第七十四話
一方、その少し前の日。アニィ達のアグリミノル町での戦いを、はるか上空から見ている者がいた。
一人の少女であった。年齢はアニィ達と同程度。淡い水色の髪をショートカットにした、活動的な雰囲気だ。
そして、そこは少女の自室だ。大きな屋敷なのか、一人で過ごすにはやや大きすぎる部屋には、大きな棚などが並んでいた。
彼女が覗き込んでいる望遠鏡も、その調度品の内の一つだ。
「わあ…」
望遠鏡をのぞく瞳が輝き、頬は興奮に紅潮している。
ドラゴンと共に時に魔術を行使し、時に自らの体で、邪星獣の群れを屠っていく少女達の姿…
自分と同程度の年齢の少女達の、初めて見るダイナミックで力強い闘いに、少女はすっかり夢中になっていた。
「あの人は弓矢、短剣、素手…ドラゴンさんの方は水を使うんだ…
すごい、蹴っただけで邪星獣の頭を粉々にしてる…あっ、矢に水を集めた…矢があんなに大きく…!」
最初に視界に収めたのは、パルとパッフの姿だ。
続いて望遠鏡を動かすと、今度はヒナとクロガネの姿を捉えた。
「あっちの人は…剣術だ! すごい、速い! 全然見えない! 綺麗な技…!
ドラゴンの足の速さと合わせて、一気に細切れにしてる…!」
怪物が邪星獣と呼ばれていること、邪星獣と闘う少女達がいることは、協会の広報で彼女も知っていた。
それまで、協会員や自ら名乗り出た者たちが、悉く消息を絶っていたことから、どうせ無駄だと思っていた。
だが実際に彼女たちを見て、勝手な失望は瞬く間に消え失せた。
傷つきながらも諦めることなく、強大な魔術や独自の戦闘スタイルで、アニィ達は怪物を屠る。
少女にとって、アニィ達は希望に、憧れに、そして勇気の源泉になった。
自分も彼女達のように、自らの力を振るう勇気を持てたら―――
「もう1組―――ん?」
少女は最後の2人、アニィとプリスを追った。はるか上空に飛んだまでは見ていた。
望遠鏡を動かすと、3体の指揮官個体とプリスの姿があった。
プリスが回転円錐光線で1体の腹を撃ち抜く。
だが、アニィの姿が無かった。落とされたか、と少女が思った時。
プリスの尾から、糸のように細い白い輝きが伸びているのが見えた。プリスの魔術の糸だ。
(糸…?)
糸が伸びている先へ、望遠鏡を向ける。なにも見つからない。
尻尾に何をつないだのだろう…そう思い、しばし雲の間を見つめていた時だった。
一つの影が、雲の真っただ中を飛んでいくのが見えた。
「あ………」
小さな影に、プリスの尾の先端から続いているのだろう、白く光る糸がつながっている。
まさかと思い、望遠鏡の倍率を上げつつ、雲の中を舞う姿を追う。
「あっ、あ! あ!!」
はっきりと見えた。プリスの背に乗っていた筈のアニィであった。
突撃で交差した直後、プリスが尾を振った動きと共に消えたのは、上空に跳んでいたからだ。
アニィの全身から、七色に輝く光線が無数に撃ち出され、指揮官個体の1頭を粉微塵に切り刻んだ。
直後、アニィの落下が始まる。だがアニィは落下に恐怖する事なく、両手を頭上に掲げた。
アニィの頭上に、長さ13ドラゼンの巨大な結晶の剣が出現した。
余りにも予想外であったようで、指揮官個体は驚愕に動くことすらできず、1体が真っ二つにされた。
刃は一つではなく、残像のように次々に生まれた別の刃が、同じ軌道で指揮官個体を立て続けに斬ったのである。
「すごい、すごい! 何あの魔術、あの闘い方! あんなの見たこと無い!!」
興奮して騒ぎ立てつつ、少女はアニィの姿を追う。
プリスが尾を振ると、つないだ糸に引かれ、アニィも空中で軌道を変えた。そのまま最後の一体を真っ二つにする。
アグリミノル町内と上空の邪星獣は全滅し、町に静けさが戻った。
「はああ…すごいものを見た…!」
時間にして1ジブリスかかったかどうか。
しかし、人生でも稀に見るほどの熾烈な戦闘だった。
特にアニィ…まだ少女は、アニィ達の名前を知らない…は、魔術の強力さ、規模、破壊力。全てがずば抜けている。
「あの人達なら…あの人達となら………―――よし、今度こそ…!」
ほぼ同時に、少女も望遠鏡から顔を離―――そうとした、その時。
ガシャリと重い金属音と共に、突然視界が暗転した。
