第七十五話
アニィ達一行は、沈みかける太陽に照らされた、暗いオレンジ色の空を飛んでいた。
マウハイランド山脈を抜けた先…と説明はされていたが、その山脈は極めて長大である。
昼過ぎにアグリミノル町を出てから、山脈の一部と定められている地域を抜けるまでは、日没近くまでかかった。
寒村だらけだった山脈付近から、マナスタディアが近付くにつれ、小さいながらも街や都市が少しずつ増えていった。
人口密度や建物の増加だけではなく、街と街をつなぐ街道も見えた。
山脈に近い方は、草を刈り土を踏み固め、街道と外側を仕切る縁石や植木が置かれているのみ。
しかしマナスタディアに近付くにつれ、幅が広く路面が整った道路が増えていく。
フェデルガイア連邦において、一般的に街や村同士の間は結構な距離がある。
というのも、ドラゴンによる飛行速度で、距離があろうとも大した障害にならないからだ。
また徒歩や怪物での移動の場合も、魔術を利用して比較的安全な旅ができる。
現在フェデルガイアにある街は、ほとんどが発展途上である。
シーベイやヴァン=グァドのような大きな街、軍事施設などは稀な部類だ。
加えて、ドラゴニア=エイジが始まってから、時間にして8千ネブリスほどが経っている。
現在の連邦の街の所在は、拡大・縮小・発足・廃止が長い時間で幾度も繰り返された結果である。
「やっぱり、発展してる都市があると、交通網が発達するなあ」
パッフの背の上から地上を見下ろしながら、パルが街と街をつなぐ道路を見渡す。
良く良く観察すると、確かに北方…マナスタディアに向かって、道路は整えられ、大きな街が増えていく。
それを受けて、クロガネの背に座ったヒナがパルに問う。
「パル殿、そなたたちの村からシーベイには、道は無かったのではないか?」
ヒナが尋ねた通り、シーベイ街とヘクティ村をつなぐ道は無かった。
これは、アニィ達が折に触れて愚痴をこぼしていたことだ。余りに交通の便が悪い、行商は苦労しているらしい…など。
山奥のヘクティから海が近いシーベイに人が移ったのは自然なことだが、そのための道は全く残っていなかった。
パルは苦々しい顔で答える。パッフも村を思い出したのか、同様の表情を浮かべた。
「村ぐるみで自分からあそこに閉じこもってたし、シーベイからあそこに行く価値も理由も無いし。
わざわざ道を作る必要なんて無い、って思ったんじゃないかな。昔の人たち」
「クルル」
ヘクティ村が廃れた事情について、パルとパッフは先にプリスの話を聞いていた。
移住に関しては必然でしか無いが、村の印象から邪推を混ぜてしまうのは、ある意味仕方のないことである。
「故郷に対して物言いがドス黒すぎはせぬか…?」
「ゴウゥ…」
「イヤな村だったからね。チャム達が待っててくれなけりゃ、戻りたいと思わないね、あたしは」
「なるほど、なら仕方ない。早く邪星皇を討って、妹君たちを迎えに行かねばな」
パルにとって、村にいた頃のいい思い出など、幼いころに家族で出かけたことくらいしか無い。
あの頃は、まだまともな大人がいた。アニィやパッフと出会う少し前で、チャムがまだ言葉を話せなかった頃だ。
その数ネブリス後に両親は死亡し、センティ以外の大人の悪辣さが顕著になり始めたのだ。
ネイヴァ家の父母は、どうも村の大人たちの良心のタガになっていたらしい。
村の有力者だったのか、それとも何か理由があるのか、他の大人は2人に強く出られなかったようだ…
と、パルは残るかすかな記憶から推測している。
一方、先頭を飛ぶアニィとプリスは、アグリミノル町を出てからずっと黙っていた。
アニィは、アグリミノル町の戦闘で、自分の頭の中が猛烈に熱くなっていたのを憶えている。
死にかけたバルベナのこと。邪星獣の悪意。制御が困難な程に暴走しかけた魔力。
全てが頭の中で滅茶苦茶に混ざり、目の前が真っ赤になった…
比喩ではなく、目が怒りに血走ったのか、本当に真っ赤になったのである。
丁度魔力の光が両目から漏れた瞬間だった。
そしてそこまでの怒りの真っただ中にありながら、アニィ自身は極めて冷静に、邪星獣だけを攻撃したのだ。
膨大な閃光がほとばしる結晶砲で、狙いを定め、メグ達にも周囲の建物にも傷つけぬように魔力をコントロールした。
余りにも冷徹な己の所業を思い返し、アニィは恐怖に身を震わせた。
《アニィ…?》
プリスに名を呼ばれ、アニィは我に返った。
顔を上げ、振り向いたプリスと視線を合わせる。
「だ、大丈夫…だよ」
