、広間の方は敷物が敷かれ、ドラゴンと同じ寝床で眠れるようになっていた。
寝室の奥には浴室がある。こちらの広さも3人まとめて入れるほどだった。