少女は顔を上げ、望遠鏡を操作してレンズを閉じた相手の顔を見た。
そこには壮年の男性…少女の父親がいた。
「…父さん」
「フリーダ、よしなさい」
少女…フリーダ・ハイライズは、父ケイジェルに抗議の視線を送る。
だがケイジェルは苦笑し、娘の抗議を受け流した。
「そろそろ仕事だぞ。遊んでないで支度をしなさい」
「でも、父さん! さっき地上で、ボクくらいの年の子達が」
「フリーダ」
ケイジェルは僅かに語気を強めた。抗議を中断され、フリーダは黙り込んでしまう。
唇を噛んでうつむくフリーダに、ため息をつきつつケイジェルは言う。
「支度をしなさい」
ケイジェルの口調は、決して厳しくない。あくまで諭すような言い方だ。
だがフリーダは、父の一言に委縮してしまったのか、うつむき黙り込んでしまった。
ため息を吐くフリーダの様子に、ケイジェルは納得したらしく、再び苦笑した。
「支度をしなさい。明日の診察の依頼も来ているからね」
「はい…」
フリーダは小さな声で返事をすると、望遠鏡から離れ、父の後についていった。
行く先は診察室。ハイライズ親子は、魔術の知識を生かして医療も行っている。
特に魔力由来の病に関して、専門家と言っていい知識を持っている。
そしてフリーダが先ほどいたのは、地上を見下ろすための望遠鏡を備えた自室である。
地上の豪邸が物置に見える程の広さだ。この施設の、実に5分の1ほどの面積を占めている。
室内の半分を占める書架には、無数の学術書、大量の魔術教科書、少量の子供向け絵本が収められている。
先ほどフリーダが観察していたのは、アグリミノル町の闘いだけでなく、マウハイランド山脈で起こった異常である。
あらゆる木々が北方に向けて傾いている。一斉に引っ張られたようだ、と報告があった。
植物に影響を及ぼすような異常事態が起きている…と、地上を観察していた時、アニィ達を見つけたのである。
「それで、山脈の方はどうだったんだい?」
診察の用意をしながら、ケイジェルがフリーダに尋ねた。
「……協会の報告通り、北方向に向けて一斉に傾いてたよ。地滑りや地震じゃないみたいだ、って」
「じゃあ、明日か明後日までに資料を作っておいてくれ。協会や学園に報告しないといけないからね」
「わかった…」
答えたフリーダは診察室を出て行こうとしたが、途中で足を止めて振り向いた。
「…父さん、明日来る患者さんってどんな人達?」
「ああ…お前と同じくらいの年ごろの、女の子だそうだ。
どうも魔力の影響で、感情の制御がままならなくなってきているらしい」
「そっか。たまにある精神変調の症状だね」
フリーダは診察室を出て、別の部屋に向かった。
辿り着いた巨大なドアの上に、「図書室」のプレートが掲げられている。
ドア横の金属プレートに指先で触れると、魔力押印によってフリーダ本人と確認され、ドアが自動でゆっくり開いた。
室内に入り、フリーダは書架を見上げた。
膨大な書籍を納めた巨大な書架が、施設の五分の三を占める図書室に、無数に並ぶ。
控えめの照明、古びた紙の匂い、誰もいない静か空間。
フリーダは地殻変動に関する書籍を探して歩いた。
ハイライズ親子は医療も行っている。そう、彼らは医者ではない。
図書室の窓から見える広大な青空、そして―――雲海。
この施設は、魔術工学を用いた超巨大反重力浮遊装置を備えており、雲の高さ…
マナスタディア魔法学園都市の上空、具体的には高度約200ドラフラプ(10キロメートル)に浮いている。
フェデルガイア連邦各国家、加えて他の国家の領土の大陸もある程度見渡せる高さだ。
そしてこの施設の半分以上は図書室に占められている。
ここは、アグリミノル町を出たアニィ達が向かう先…マナスタディアが管理する図書館であった。
正式名称『マナスタディア学園都市市営空中図書館』、通称『天空図書館』。
入り口は学園都市中央の『マナスタディア中央魔法学園』にあり、入館するには身分証明書と魔力押印が必要だ。
厄介事引受人協会の会員であれば、会員証が身分証明書として使える。
そしてハイライズ親子は、ここの管理者兼司書である。
娘のフリーダは、この図書館が、そして父親が、何よりも―――
何よりも、嫌いであった。