《何も言ってませんよ。…思い出してたんですね、アグリミノルでのこと》
プリスに言い当てられ、アニィは再び黙り込んだ。
視線を前方に戻したプリスは、深いため息をつく。
アニィは心配を掛けまいとして、体調の事を訊かれるたび、こう答えている。
だがどう見ても大丈夫ではない事は、もちろん仲間達全員にばれていた。
半ば条件反射のように答えたのは、幾度か体調について尋ねられてきたからである。
そしてそんな最中の考え事は、当然のようにプリスに言い当てられた。
顔を赤くしてうつむくアニィ。プリスはそんなアニィに、優しい笑顔を見せる。
《…あの時、あなたは明らかに異常でした。戦闘に躊躇が無いどころじゃない。
凶暴な怒りと、冷酷な殺意が両立していました》
「……おかしいよね、あんなの。やっぱり私、どこかおかしいんだ」
《ええ。…でも謝らないでください。あなた自身のせいじゃないんです》
プリスの優しい言葉に、アニィはおもむろに顔を上げ、振り向いた瞳を見つめ返した。
《魔力由来の病について、ドラゴンでも知っている者はそういません。
邪星獣の襲撃も無いようですし、一晩寝て気持ちを落ち着けて、それから診てもらいましょう》
以前なら高慢ちきかつ偉そうな口調で、文句の一つでも言ってきたであろうプリスが、数ディブリス前からだいぶ優しくなった…
アニィはそれに気づき、かつどうしたものかと疑問に思っている。
だが、今の疲労し混乱している頭では、事情など聴いても憶えられはしないだろう…
そう思い、アニィはプリスの進言に、素直にうなずいた。
「…うん」
《都市に着いたら、宿と…それから協会支部でも探しますか》
「うん」
気を取り直し、アニィは正面に向き直る。振り向くと、背後にいるパル達が笑いかけてきた。
太陽が殆ど沈みかけた頃、ひときわ大きな街が見えてきた。パルは地図を広げ、迫る都市と見比べる。
目的の場所、マナスタディア魔法学園都市に辿り着いたことを、パルは確かめた。
「………大きい。村の学校と全然違う」
上空から巨大な都市の巨大な校舎を見下ろし、ため息混じりにつぶやくアニィ。
その視線の先にあるのは、都市の中心部にある学校だった。
入り口であろう、巨大で豪奢な門。陶器を思わせる、白く輝く校舎。誇らしげに掲げられた校章。
その周囲を固めるのは、渡り廊下でつながった数々の教室棟だ。
「都市全体に学校があって、どこも都会のお金持ちの子が通ってるんだって」
「大きな街なのか?」
地図を見ながら解説するパルに、ヒナが尋ねる。
初めて歩く街ということで、目の見えぬ彼女は不安なのだろう。
アグリミノルのような小さな町なら、クロガネから学んだ術で周辺の環境は多少わかるが、人工物が並ぶ大きな街となれば、不安は隠せまい。
「うん、ヒナが一人で歩くのは絶対危ない。あたしたちの誰かと一緒に歩いて」
「わかった。すまない、世話を掛ける…」
クロガネが慰めるように一声鳴くと、ヒナは感謝の意を示すように、小さく笑ってクロガネを撫でた。
鈴の音の反響で周囲の状況を確かめられるとはいえ、この大きな街をそれだけで全て把握するのは至難の業だ。
と、視界に何かが映り、アニィは上空を見上げた。
途端に目を丸くして、気が抜けた声を上げてしまう。
「ええええ…ね、ねえみんな…あれ…」
「どしたの、アニィ。突然―――」
つられてパルとパッフ、そしてクロガネも上空を見上げ、そして驚きの叫び声を上げた。
「でっっっかあ!!」
「クルぅっ!?」
「ゴォッ!?」
さらに目の見えぬヒナも上空に顔を向け、見えないにもかかわらず呆然とする。
「何だ…あの、巨大な魔力の塊は…?」
《島が浮遊している…!?》
プリスが言う通り、真下から見たそれは、まさに浮遊する島であった。
雲の高さに浮き、静止した状態を保っている。
明らかに人工物で、それでいて人間の所業とは思えぬ光景だ。
「浮遊する島…上空の邪星獣の魔力とはまた違うな…
そうか、独自の魔術、いや『魔法』で浮いているのか」
鋭敏な感覚を持つヒナが、的確に分析した。
浮遊する島の底面には、魔術の術式と思われる文字が並んでいる。
底部中央には巨大な顕現石がはめ込まれていた。
底面全体も、恐らく輝ける鋼製であろう。
つまり、この島を作った人物がおり、学園都市の上空には、何かしらの目的を持って浮遊させているのだ。
「これも、あれかな…魔術工学博士って人の発明かな…
何か、大きすぎて遠近感が…」
「クルぅ…」




